2009-01-01から1年間の記事一覧

配置ガールと森がある(続き)

この日、けのびの試演会を見に行こうとして方南通りをさまよっていたら、神村恵さんとばったり会ったので、チラシを忘れて会場がわからない僕は、なんとなく神村さんと一緒に会場にたどり着いた。 けのび公式サイト:当日とエ−ルその日、前エントリー「配置…

コンテンポラリーダンスの二つの歴史(改題)+

前回は、歴史的背景を抜きにして、日本における舞台芸術の現状を踏まえて、図式的な整理をした。 ※前回:コンテンポラリーダンスの三つの概念―覚書― - 白鳥のめがね日本でコンテンポラリーダンスという用語が定着した日本固有の事情について、若い世代には見…

コンテンポラリーダンスの三つの概念―覚書―

僕が90年代初頭に東京の劇場でダンスを見始めたときには、コンテンポラリーダンスという言葉は無かった。普通に見かけるようになったのは、2000年頃からのような印象があるけど、少なく見積もっても、コンテンポラリーダンスという言葉が舞台に関心がある人…

配置ガールと森がある

神村恵カンパニー『配置と森』、初日の公演を見てきました。見ながらぼんやり考えたことをメモしておく*1。僕がダンスを見始めたきっかけのひとつは、坂本龍一の『ESPERANTO』だった。モリッサ・フェンレイのダンス公演のための音楽で、ライナーノーツにモダ…

管見M-1 2009

ここ数年M-1を見てますが、今年のM-1の笑い飯の鳥人のネタには私も感動しました。紳助が100点つけるのもわかるわーって感じ。 ネタとしての面白さと、それをパフォーマンスとしてやりぬく集中力。会場を巻き込むライブとしてのすばらしさ。あらゆる意味で完…

「幻聴妄想かるた」とハーモニー

最近は新聞報道なんかで少しずつ話題が広がっている「幻聴妄想かるた」ですが、僕がこのかるたのことを知ったのは、岸井大輔さんを介してだった。妻が曳船の「墨東まち見世ロビー」で店番した日に「岸井さんが買えって薦めるから買ってきた」と言ってかるた…

近代日本語に弔いを 2.212/日本文学は日本語文学なのか?

江戸後期から明治前期までを「漢文脈」が隆盛したひとつの時代として括ることができるようだ。 近代日本語に弔いを 2.211/ドラマ『坂の上の雲』から読み替える近代 - 白鳥のめがね そのあたりの話を、『漢文脈と近代日本』を抜書きしながら紹介したい。漢文…

近代日本語に弔いを 2.211/ドラマ『坂の上の雲』から読み替える近代

『坂の上の雲』がNHKでドラマ化されて最近放映されている。司馬遼太郎が書いたこの小説にはナショナリズムを煽るところがあるのは、すでにあれこれ批判済みのことだけど*1、ドラマにおいても、温和でエレガントな演出ながらナショナリズムの再生産はしっかり…

『忠臣蔵(と)のこと』とのこと

アルテリオ小劇場に出かけてみた。ドラマトゥルクの長島確さんが、中野成樹さんの誤意訳の方法を用いて日本の伝統に向かい合うことはできないかと考えてオファーした企画で、来年の本上演に向けたセミナー・ショーという雰囲気の企画だった*1長島さんのコン…

アノニマス舞踏会3 雑感

PASがらみの縁で長谷川六さんからご招待いただき、東京ダンス機構主催の「アノニマス舞踏会3」を見てきた(木曜日の回)。 http://blog.goo.ne.jp/pas_2007/e/b31f087b7b186aa2686755dd2381fd07 Homage to [a] Life2009-2 今回のお目当ては小川水素さんだっ…

墨東まち見世ロビーの終わり/橘館の始まり+

岸井大輔さんが商店街の空き店舗に住み込んで100日連続のアートイベントを行う「100日連続」の演劇、それが「東京の条件work1 墨東まち見世ロビー」だった*1。その最後の企画を見てきた。 『インタビュー大会、墨東まち見世2009はどうだったでしょうか』 15…

天皇制2.0(?)と21世紀の日本社会 ―覚え書― +

決断ポトフのだだ漏れ中継でウェブ学会のディスカッションをちょっと覗いてみた。 http://web-gakkai.org/table.html 民主主義2.0とかキャラクター民主主義とかいう話を聞いていていつも思うのは、そこで日本の天皇制はどうなるのだろうか、ということ。天皇…

台車舟にのる/台車プロジェクト顛末記+

岸井さんの「墨東まち見世ロビー」の企画には注目してきた私なので、「スキマ(仮)」の案内をもらった時、OVAと岸井さんが組むなら面白そうだと、あまり良く考えずに参加するという返事を送った。 門脇篤「墨東まち見世」行き多文化台車出発模様 | cream ラ…

『宴の身体』/芸能の地層

『宴の身体』という本を読んで思ったことなどいくつか。著者の松岡心平という人は、「橋の会」で能の上演にも積極的に関わった人とのこと。宴の身体―バサラから世阿弥へ (岩波現代文庫)作者: 松岡心平出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2004/09/16メディア: …

アジア舞台芸術祭/神里さんと中野さんとか

アジア舞台芸術祭の2演目を見てきた。 http://www.butai.asia/j/ アジアンキッチンハノイ編 ひとつは、神里雄大 作・演出のアジアンキッチン、ハノイ編。 アジアンキッチンというプログラム自体が、東京の池袋近くにあるエスニック料理店の料理を30分くらい…

