アジア舞台芸術祭/神里さんと中野さんとか

アジア舞台芸術祭の2演目を見てきた。
http://www.butai.asia/j/

アジアンキッチンハノイ

ひとつは、神里雄大 作・演出のアジアンキッチン、ハノイ編。
アジアンキッチンというプログラム自体が、東京の池袋近くにあるエスニック料理店の料理を30分くらいの寸劇として紹介していくというもの。

ハノイ編は、料理番組の司会といった風な男が料理人を紹介。ステージの中央には、厨房が仮設されていて、ガス台も流しもある。実際に料理を作っている様子を尻目にちょっと無駄なトークをしつつ、料理の作り方を多少、ライブのビデオカメラで手元を写しながら紹介。そのあと、お店をやっている、ヴェトナム出身のお母さんが子ども二人と登場。日本に移住して子どもを育てる大変さだとかをインタビューしていくという感じ。出来上がった料理が食べられる席が舞台の両脇にしつらえられていて、そこに腰掛けた観客にも料理が振る舞われる。

そのヴェトナムから来たお母さんが「日本に来て驚いたのはテレビで料理番組ばっかりやっていること」と言っていたので、料理番組のパロディみたいな構成は、その取材から由来するのかもしれない。
ヴェトナム戦争についてちゃんと聞いているのがさすが神里さんだった。でも、子どもたちには将来アメリカで教育を受けてチャンスをつかんでほしいとお母さんが言っていたのが印象深かった。日本には希望は見出せないってことね。
中国の影響を感じさせる民族衣装を着た男の子がやんちゃに動き回っているのが、観客の微笑を誘っている風だった。

アジア/キッチン/ウェスカー

舞台を見ていて、ちょっとウェスカーのキッチンを思い出すところがあった。
蜷川幸雄のキッチンを見た - 白鳥のめがね
Arnold Wesker - Wikipedia
まあ、大掛かりな厨房ではなくて、料理人ひとりだけのシンプルなステージではあるけど、こうして食を介して日本とベトナムの現代史が一瞬浮かび上がる構想を見ると、ウェスカー的な劇場/演劇の理念に通じるものがあるような気がする。

ウェスカーは劇作を手がけるだけでなく、政治的な観点から演劇が創造される環境自体の整備に尽力した人でもある*1

今回のフェスティバルのプロデューサーは、宮城聡さんだった。直接ウェスカーからインスパイアされているかどうかはわからないが、公共的な演劇の社会的な意義を考えている宮城さんの理念はウェスカーの理念とも系譜を共有しているのだろう*2

公共劇場が地域コミュニティーレベルでの国際化に寄与するというのは、21世紀に進むだろう地方分権において公共劇場が担うべき役目を示していると思われる。

フランケンズ

あと、ショーケース上演Bプログラム 中野成樹+フランケンズ/冨士山アネットを見た。
NakaFra | 一般社団法人なかふら/中野成樹+フランケンズ

フランケンズは、モリエールの『亭主学校』*3のダイジェストをさくっと見せていた。普段着っぽい衣装で舞台に立つ若いそれぞれの役者がマイクを使って、ちょっとした場面を演じて見せたり、コメントをさしはさんでみたりする。装置は何もなく、役者の位置関係だけで場面を変えドラマ的図式を浮かび上がらせるミニマルな展開は、一見何気ないが、練りこまれ手馴れた仕上げになっていると思った。
照明の明暗も絶妙に使っている。「この暗い世相に飲み込まれそうな人々を救うのに、この上演は間に合いましたか」とかってガチなメッセージが、暗闇の舞台で「先が見えませんね」とエスプリをかまされることで皮肉がもう一回りしてストレートに届くという粋な仕掛けをしていたのだけど、誤意訳的演出に字幕で英訳が付くっていう、翻訳の隙間で遊ぶ多言語的な上演の展開には、フランケンズのスタイルの新しい可能性があるような気もした。

ショーケースということで、舞台転換のあいだに、今までの上演のビデオもいくつか投影されていたのだけど、そこに示されるメッセージも素晴らしかった。
要約すると、「中フラは消費者である、世界のドラマを他人事として消費する。他人事としての世界のドラマを愛するのが消費者の義務である」という風な一種の宣言だった。
演出家としての中野さんの本気を感じさせる。

中野さんの誤意訳路線は、日本の近代演劇史というドラマを「他人事」として上演するようなものに迫ろうとしているのだろうか、今回の上演でも森本薫からの引用がギャグとして使われていたけど、近代日本語を現代日本語に誤意訳する、という方向性が、次の「忠臣蔵」上演プロジェクトには浮かび上がってきているようで、これは要注目だ。

富士山アネット

プログラムで一組にされていたので見てみた。
スタイリッシュな洗練を非意味として提示することの素晴らしい例だった。これは、文化的な成熟につきものの、欠かせない営みである。
自分たちのスタイルに「テアタータンツ」と大胆に命名できるのはある意味凄いと思っていたが、このあまりに見事なスノッブぶりは敬服するしかない。現代という時代の絶望的な貧しさの具現化として、恐るべき完成の域にある。
エピゴーネンという言葉の正しい意味を確認するために、一度見ておいても損は無いだろう。
ただし、予習として最低限ニブロールは合わせてみておくべきだ。



※参考リンク
中野成樹さんの誤意訳スタイルについては、次のインタビュー参照のこと。
http://www.wonderlands.jp/interview/004/index.html

*1:同時代に日本でウェスカーの仕事がどのように捉えられていたのかについては、次の本が詳しい。

悲劇の批判

悲劇の批判

*2:宮城さんの公共劇場に対する理念については、次の記事を参照:「若い演劇人のための基礎講座」(講演:宮城聰) - キリンが逆立ちしたピアス

*3:女房学校と間違えてました。申し訳ない。