「幻聴妄想かるた」とハーモニー
最近は新聞報道なんかで少しずつ話題が広がっている「幻聴妄想かるた」ですが、僕がこのかるたのことを知ったのは、岸井大輔さんを介してだった。妻が曳船の「墨東まち見世ロビー」で店番した日に「岸井さんが買えって薦めるから買ってきた」と言ってかるたのセットを持ち帰ってきたので今家にある。
幻聴妄想かるたは、実際の幻聴妄想の経験を「かるた」の読み札と絵札に表現したセットなんだけど、このセットには、遊び方の解説にあわせてかるたのことがわかる冊子がついている。このかるたを作ったハーモニーという施設でかるたを作った人たちの経歴だとか、それぞれの札に描かれている妄想の背景が解説されていたりする。
この冊子の名前が「露地」というのだけど、茶室に向かう道のことを言う言葉だそうだ。この言葉は、精神障害がある人がミーティングで出した言葉から取られているのだという。
ハーモニーによく通っている利用者の方のひとりが、
まるで一期一会のお茶をいただくために露地を通り茶室へ向かっているような気分がする
とハーモニーのことを語ったのだそうだ。
この、センスの良さったらどうだろう。精神的な病があっても、知性と教養を働かせることはできるってことを象徴するようなタイトルにもなっている気がする。そして、精神的に障害のある人から、そんな言葉を引き出すことができる場所が可能だということに勇気付けられる。
そんな素敵なかるたが生まれる場所を成り立たせた人たちは、どんな人たちなのかと思って、この土曜日の展示&イベントに足を運んでみた。
「幻聴妄想かるた」とハーモニー展
12/19日(土)
13:00〜「若松組研究」と「天才研究」
ハーモニーの心理グループによる発表です。
14:00〜 幻聴妄想かるたのご紹介
1部:つくった人といっしょにかるたで遊びましょう
2部:対談「かるたづくりを通して見えてきたこと」
藤田貴士×新澤克憲(ハーモニー施設長)
という予定だったのだけど、「天才研究」は、かるたにも登場する天才氏がドタキャンで見送り*1。若松組研究は、「若松組という暴力団に追われて、若松組に床を揺らされてしまう」という妄想に取り付かれた人(陽気でのんびりしたおじさんって感じだった)に、その妄想を否定せず、妄想として肯定しながら、周りの人も妄想と共に生きることで、妄想から自由になり、妄想におびやかされずに生きる道はありえないかと模索する様子を、コミカルに、インタビューしながら紹介するようなトークショーになっていた(僕は途中から見たけど、『露地』に紹介されている内容だったので途中からでも話はわかった)。
そのあと、ハーモニーの人たちも交えて、かるた取りで遊んだ。そのときは、ハーモニーのスタッフなのか、それとも利用者なのか、わからなかったけど、一緒にかるたを取ってた人が、あとから利用者だってわかった。つまり、精神に障害があっても、かるたで一緒に遊べる。
いままでかるたを読んだり眺めたり、「鑑賞」はできたけど、遊ぶのは、この日が初めて。このかるたは、気軽に遊んでもいいものなんだってことが実感できたのはよかった。
*2
2部では、集団精神療法やサイコドラマの専門家である藤田貴士さんとハーモニーの施設長である新澤克憲さんとが、客席の最前列に並んだハーモニーの利用者にもコメントを求めながらトークが進んだ。そこで、自立支援法の功罪という話にも及んだのだけど、新澤さんが「たとえば、もう高齢で就職を人生の目標にすることができない人などが、ハーモニーにたどり着く」とおっしゃっていた。おそらく、就職したり働くということが社会参加というわけではないのだ、そのあたりで「自立支援」という行政の方針自体に、大きな偏りがあるし、その偏りは、障害のあるなしに関わらず、この社会にいるすべてのひとを巻き込んでいる偏りでもあるのだろう。
そういう面では「無理して再就職をめざすのではなく、直接「生産」に結びつかないような、なんだかんだ話すことも仕事だ」という風なことを新澤さんがおっしゃっていたのが印象深かった。
今回のイベントは「空間補充で笑顔をとりもどした」というサブタイトルが付いている。気軽に立ち寄ることができる場所で、お互いに理解しあうことができる。藤田さんは「居場所の回復力」という言葉で説明していたけど、つながりがのんびりと結ばれる余裕のある場所から、そこでのかたりを社会に開くような「かるた」が生み出されるという、そんなイノベーションが人知れず起きるというのがとても面白い。社会参加が「労働」でなければいけないってわけではない。精神に障害のあるひとたちのつながりから、「創作」だって可能なわけだから。
かるたができるまでの話では、まずお互いに語り合い耳を傾けあう場に「愛の予防戦隊」という名前が付いて、その名前の下に、何度も藤田さんと利用者を交えたトークセッションが重ねられていったということだったようだ。そのミーティングの場所が、創造的なコミュニケーションの場として成り立つようになったことから、導かれるように、すべてがミーティングの結果として、語られていたエピソードがかるたとして社会にアウトプットされた、といういきさつだったようだ。そのプロセスのことを、その場にいた人たちの語りによって知ることができたのは、僕にとっても収穫だった。
ここで面白かったのが、藤田さんは、最初ドラマとしてお互いのことを理解しあう場を立ち上げようとしたのだけど、役者になるのはハードルが高いらしいと気がついて、セッションは自ずと「語り」にシフトしていったのだという話。
日本では、対話的なドラマを成立させるのは難しい。だから、鈴木忠志も、伝統芸能の語りを手法に取り入れた、ということを平田オリザが書いている。
ドラマを迂回した語りが、かるたにたどり着くプロセス自体が、ドラマだ、という風に岸井大輔なら言うかもしれないけど、劇と語りとの微妙な違いのことを、改めて、じっくり考えたくなる話だった。
そしてなにより、ハーモニーが作っているものはなんだかおしゃれなのだ。イベントで聞いた話では、幻聴妄想かるたの仕上がりをおしゃれに貫くにあたっては、カフェなんかもやっていたりする、小清水緑さんの力も大きかったらしい。ファッション的には「森ガール」っぽい雰囲気もある小清水さんが、「ハーモニー」にカジュアルなおしゃれの成分を盛り込んでいるのも、いろいろ面白いところだ。
そういうところで、mannerって大事だよなーとつくづく思います。