2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「キレなかった14才♥りたーんず」コンプリート

http://kr-14.jp/kr-14web/の参加6作品、今日のマチネで全部見ました。今日見たのは振付・構成・演出:白神ももこ(モモンガ・コンプレックス) による『すご、くない』。 これが、すばらしかった。6作品見た中では一番感動いたしました。一言でいえば、ダ…

杉原邦生演出『14歳の国』+

26日の昼に見る。公演後、渋谷に流れる。夜はディー・プラッツでダンスを見た。1時間ほどの公演時間。原作の台詞を刈り込みながらも、前半はほぼ忠実に演じられ、後半は、舞台上のカメラによる演出が少しずつリテラルな上演から逸脱する要素を重ねて行き、逸…

『学芸会レーベル』+

4月20日に見に行く。初日。公演前に関連企画を見て、公演を見て、公演後のトークを聞いて、居酒屋に流れた。世界設定は、「学芸会」が禁じられた(現代)世界。学芸会が禁じられた理由は、劇中で展開される学芸会によって示される。「学芸会」とは「虚構」の…

『アントン、猫、クリ』+

16日に見に行く。 http://kr-14.jp/kr-14web/ フェスティバル全体の初日。作品も初日。 岸井さんの関連企画1997年2月9日の記憶の再生: 21=2009.05.06.−04.16.にちょっとお邪魔してから、公演、トークを見て、近くの居酒屋に流れた。快快を見たことはなくて(…

POTALIVE再考(4)−演劇の形式化2004インデックス−

岸井大輔は、2004年6月に「演劇とは、意識をもった集団が自らを表現することである。」という定義からはじめて、「演劇の形式化」をめぐる考察を書き継いだ。まず、最後に書かれた結論と展望を引用する。 今月考えたのは、大きく2つです。1つは、集団と、…

「百軒のミセ」を記録する

「百軒のミセ」はなんだったかについて考えている。参考資料として、POTALIVEを船橋に呼んだ下山さんが「百軒のミセ」関連で書いたエントリーをまとめておきます。 ポタライブの前の腹ごしらえは、岸井さんオススメのカレーのお店「フラヌール」。登戸、向島…

POTALIVE再考(3)

ポタライブは、町を舞台にして、町の特定の場所でパフォーマンスが行われる。でも、野外で公演を行うことが目的ではない。むしろそれは手段とも言うべきだ。何のための手段かといえば、あくまで、演劇のため、だろう。岸井さんは次のように言っていた。 サイ…

『伝わる・揺さぶる!文章を書く』を読む読書会

小手川望さんと読書会を企画しました(偶然ファーストネームが同じになった)。 以下、ご案内。どうぞお気軽に、お問い合わせください。 「『伝わる・揺さぶる!文章を書く』を読む」 伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)作者: 山田ズーニー出版社/メーカ…

POTALIVE再考(2)

POTALIVEとは多義的な言葉である。狭い意味では「お散歩しながら見る演劇」。でも、「百軒のミセ」は狭い意味でお散歩する演劇だったわけではないのに「POTALAIVE」作品と名指されていた。そのことの意味を考えているところだった。ポタライブについての岸井…

アラン・プラテル/見なかった記念に

私は見に行かなかった。見に行った人たちの文章。 快癒を求める人々。ストリート・ダンサーのようなアクロバティックな踊り。白人も東洋人も南方人もいる。人に触れていやされようとしても震えはとまらない。裸になって身体をたたく。動きはねじれる。思わず…

『日本語が亡びるとき』を読みなおすためのレッスン#2

ウィーンもまた呼び売りの街である。さまざまな物売りや移動する手工業職人たちが路上をやって来る。大きな声を張り上げて「のこぎりの目立て!のこぎりの目立て!」と呼び立てながら、のこぎりの目立て師が流してくる。注文があると、さっそく中庭に道具を…

『日本語が亡びるとき』を読みなおすためのレッスン#1

日本を遠く離れて暮らす日本人が、その超えがたい距離の意識ゆえに日本を懐かしく思い、日本語が自分にとってかけがえのない何ものかであると信ずるに至るといった事態がいかにも胡散臭いのは、一時的に奪われた状態にすぎない欠落を一つの絶対的な選択であ…

『ニセS高原から』を全部見ておいて良かった

こんど蜻蛉玉の公演がある。そこに岸井さんもトークの相手として出演し、ポタライブも披露するということを『百軒のミセ』の打ち上げで知ったのだけど、この機会に見に行ってみることにした。http://www.tonbodama.org/蜻蛉玉と言えば、ニセS高原で見て以来…

POTALIVE再考

久しぶりにワンダーランドで記事書きました。岸井大輔新作、『play away』評。 『play away』の上演は、数時間の打ち合わせによって固まったシンプルなコンセプトと、いくつかの決め事、簡単な段取りだけで組み立てられた作品を展開してみせたもので、空間は…

が補完されることについて

えーと、このあいだエイプリルフールのパロディ記事として、『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読んであれこれ考えていたときに浮かんだ妄想を書いてみました*1。 要は、日本語補完計画がないんでしょ? - 白鳥のめがねそれで、パロディ記事として、…

要は、日本語補完計画がないんでしょ?

このあいだ、「簡体字は便利だから使ってみよう」、という記事をたまたまみつけて読んでみた。 グローバル化によって中国国内の情報もそのまま伝わる時代。中国の漢字もよく目にするようになった。だが、その字体は簡体字(かんたいじ)といって日本の漢字と…