近代日本語に弔いを 2.13/谷間に響く詩吟の近代

祖父が亡くなった後のしばらくは、田舎に帰るたびに、祖母にあれこれ質問して、祖母の思い出話を聞くことになった。

祖母の思い出話のなかにこんなものがあった。小学校の先生のひとりが、職場である学校の行き返りに、いつも朗々となにかの漢文を吟じていたのだという。そういう詩吟の響きが遠くから聞こえてくると、祖母はなんだか嫌だなあという風に思ったのだという。

それがどんな先生かは知らないけれど、意気揚々と山村のあぜ道を歩く姿が思い浮かぶ。教養の世界へのどこか能天気でもあるような信頼が詩吟のリズムと抑揚によって高らかに響き渡るとき、山村の自然の中に、教室の中のような、かつての先生と生徒の間にある厳格な上下関係、そのいかめしさの領域が、その先生の声の響く範囲に広がっていたのかもしれない。祖母が詩吟の声を嫌がった気持ちを考えてみると、そんな声が押し開く公的な領域が押し寄せてくるのを、ある種の圧迫と感じていたのではないだろうか、とも思う。

次の本を読んで、そんなことを思い出した。

http://d.hatena.ne.jp/C-Sky/20090212/1234448774
http://book-read.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/20072007225_f618.html

『漢文脈と近代日本』を読むと、私たちが漢文について持っているイメージ自体が、江戸から明治にかけての一時代の産物であることがわかる。その「漢文脈」は日本の近代を成立させるのに大きな推力を与え、そして、「漢文脈」を切り捨てることで日本の近代化はさらに推し進められた。そこにあった、忘れられた拮抗関係を齋藤希史氏は丹念に掘り起こしてくれている。

そうした文脈で、『漢文脈と近代日本』では、明治初期の若者たちの間で詩吟を愛誦することが、どのような意味合いを持っていたのか具体的に描かれている。詩吟の朗々とした響きはimaginaryな領野を国境の果てまで届かせようとする。それは、nationalな主体を形成する声のメディアでもあったのだ。

最近論語素読がブームになっているらしいけれど、漢文の素養というと、湯川秀樹の自伝で、祖父に一対一で漢文素読をさせられていたことを語っていたのを思い出す。

旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫)

旅人―湯川秀樹自伝 (角川文庫)

論語のブームを紹介するテレビ番組を見ていると、ちょっと複雑な気持ちになる。そういう教育には、何かの有意義さがあるのだろうし、おばあさんが孫と論語を読んでいるのは麗しい光景でもある。しかし、僕はどこかにいかがわしさを感じてしまう。

祖母が詩吟の声に対して持っていた何か嫌な感じと、湯川秀樹が自身の物理学研究を振り返って、しみじみと、漢籍の教養がそこに染みとおっていたことを感じたある種の懐かしさのこと、その両方を手放さないようにしながら、漢文脈を捨て去り忘却した日本の近代のことを、考えておきたい。

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