近代日本語に弔いを 2.21/天神様という人は

僕が小学校に入学したとき、まだ明治時代に建てられた校舎が残っていた。鉄筋コンクリートの校舎が一棟だけ建っていたけど、体育館も戦前から建っていた木造の建物で、踏みしめられた木の板のつやつやとした感触と、すこし薄暗い雰囲気を覚えている。それが、卒業するときには、全部、新しく立て替えられていた。

同世代であっても、たとえば戦後に作られた空間の中で育った人たちとは、自ずと身体になじませたものや感覚の仕方が違うのだろうな、という風なことを考えるのは、もっと後、大学を出てからのことだ。

ところで、小学生の頃に毎年冬になると、天神様のお祭りというのに出させられていた。いわゆる、天神祭とか天神講というものなのだろう。ネットの辞書で調べると「菅原道真の命日二月二五日」に開かれる云々と書かれているので、その時期だったのかもしれない。

それは、子どもだけが歌をうたいながら列をつくって町を練り歩くお祭りで、公民館に集まって何か地元のおじいさんによる道徳訓話みたいなものも聞かされたような気がする。

その歌というのは、「天神様という方は、御名は菅原道真公、学問深く、徳高く、云々」*1と続くもので、「時の大臣時平に」よって大宰府に流されてしまうといった菅原道真の生涯を物語っていくものだった。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/87/Sugawara_Michizane.jpg/240px-Sugawara_Michizane.jpg*2

天神信仰といっても、中世に遡るような「御霊信仰」的なものではなくて、儒教道徳的に菅原道真を顕彰するというものなのだろう。その天神様の歌も、忠誠を褒め称える内容であったような気がする。

江戸時代には寺子屋などで天神講が行われたというから*3、僕が参加させられていた天神様のお祭りというのも、そういう江戸時代の何か寺子屋的なものの系譜が続いていたということなのだろうと思う。

さて、菅原道真というと、NHK教育の『ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」 第5回 日本海の道 〜幻の王国・渤海(ぼっかい)との交流〜』で紹介されていた話が面白かった。
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第5回
日本海経由で平安京まで訪れた渤海からの使節団が帰国する際の宴席で、菅原道真渤海の知識人の間で、別れを惜しむ漢詩のやりとりがあったのだという。

渤海なんていうと、世界史の歴史地図でそんな名前も見たな、くらいな認識だったけど、渤海という国は、近代国家につながらずに消えてしまったので、Nationalisticな歴史観からは、脇におかれてしまうということもあるのだろう。この番組を見るまで、渤海と日本との間に、そんな交流があったとは知らなかった。

そしてまた、まだ藤原氏が全盛とはならない平安時代前期というと、歴史の授業から残ったのは「国風文化」が花開く前の時代というような、あまりイメージがわかない感じで、なんといっても清少納言紫式部が活躍するのが平安時代の中心というイメージを持たされてきたような気がする。これは、単に学校の授業がそうなっていただけでなくて、テレビだとかマンガやティーン向け小説なんかのサブカルチャーでも、そういうイメージが大きいと思う。

万葉集の後、しばらくは漢詩文が全盛となって和歌は私的な世界にとどめられていた。その頃のことを指して、「国風暗黒時代」と呼ぶ言葉があったそうだけど、これなどは、まさにNationalisticな仕方で、ある時代の文化をまるごと影に隠してしまうようなものだ。

Nationalisticな歴史観からは見えてこない、平安前期の国際性や、そうした時代の感受性を探ってみたいと思うとき、菅原道真という人がひとつの象徴のように浮かび上がってくる。平安時代の中期以降、藤原氏が台頭することで、古代律令制は骨抜きにされ、私的な領域が政治に紛れ込んでいく。荘園による土地の私的所有が拡大することと、privateな文字だった「ひらがな」による文学が花開くことの間には、平行関係があるだろう。

単純に図式化すると、菅原道真を失脚させることで台頭する藤原氏というのは、公的なものと私的なものとの交代劇であるようにも見える。ここでも、狭い意味での「日本的」な制度が、もうひとつの日本を排除することで、成立してきた、そういう歴史が描けるような気がする。

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*1:なんとなく、「天神様という人は、その名は菅原道真公」という歌詞だったような気もする。ので、タイトルはそっちに変えた。でも、「方」だったきもするので、本文はそっちにしておく。

*2:写真:菅原道真 - Wikipedia

*3:http://sky.geocities.jp/sk291006/rekisi/rsanpo2/dai13wa/index.htm