カタカナの話―近代日本語に弔いを・番外編―+

私も片仮名は廃止してalphabetを使うのがいいと思ってますけど、次のカタカナについての話は歴史的に考えると不十分で間違った説明だと思われるのでちょっと補足しておきたい。

「かつてカタカナは、漢文を読み下すのに使われていた文字で、男・権威のある人が使うカナであったのに対し、ひらがなは女子供の文字だった」という話を読んで納得した。
国家生き残り戦略としての日本語リストラ - michikaifu’s diary

毎度おなじみ網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす』にこんな話が載っています。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

残存している日本の古文書の類は、とくに室町以降はかな交じり文が半分以上になるそうなんですが、片仮名を使った文書は1%から2%くらいしか残ってないそうです。

このような少数派の片仮名は、どういう用途で文書に使われているかということですが、基本的には、口頭で語られることばを表現する場合に使われていたといえます。しかも口頭で語られることばが文書にされる場合は、中世前期ではしばしば神仏とかかわりを持つ場合が多いのです。
 たとえば神に何事かを誓う起請文、告文(こうもん)、あるいは神に願いごとをする願文、あるいは逆に神の語る託宣を書いた託宣記、あるいは夢を見たときすぐにそれを書き記す夢記などのように、神仏とかかわりを持ち、しかも口頭で語られたことにかかわる場合に、片仮名が顕著に使われていることがはっきりいえると思います。(ちくまプリマーブックス pp.19-20)

ほかに、地名や人名を聞き取って書く場合、訴訟などで口頭で読み上げたり、言われたことを記す場合、片仮名が用いられたと網野さんは書いています。つまり、音を写すのが片仮名、という風に用いられていた。それを思うと、外国語の単語を片仮名で書くことも伝統に則ったことと言えるかもしれません。

片仮名は主に寺院で使われていたそうで「漢文を読み下すのに使われた」というのは間違いではないだろうけど、そこに「音を写す文字」としての認識が受け継がれていたらしいこと、訴状の類を書くのに庶民も片仮名を使うことがあったことなどを押さえておくと良いみたい。

ひらがなは女の文字というのは、平安時代にはそうだろうけど*1、網野さんによると、中世以降は漢字ひらがな混じりの文が公的な文書でも使われるようになるとのこと。ここで面白いのが、ひらがなは、音を写す文字ではなくて、あくまで文を書くための文字として位置付けられてきたのだろう、という点ですね。

明治以降の一時期、小学校でひらがなより先に片仮名を教えるということがあったそうで、百姓が書いた書状を、ひらがなを知らなかったから片仮名で書いたと解釈するような誤った先入見を生んだのではないかということを網野善彦さんが書いている。

明治以降片仮名を使う頻度が増えるということは、ひらがな=書記言語だった言葉の世界を破壊するような、ある意味、音声中心主義的な改革でもあったのだろうし*2、その国家的な文化革命によって見えなくなった日本列島の書記言語の世界があったのだろうな、という風なことも思う。

明治憲法とか法律の条文、あと軍人手帳なんかに片仮名が使われたことの意味を、メディアの歴史として振り返るって仕事は、どれだけ進んでいるか知らないけど、そういうところにも反省材料というのはころがっているんだろうと思います。

余談1

伸ばす音を「ー」で示す棒引き表記は明治期に教育現場で採用されたことがあったけど、結局定着しなかったという話を以前も触れました。

水村美苗は明治以来の表音主義を批判する上で「ひょーおんしゅぎをてーしょーします」という表記がまじめに唱えられたと揶揄的に表記してみせているが、築島氏の著作を見ると、こういった表記が「棒引き仮名遣い」として明治37年から44年までの6年間国定教科書で使われた、と述べられている。
近代日本語に弔いを(8)−国家と仮名遣い− - 白鳥のめがね

戦前に様々に試みられた「国語改革」が、結局、戦後的な「現代仮名遣い」に落ち着いたことは、単に上からの押し付けとは言えないのではないかと私は考えています。戦前の国語改革運動は単に学者の議論だけじゃなくて、一般人も参加した運動が様々にあったわけで、もちろん敗戦という事実は大きいでしょうが、戦後的な「国語」が定着する上で、ある種の自発性も働いていたのだろうし、そこに一定の「民意」が反映されていたことも間違いないことだと思う。

しばらく、国語改革論は反復されるでしょうが、そうしたときに、戦前の様々な国語改革の運動がなぜ成功しなかったのかを振り返ってみるべきだろうし、そこで、戦前的な口語短歌だとか、自由律俳句の運動なんかが、どういう運動としてあったか、そして、いかにして忘却されていったか、ということを振り返っておくべきなのだろうと思います。

余談2

あとid:otsune さんがコメント欄に旧かな旧字で書いてますが、これ、自動変換じゃないかなですね*3。表記うんぬんの話は、読み書きの学習をどうするかという話とあわせて、メディアにどう提示するかというレベルの話もあって、たとえばWebだとかコンピューターを前提にしたメディアでは、文字列はいかようにでも自動的に再編集できるってことも含めて議論されるべきですね。フォントの問題とかデザインの問題からアーキテクチャーの問題系まで広がっていくし、コンピュータを使った学習支援の話までつながるはず。

※参考
http://www.adaptive-techs.com/tagengorubi.html
2009-04-29

そういえば、文字化けに文学者とか芸術家が注目してた一時期があったけど、最近はあまり注目されないのかな。文字化け文化論って何か良い記事あるのだろうか。

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(追記)コンピューターで文字列変換できるあたりの話を加筆。こういう話、すごく奥が深いので、勉強しようかな。

*1:平安時代でも、男が女性に手紙を書くときにはひらがな使っていたそうだ。だから、男女の区別、それぞれが使う文字の区別が、単に性別じゃなくて、公的世界と私的世界の区別に重なっていたということが重要なことなのだろう。

*2:ブコメで「近代日本で教科書とかの硬い文章では漢字と片仮名で書かれ、外来語はひらがなだったのはなんだったのか?」という指摘をもらった。このあたり、要確認・要検討ですね。いずれにしても、明治以降ひらがな片仮名の使い分けルールがそれ以前とは別のものになったということは確からしい。

*3:はじめ「自動変換じゃないかな」と書いたら、otsuneさんから、ブコメで「もちろん!」とお答えがあったので加筆しました。