コンテンポラリーダンスの二つの歴史(改題)+

前回は、歴史的背景を抜きにして、日本における舞台芸術の現状を踏まえて、図式的な整理をした。
※前回:コンテンポラリーダンスの三つの概念―覚書― - 白鳥のめがね

日本でコンテンポラリーダンスという用語が定着した日本固有の事情について、若い世代には見えにくいこともあるようなので、あくまで私見ではあるが、この機会に簡単に説明を試みたい*1

フランスと日本の二つの伝統を対比しながら、日本的な「コンテンポラリーダンス」の用法について考えたい。

フランスの事情

コンテンポラリーダンスという言葉の語源がフランス語のLa danse contemporaine にあることはほぼ確実なのだけど*2、この言葉がLa danse classique つまり日本で言うバレエの技法・様式を指す言葉の対義語として意識されている言葉だと認識しておくべきだ*3コンテンポラリーダンスと言う言葉は、70年代以降、戦後アメリカのモダンダンスがフランスに定着するときに、文化行政上、バレエとは別枠で公共的な芸術として助成する対象として名指す言葉として使われ始めたと言える*4。そうした文化行政の枠組みのなかで、一般の教養層にもLa danse contemporaine という用語が定着していったということだろう。
フランスにおける70年代のアメリカモダンダンス受容の直接の反映が80年代のフランスヌーヴェルダンスだったが、この言葉ももはや過去のものとなったようだ(僕がダンスを見始めた頃には、ヌーヴェルダンスという言葉が新鮮なものとして喧伝されていたものだった)。そこには、その後フランス的なモダンダンス受容が陳腐化し硬直し始めたという事情もあるのだろう*5

日本の事情

フランスでは70年代に進んだアメリカモダンダンスの受容だが、日本では55年のマーサ・グラハム舞踊団の公演を皮切りに、アメリカモダンダンスの受容はフランスよりも先に進んでいた*6。更に、その素地には石井漠、江口隆哉のほか土方巽の師である津田信敏らがドイツ的なモダンダンス*7の流れを汲んだ舞台ダンスを戦前から展開していたといういきさつがあった*8
これらの戦後の舞台ダンスの流れが、一方では先鋭的に舞踏につながり、もう一方では「現代舞踊協会」に組織されていく。80年代中頃には、アメリカの影響の強い日本の戦後モダンダンスも、それとは別に様式化を進めた舞踏も、すでに陳腐化し、硬直化しつつあった。その状況で、バブル期の好景気も後押しになり、フランスやドイツの「同時代」のダンス作品が80年代末から90年代初頭に多数日本で上演されることになる*9。そして、海外での勅使河原三郎や山海塾の成功も平行して展開していた。
こうした状況で、すでに硬直化していた「現代舞踊協会」系の舞台ダンスとは別の流れでダンスを創作する文脈が生まれ、そこに一定の客層がつくようになった。モダンダンスの流れをくみながらも、「現代舞踊協会」とは別の系統のダンスを指す言葉としてヨーロッパ由来の「コンテンポラリーダンス」という言葉が好都合だったのだ。
現代舞踊協会」の体制はすでに「同時代性」を失った作品ばかりを生み出すようになってしまっている*10のであり、世界のダンスシーンと直接つながる「同時代性」は、現代舞踊協会とは別の場所にある、という新世代からの対抗の標語が「コンテンポラリーダンス」だったとも言える*11
一時期、日本では「モダンダンス」という言葉で、現代舞踊協会系のダンスをイメージして「コンテンポラリーダンス」と区別するという傾向もあったようにも思う*12
ある種の住み分けと縄張り争いがここにはある*13。こうした、日本特有の分断が、日本的な狭義の「コンテンポラリーダンス」という用語の定着に伴っていたと言えるだろう*14

