2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

山本健吉『詩の自覚の歴史』/人の孤独と小さな舟と

今までこのブログで何度か万葉集について触れた。例えば、吉増剛造がどんな風に万葉集を読んでいたかについて言及した次のエントリーとか。 近代日本語に弔いを(6) −残された音の痕跡− - 白鳥のめがね でも、万葉集について触れても反応が薄いので、ちょ…

堀田善衛 定家卿を読む

『新古今』がわかっていないとわからない感受性の領域があるようだ。万葉集は、その冒頭の幾首かをただ読むだけで意味がわからなくてもその響きのうねりにただ事ではない魅力があるのはわかるし、古今集も、通俗的なり教科書的なり、王朝文化のイメージを元…

蕪村 闇

古典を読むというのは、読まれてきた古典を読むということで、古典が残されてきた歴史を抜きには読めないということでもあって、自分と原典の間にいる人々の多くがずいぶん昔に死んでしまっていたりする。その間に無数の消えていった文字がある。*1与謝蕪村…