アノニマス舞踏会3 雑感

PASがらみの縁で長谷川六さんからご招待いただき、東京ダンス機構主催の「アノニマス舞踏会3」を見てきた(木曜日の回)。
http://blog.goo.ne.jp/pas_2007/e/b31f087b7b186aa2686755dd2381fd07

Homage to [a] Life2009-2

今回のお目当ては小川水素さんだった。初めてみたのだけど、武藤大祐さんが小川水素の夏の公演を好意的に受け止めて特異な試みと評価しているのが気になっていたのだった。

ガチの知性は、だいぶ終盤に近づいた頃、一人のダンサーが舞台上を一定速度で歩き回り、それを脇からもう一人がずっと追尾して行って、さらに追尾する人が二人三人と増えて行くシーンではっきりと輝いていたように思う。:::中略:::導いていた側(リーダー)が、追随する集団(フォロワー)によって逆に行動を規定されるようになり、ひいては集団の中に呑み込まれて、誰が主導権を握っているのかすら見えなくなっていった。:::中略:::これを見ながら、「組織論」「集団論」というのは振付家の重要な仕事であり得るんだと気付かされ興奮を覚えた。この領域、いま誰もやってないんじゃないかと思う。
小川水素:Homage to [a] Life 2009 『Stand!』 - dm_on_web/日記(ダ)

今回の上演は武藤さんが分析している上演と同じタイトルで、同じシリーズ演目ということらしい。僕が見られたのは上演者が3人で20分ほどのバージョンだった。無音の状態で、まっすぐ直立したまま、腕などは肩から自ずと下がるままにして、一歩踏み出す動きの繰り返しで3人のフォーメーションを変えていくというものだった。

武藤さんが見たものがどんなものだったのか、その感触は大体わかった。中盤退屈してぼんやり見ていたけど、たとえば三人が一列になって、ワイパーのように、回転軸の位置にいるパフォーマーの動きにあわせて残り二人が前に進む動きが、ひとつの線の旋回のようになるといった運動において、確かに、外から振付けられた恣意的な動きではなく、個々の間の空間と関係のルールから動きの質が立ち上がってくる印象があって、面白い、とかすかに思った。

たとえば、神村恵と手塚夏子の共同作業とかその周辺で起きているルールとパフォーマンスと身体の現れ方の探求と、小川水素の試みは、明らかに同時代的だと思うのだけど、それぞれにどういう風に位置付けられるのだろうか、と帰り道に考えた。系譜関係はさておき、神村さん手塚さんのそれぞれが別のレイヤーの試みをしつつも、さしあたり個と対という範囲に限定した身体的探求を進めているのに対して、小川さんは、武藤さんが言うように、集団というレベルで探求を進めていて、いわば、反対側からトンネルを掘っているのだな、と納得した。これらの探求が、すれ違うのか、相互に刺激しあうことになるのか、まだまだ先はわからないけど、5年後くらいに状況を大きく変える潜在性の豊かさがある鉱脈を相互に掘り進んでいるのではないか、という印象もある。

金野邦明「群舞のための習作」

三人の女性ダンサーと男性ダンサーひとりによる群舞作品。ゆるやかな動きをすこしずれながらそれぞれのダンサーがなぞっていくようなある種ミニマルな展開だった。アンビエント風の音楽も金野さん自身によるものということ。ある種、古典的な様式性を持った群舞の構成を目指していて、来年上演したい作品のスケッチという位置づけになるらしい。
金野さんはPASの縁で何度か見させていただいていて、「ザッシュ」名義の活動の前だったか、たしか池袋の芸術劇場でやってたTOKYO SCENE で「やまたいこく」とかって名前の女性ダンサーと一緒にやった二部構成の作品(前半デュオで、後半はコントラバス生演奏も含めてダンスシアター的な展開になる)はとても素晴らしかったのを覚えている。ダンス公演としては、生涯ベスト10に入るくらいの素晴らしさだった*1

その後の金野さんは、いくつか秀作を残しながらも、正直そんなにパッとしなかったと思うのだけど。地味に良い作品を残すダンサー・振付家として、今後も見守りたい。

中島松秀(NaNa Dance Company)Work in progress

男ひとり、女性ふたりのダンサーが、顔もおぼろに区別できないようなうす暗がりの無音の状態で、ゆっくりと動くように始まる。コンタクトインプロなどをベースにしながらも、センスの良さと緻密な構成力を感じさせる展開で好感を持った。
集団即興的に作品を作るプロセスの中で、暫定的にまとまったシーンをラフに見せるという感じだったそうだけど、そのラフな感じがよかったのかもしれない。照明の暗い感じも、僕はいいと思った*2

はじめは、かがんで手のひらを指先を後ろに向けて床に押し当てるといったささいな動きの断片みたいなものをゆっくりと共有して並べたりするようなゆったりとした展開で、その雰囲気はとても一貫した動きの調性を守っていたように思った。途中、足早に三人が舞台を歩き回るシーンがあり、最後には、それぞれに即興的にスピーディーな動きで跳ね回り踊りまわる展開で終わった。

経歴を見ると、中島さんはNYでダンスを学んでいたらしい*3
ある種、コンテンポラリーダンス保守本流の最新バージョンという風な印象も持った。アメリカ的なモダンダンスの伝統をヨーロッパからのリアクションも吸収した上で継承している欧米ダンスの最新モードをそのまま日本に持ち帰って展開しているっていう感じだろうか*4
今のダンス批評のモードだと、逆に高い評価は得られない感じもするけど、地道に続けてほしいと思った。

この日ほかにもあれこれ出し物があったが、特にここに書き残しておきたいような特別な印象は受けなかった。それは、私の個人的な偏りの結果に過ぎないかもしれない。

*1:PAS関連の記録を探せば上演記録がちゃんとあるのかもしれないがうろおぼえのが申し訳ないが、なんで自分で記録しなかったのか、もったいなかった。あのころ「ルーシーの食卓」とかPAS周辺の企画でいろいろ素晴らしい作品を見たのに、メモも残してないので、舞台のイメージは脳裏に鮮明に残っているのに、誰の作品か作家名を思い出せなかったりする。知られざる名作とか、素晴らしいセンスの振付家たちが、十分なインキュベーションの場を与えられずに、試みの奇跡を流れ星のように残して、シーンから去っていったことを、すこし悔しいような気持ちで、思い出す

*2:終演後のあいさつしてるところで金野さんが「もっと明るくみたかった」と言っていて、振り付け家としては当然の要求だったかもしれないけど「打ち合わせも不十分だったので明日はもっと明るくしてみます」とか言っていて、それは個人的には暗いのが気に入っていたので残念におもったりした

*3:ICiT Dance Salon in RAFT フリンジ : RAFTの日誌*いかだの上で* HP→http://raftweb.info/

*4:ヨーロッパとアメリカの相互影響関係からモダンダンスは成立していったのだけど、モダンダンス以前、以降にわたった、大西洋をはさみ、アメリ東海岸と西海岸の往還も含んだ、モダンダンスの大きな流れの、アメリカと西欧の相互影響の系譜と、そこにあるさまざまな揺れ動きというものを考えてみるべきなのだろう