現代舞踊協会と舞踏

文化行政的には現代舞踊協会の方がある種の既得権を得ていたと言えるし、ある種の家元制のような形で社会に根を張ってもいたわけだが、それもモダンダンス受容が日本ではすでに一定の伝統を持っていたからである。その点、70年代以降に促成栽培的にモダンダンスの拠点を各地に設けたフランスの文化行政とは事情が違う。モダンダンスの陳腐化は、日本の方が先に進んでいたとも言える*15
かつて現代舞踊協会と決別して、別の文脈で舞台ダンスを展開していた舞踏の系譜は、80年代後半には秘教化し閉塞しつつあったが、その後台頭した舞踏の系譜の新世代は、日本で言う狭義の「コンテンポラリーダンス」の流れに合流して行くことになる。舞踏の系譜を汲んだ新人が「コンテンポラリーダンス」を名乗ることに、舞踏の守旧派からも、舞踏以外の流れの立場からも、批判的な見方が示されることがあるが、これは、たとえばフランスから見れば舞踏も「コンテンポラリーダンス」の範疇に収まるのだから、それほどフランス語での原義からかけはなれた話というわけではない*16
ドイツ由来の近代ダンスが一方ではアメリカにわたって戦後アメリカのモダンダンスにつながり*17、ドイツから日本に伝わった系譜が舞踏につながるのだから、フランスから見れば、ドイツ由来の、戦後発展したダンスの様式が70年代以降フランスに輸入されたという意味では、同じように外来の現代ダンスであり、La danse contemporaine であることに変わりはないわけだ*18


(追記)はじめ「二つの伝統」というタイトルにしていたが、不正確だと思い「二つの歴史」に改めた(10/1/11)
(追記2)注に文献情報を補足(10/1/25)

*1:前回の記事を書くにあたってWikipediaの項目を確認してみた。私が参照した時点では、Wikipediaの日本語記事は次のようなものだった:個別「20091213192314」の写真、画像 - yanoz's fotolife。フランスに由来する言葉であるという点では私の認識も同じなのだけど、フランス語の意味合いが本来の語義であると考えなければならない必要は無い。その点で、このWikipedia記事は、言葉が使われる文脈や立場についての整理が不十分であるように私には見える。

*2:フランス語が起源であることは、たとえば次の記事が指摘している。http://www.net-3.info/post_5.html ただ、この記事の筆者は舞台ダンスについて十分な知見を持った人ではなさそうだ。コンテンポラリーダンスの直接の起源をカニングハムとしているのはすこし限定しすぎだろう。

*3:私の知っているフランス人は、必ずしも舞台に詳しいわけではない、地方大学を出た一般の教養人だったけれど、ほとんどモダンダンスと同義でLa danse contemporaineという言葉を理解していた。ブルジョワ階級は、La danse classique は習うけれど、La danse contemporaineは習わない、という風に言っていたのを覚えている。そういう認識がなされている層がフランスにはあるということだ。舞台芸術に詳しい人の間では、モダンダンスと区別する意味合いで、狭い意味で90年代以降の舞台ダンスをLa danse contemporaineという言葉で意識する層もあるようだ、個別「20091230112627」の写真、画像 - yanoz's fotolife個別「20091230112727」の写真、画像 - yanoz's fotolife。ただ、大まかには第二次大戦以降のモダンダンスの展開が広い意味で「コンテンポラリーダンス」と捉えられているようだ。ところで、新国立劇場のプログラムでは、バレエとコンテンポラリーダンスの二つにジャンルが区分されているが、90年代以降の狭義の「コンテンポラリーダンス」だけでなく、現代舞踊協会寄りの振付家や、モダンダンスの系統で80年代以前から創作しているベテラン振付家も「コンテンポラリーダンス」の枠組みにカテゴライズしている。これは、フランス語で広義の「コンテンポラリーダンス」がモダンダンスと同義であることに相応した用語法であると言えるだろう。新国立劇場 1998/99シーズン コンテンポラリーダンス あるいはこれは、広報戦略上、流行語として新鮮さをもっていた「コンテンポラリーダンス」を採用したということかもしれない。だとすれば、日本でコンテンポラリーダンスという用語の普及のために傾けられてきた努力を、既得権を得た側の人間が「ただ乗り」で利用したようなものだと批判されても仕方がないだろう。少なくとも私はそのような印象を持った。

