「まとまらない話」のまとまり

福留麻里さんと大崎清夏さんがダンサーと詩人のコラボレーションということで、岸井さんがやってる曳舟ロビーで行った公演「まとまらない話」を見に行ってみた。

http://d.hatena.ne.jp/chakibear/20090924/p1

曳舟ロビーのシャッターを片側を締め切って、もう片方は半ば締めて、小さなアトリエのようにして、二人の舞台が開かれた。小さな照明がまんべんなく、薄暗い部屋を照らしていた。
大崎清夏さんが自作の、童話っぽい散文詩みたいなのを、プリントアウトの原稿を手にして読み上げる。大崎さんも、立ったり、動いたり、福留さんと向かい合って同期するように動いたり、すれ違ったり、そういうパフォーマンスもする。福留さんも、大崎さんの言葉を断片的に繰り返して言ったりしながら、ちょっとずつ前に進んだり後ろに下がったり、振り子のように揺れ動いてみたりする。言葉と身振りを交換するミニマルなパフォーマンスがゆっくり進むような2時間が第一部。場所を移動しますといって、墨東エリアを散歩して、高層住宅やごみ処理工場の間を流れる川まで行くのが第二部。テキストの内容は、ある人の日記の断片みたいなもので、そこで川の話があったので、内容的に川に行って終わるのは良くわかる。

ちょうど『21世紀文学の創造』の6巻に収められた阿部公彦さんの文章を読んだばかりのところだったので、そのことを考えた*1

阿部さんは、舞台芸術に限らず芸術というのは制度の枠組みの外に出るものでないと面白くないみたいな話をしていて、身体そのものが枠になるというようなことを書いている。この場合、身体そのものが図式性を持っていて、そこに身体にまつわる慣習みたいなものも一緒くたになってある種の規範がそこにからんでくるということが阿部さんの議論の射程に入っているのだろうと思う。

この上演を見ていて、ミニマルな展開自体は丁寧な作りだけど、枠を超え出るものは無いなあと思った。それで、むしろ、シャッターの外から「天ぷらできましたよ」って隣のお店のおばさんが入ってくるあたりが一番面白い瞬間で、というのもお客さんがお隣のお店に注文してたのが開演後に仕上がったから届けてくれたので、その隣のおばさんは「じゃましちゃってもうしわけないね」とか一部の終わったあとに言っていたりした。

それで、半分閉まったシャッターの外を行きかう自転車や、話し声が、シャッターの隙間のフレームにおさまって、とても豊かなものに感じられる瞬間があった。パフォーマンス自体の単調さと丁寧さが、まるで、世界のフレームになっているみたいだった。

ひとつ気になったことがあって、大崎清夏さんのテキストに「ねじれがふたつくらいある」という風な言葉が出てきた。これはちょっと不思議な言葉だ。というのも、1,2,3の区別というのは、かなりはっきりしていて、この区別はある意味とてもクリティカルなので、「二つくらい」が、1の方にぶれるのか、3の方にぶれるのかで大きく違うことになる。だいたい、1と2と3は直観的にひと目で把握されるので、その間を見まちがうということは、よほどのことがないとありえない。

大崎さんのテキストは、道が道として見えてこないところから、道が道として発見されたり、川が川として見えてこないところから、川が川として発見されたりという、自明性が見失われたようなところから自明性を再発見するような内容だったので、「二つくらい」というのも、単に無造作に投げ出されていたわけではなくて、そういう自明性が喪失されたぼんやりした視野から「二つくらい」という言葉が出てきたのかもしれない。まあ、それでも、自明性の喪失が自明性を前提に語られる甘さがあったように思うので、そういう言葉自体をそれほど高く評価するつもりは無いってことは、ここで断っておきたい*2

で、二つくらいってどんな感じかなあと思いながら、夕暮れの下町をうろうろして、川に向かって川を川として見つけるテキストを語る二人の姿が夕闇に沈むのを見て、帰り道、二人に案内されるがままに、行きに見逃したガラス瓶工場の中の様子をちらっとみて、そこでは赤く焼けたガラスが冷えながらベルトコンベアを運ばれていって、ミニマルで単調な第一部が、単調であらゆるものがただ見えてきて川の滔滔とした際限ない広がりにぶちあたる第二部と対照されている構成が、終わった後だらだらとした帰り道に続いておまけがあるようなちょっとだらしない感じは、実に「二つくらい」だなあと思って、そういう枠の働きのありようにゆっくりとなじみながら遠ざかるみたいな運動を可能にしたのは、岸井さんが用意したロビーの力なのであろうか、とか思いつつ、その場所を後にした。

※他の日の曳舟ロビーの様子↓
『アーティスト・インの条件』/POTALIVE再考(9)+ - 白鳥のめがね

ロビーの企画案内が載ってるブログ↓
PLAYWORKS#2『東京の条件workシリーズ』by岸井大輔

*1:武藤さんが白州で阿部さんの話きいて面白かったという話を書いていて、なんで白州に阿部さんが呼ばれたのかな、どんなコネクションだろう、と思っていたけど、この本読んで、ちょっと謎が解けた。

*2:二人が二人くらい、になるような、二人であって一人、みたいなことは狙われたパフォーマンスではあったのかもしれない。対面的なモノローグの受け渡しになっていたような気がするので、そのあたり考えてみたい問題があるような気もした