若者組的なものの系譜 ―近代日本語に弔いを・番外編―

連休中、旅行しながらケータイでツイッターをちらちら見ていて妻に怒られた。 tenkyoinさんが若者組/青年団がらみでしていた議論がすこし気になっていたのだった。 若者組から青年団へ 青年団、というタグ付けが正確かどうかちょっとわからないけど、宮藤官…

宮島旅行+

弟夫婦が妻の実家の広島に旅行したいというので三連休妻と実家に行ってきた。 一日宮島で遊んだ。ロープウェイで山の上まで行って降りてきたら夜だった。 商店街のお店の軒先に並んで吊り下げられているランプみたいなものが、きれいだったのでよく見てみる…

飴屋法水演出『4.48 サイコシス』劇評 補足+

フェスティバルトーキョーの劇評コンペに応募しました。 http://festival-tokyo.jp/gekihyo/2009/11/448-psychosis.html字数制限にあわせて草稿からカットした部分をピックアップしながら補足。 原作戯曲の韻文的性格について いろんなところで韻を踏んでた…

近代日本語に弔いを 2.21/天神様という人は

僕が小学校に入学したとき、まだ明治時代に建てられた校舎が残っていた。鉄筋コンクリートの校舎が一棟だけ建っていたけど、体育館も戦前から建っていた木造の建物で、踏みしめられた木の板のつやつやとした感触と、すこし薄暗い雰囲気を覚えている。それが…

近代日本語に弔いを 2.2/もう誰も読まない石碑

自分は幼いころ、鳩ヶ嶺八幡宮という神社の境内の脇にある家に暮らしていた。神社の境内が遊び場だった。 *1住んでいたのは木造二階建ての古い建物だった。物心ついてから聞いた話によると、昔は神社の参拝客のための宿舎になっていた建物が、借家として貸し…

近代日本語に弔いを 2.14/晴れやかな姿勢だった+

祖父が生きている間は、祖母に訊ねて思い出話を聞くということをしなかったのは、やはり家を代表していたのが祖父であり、祖母は家の奥に一歩下がるようにして家事に勤しんでいたからなのだろうか。祖母の家の古いアルバムを見せてもらったのも、祖父が亡く…

『旅する巨人』/海の民の遺産

宮本常一と渋沢敬三という二人の巨人の「交差的評伝」とも言える佐野眞一著『旅する巨人』を読んで、いろいろと感銘を受け、今後の読書の課題を与えられたという感じがした。 このタイミングで僕が同書を読んだのは『神と資本と女性』という、宮田登と網野善…

「まとまらない話」のまとまり

福留麻里さんと大崎清夏さんがダンサーと詩人のコラボレーションということで、岸井さんがやってる曳舟ロビーで行った公演「まとまらない話」を見に行ってみた。http://d.hatena.ne.jp/chakibear/20090924/p1曳舟ロビーのシャッターを片側を締め切って、もう…

近代日本語に弔いを 2.13/谷間に響く詩吟の近代

祖父が亡くなった後のしばらくは、田舎に帰るたびに、祖母にあれこれ質問して、祖母の思い出話を聞くことになった。祖母の思い出話のなかにこんなものがあった。小学校の先生のひとりが、職場である学校の行き返りに、いつも朗々となにかの漢文を吟じていた…

近代日本語に弔いを 2.12/祖父の筆跡

(承前)近代日本語に弔いを 2.11/祖母と台湾の日本語 - 白鳥のめがね祖父からもらった手紙のことを覚えている。 それは、高校を卒業して、松本で浪人生活を送っていたころのことだ。大学受験予備校の斡旋で、まかないつきの下宿で生活をしていた*1 祖父は…

近代日本語に弔いを 2.11/祖母と台湾の日本語

(承前)近代日本語に弔いを 2.1+ - 白鳥のめがね祖父が祖母と結婚したのは、南方の戦場から九死に一生を得て帰還した後のことだった*1。中学生の頃、長期休暇には生活記録の類を提出することが課せられていた。そこに保護者欄があって、コメントを書いても…

「英雄としての文化人類学者」再読/冷たい社会と歴史の外の自由

あの人もこの人も鬼籍に入っていくので高齢の方々がご存命かどうかあやふやになってしまう昨今ではありますが、つい先だって、レヴィ=ストロースってたしかまだ生きてるよね、とかと知人と話したばかりだったのを思い出す。寒い朝にtwitterで訃報に接する平…

カタカナの話―近代日本語に弔いを・番外編―+

私も片仮名は廃止してalphabetを使うのがいいと思ってますけど、次のカタカナについての話は歴史的に考えると不十分で間違った説明だと思われるのでちょっと補足しておきたい。 「かつてカタカナは、漢文を読み下すのに使われていた文字で、男・権威のある人…

東に沈む朝日と出会いのダイアローグ/『生きてるものか』

僕は『生きてるものはいないのか』を見たことはなくて、今回も見なかった*1。なので、二作品の呼応関係は度外視して単独の作品として評価せざるを得ないのがすこし残念だけど、いずれ再演されるものと信じてその機会を待ちたい。今回『生きてるものか』だけ…

近代日本語に弔いを 2.1+

網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』は、日本語と文字の歴史を振り返ることから始まる。そこに、こんな気付きが語られている。 私は全国の江戸時代の古文書を仕事の必要から見ており、それを読んで筆者をしていたりしたのですが、ごく最近ふっと、なぜ自分…