*4:この辺りの事情について触れている記事に次のものがある。コンテンポラリー・ダンス:現代美術用語辞典|美術館・アート情報 artscape 私は、ダンサー/振付家が行政からの助成を得るために積極的に作り出した言葉であるという説明を長谷川六さんから聞いたことがある。その点ではこの記事の説明は言葉が定着した後の視点から、言葉が普及し意味合いが拡散した状況を回顧的に記述しているだけで、この用語が持っていた政治的な力を十分説明するものにはなっていないと思われる。

*5:80年代後半からの国際的なダンスシーンの諸潮流を「コンテンポラリーダンス」と呼ぶ向きには、ヌーヴェルダンスを「コンテンポラリーダンス」に先行するものと見なす見解もあるようだ(副島博彦「ドイツのコンテンポラリーダンスの現在」『現代ドイツのパフォーミングアーツ―舞台芸術のキーパースン20人の証言』所収)。この場合、モダンダンスとゆるやかにつながりあい、場合によってはほぼ同義であるようなフランス語圏での「コンテンポラリーダンス」の用語法を広義の「コンテンポラリーダンス」と呼ぶならば、80年代末から90年代以降のダンスを「コンテンポラリーダンス」と呼ぶのは狭義の「コンテンポラリーダンス」である、ということになるだろう。

*6:その背景として、日本にアメリカ文化を根付かせようと言うアメリカの文化政策が後押しした面も大きいと聞いたことがある。

*7:ドイツの近代的な舞台ダンスは「ノイエタンツ」とか「表現主義舞踊」とか言われることが多いようだが、アメリカモダンダンスとの密接な関係も含めて、ドイツのモダンダンスと呼んでも語の乱用ではないだろう。たとえばアメリカのダンス批評家Jack Anderson は、「ドイツのモダンダンス」という言葉で、マリー・ヴィグマンからピナ・バウシュまでを一括している。参照:バレエとモダン・ダンス=]、邦訳P.340。フランス版ウィキペディアではそのような整理をしている:http://f.hatena.ne.jp/yanoz/20091230112627

*8:参照:夢の衣裳・記憶の壺―舞踊とモダニズム

*9:80年代中頃の状況については、次の記事の記述が同じ認識を示しているだろう。坪池栄子「コンテンポラリーダンスブームを解く」(国際交流基金、2004年) ただし、舞踏の位置づけなどに関連して、私は坪池氏の記述すべてに賛同するものではない。次の記事も同様の歴史感覚を示している。乗越たかおのページ---大幅改訂増補版『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』(作品社刊)立ち読みができます! ただ、私の記憶では、「コンテンポラリーダンス」という言葉は、80年代末から90年代前半は、それほど目立って使われるものではなかったような印象がある。少なくとも、私にとってはなじみのある言葉ではなかったので、この語が流通した範囲は限定されていたと考えるべきだろう。その点で、乗越氏の「日本で「コンテンポラリー・ダンス」という言葉が本格的に使われ出したのも80年後半からだと思う。」という言葉は、多少過去への投影が強すぎるように思う。

*10:現代舞踊協会系のダンス公演の多くは、すでに固定化された様式と技術を前提にして、ある種の抽象的で切実さを欠いたテーマ(世界平和とか愛とか)が「表現」される、というような、古臭いロマン派の表題音楽みたいな舞踊作品が当然のように量産されているような状況が続いている。現代舞踊協会の外で、コンテンポラリーダンスと呼ばれている類のダンス公演でも、ある種のテーマが固定化しつつある様式において表現されるような公演は良くあるので、その「同時代性」の相違は、単に度合いや表面的な意匠の問題であり、パッケージの仕方の問題であって、本質的には大した違いが無いという見方もできるだろう。

*11:たとえば、かつて「コンテンポラリーダンス」の動向に近いところから擁護していた桜井圭介は、現代舞踊協会について次のような注を加えている。「「ゲンブ」=「社団法人 現代舞踊協会」。「ゲンブ系の」という形容はしばしば「ほとんど化石化した、未だにやっていることが信じられないような古いスタイルの」という意味を含意して用いられる。もちろん、協会所属のすべてのカンパニー、ダンサーがそうだというわけではない。ある意味「家元制的」なシステムで全国に根を張る協会系団体の「流派」は、大別すると戦前からのドイツ(ノイエ・タンツ)系と戦後に広まったアメリカ(マーサ・グラハム)系がある。もちろん、60年代以降のテクニック(リリース、コンタクト・インプロヴィセーション、ジャズ・ダンス、ヒップホップ等)を折衷的・表層的に用いたりもするが、基本的には、歴史的様式であるに過ぎない「モダン・ダンス」を今日的(コンテンポラリー!)表現として疑わない傾向が強い。」「子供の国のダンス」便り [3]

*12:同様の指摘は次の記事でも行われている。コンテンポラリー・ダンス(こんてんぽらりーだんす)とは - コトバンク。ただ、こうした区別は日本の事情において際立ったものだと考えるべきだろう。アメリカで学んだアジア系のダンサーが、いわゆるポストモダンダンスも含めてmodern dance tradition と言っていたのを聞いたことがある。前掲のJack Andersonの著書でも「ポストモダンダンス」という用語自体が一部の評論家が提案したに留まっていて、そのような用語を受け入れない人や不要と見なす立場もあると述べている。Jack Andersonは、ポストモダンダンスをモダンダンスの原点回帰と受け止めているようだ(前掲書、p.296)。このあたりの系譜意識においても、国や地域、それぞれの人の背景において言葉の捉え方が様々に異なり、アカデミックな立場や行政的な立場、ないし、ジャーナリスティックな立場など、立場の違いによって言葉の用いられ方が変わって行くし、語義が狭義のものになったり広義のものになったりすることを考慮しておくべきだろう

*13:たとえば、JCDNという団体は、そのような新しいダンスの流派が台頭するひとつの現われでもある。プレゼンター・インタビュー:佐東範一(JCDN) | Performing Arts Network Japan JCDNは次のように「日本のコンテンポラリーダンス」を海外に紹介する事業も推進している。日本のコンテンポラリー・ダンス、バンコク公演-タイの国際的ダンサーも参加 - バンコク経済新聞 JCDNに近いひとの中には、2000年頃に現代舞踊協会が英語の団体名をContempraryに改めたことを非難する人も居た。言葉の本来の意味においても、フランス的な意味合いにおいても、現代舞踊協会系のダンスを「コンテンポラリーダンス」と呼んでも構わないわけだが、今でも現代舞踊協会系以外の舞台ダンスを「コンテンポラリーダンス」と呼ぶ傾向は強いようだ。当事者としては縄張り争いをしているつもりは無いかもしれないが、文化資源の分断が陰に陽にいまでも進行しているだろう

*14:次の記事は、現代舞踊協会に近い立場からコンテンポラリーダンスという用語に批判的に言及することで、この分断を問題視している。うらわまこと「わが国のモダンダンス界の特性と今後の方向」

*15:日本の戦後モダンダンスが70年代以降、陳腐化し硬直化していった理由は、絵画や音楽も含めておきた日本社会の変容の帰結であって、日本社会特有の現象として考えてみるべき事柄だろう

*16:フランス語のウィキペディア個別「20091230112727」の写真、画像 - yanoz's fotolifeにも、日本の舞踏家の名前が挙げられている

*17:ドイツから来たダンス教師が戦後アメリカのモダンダンスに深い影響を与えたことについては、海野弘モダンダンスの歴史』のまとめを参照のこと。まあ、ドイツのノイエタンツとかも、もとを辿ればイサドラ・ダンカンの影響が大きいわけでしょうが、20世紀初頭の国際的な人の動きを考えると、国単位で考えるのはあまり有意義ではないかもしれない。

*18:Jack Andersonは、舞踏を「新表現派のモダン・ダンス」と形容している(前掲書、p.341)。