近弔

近代日本語に弔いを 2.212/日本文学は日本語文学なのか?

江戸後期から明治前期までを「漢文脈」が隆盛したひとつの時代として括ることができるようだ。 近代日本語に弔いを 2.211/ドラマ『坂の上の雲』から読み替える近代 - 白鳥のめがね そのあたりの話を、『漢文脈と近代日本』を抜書きしながら紹介したい。漢文…

近代日本語に弔いを 2.211/ドラマ『坂の上の雲』から読み替える近代

『坂の上の雲』がNHKでドラマ化されて最近放映されている。司馬遼太郎が書いたこの小説にはナショナリズムを煽るところがあるのは、すでにあれこれ批判済みのことだけど*1、ドラマにおいても、温和でエレガントな演出ながらナショナリズムの再生産はしっかり…

近代日本語に弔いを 2.21/天神様という人は

僕が小学校に入学したとき、まだ明治時代に建てられた校舎が残っていた。鉄筋コンクリートの校舎が一棟だけ建っていたけど、体育館も戦前から建っていた木造の建物で、踏みしめられた木の板のつやつやとした感触と、すこし薄暗い雰囲気を覚えている。それが…

近代日本語に弔いを 2.2/もう誰も読まない石碑

自分は幼いころ、鳩ヶ嶺八幡宮という神社の境内の脇にある家に暮らしていた。神社の境内が遊び場だった。 *1住んでいたのは木造二階建ての古い建物だった。物心ついてから聞いた話によると、昔は神社の参拝客のための宿舎になっていた建物が、借家として貸し…

近代日本語に弔いを 2.14/晴れやかな姿勢だった+

祖父が生きている間は、祖母に訊ねて思い出話を聞くということをしなかったのは、やはり家を代表していたのが祖父であり、祖母は家の奥に一歩下がるようにして家事に勤しんでいたからなのだろうか。祖母の家の古いアルバムを見せてもらったのも、祖父が亡く…

近代日本語に弔いを 2.13/谷間に響く詩吟の近代

祖父が亡くなった後のしばらくは、田舎に帰るたびに、祖母にあれこれ質問して、祖母の思い出話を聞くことになった。祖母の思い出話のなかにこんなものがあった。小学校の先生のひとりが、職場である学校の行き返りに、いつも朗々となにかの漢文を吟じていた…

近代日本語に弔いを 2.12/祖父の筆跡

(承前)近代日本語に弔いを 2.11/祖母と台湾の日本語 - 白鳥のめがね祖父からもらった手紙のことを覚えている。 それは、高校を卒業して、松本で浪人生活を送っていたころのことだ。大学受験予備校の斡旋で、まかないつきの下宿で生活をしていた*1 祖父は…

近代日本語に弔いを 2.11/祖母と台湾の日本語

(承前)近代日本語に弔いを 2.1+ - 白鳥のめがね祖父が祖母と結婚したのは、南方の戦場から九死に一生を得て帰還した後のことだった*1。中学生の頃、長期休暇には生活記録の類を提出することが課せられていた。そこに保護者欄があって、コメントを書いても…

カタカナの話―近代日本語に弔いを・番外編―+

私も片仮名は廃止してalphabetを使うのがいいと思ってますけど、次のカタカナについての話は歴史的に考えると不十分で間違った説明だと思われるのでちょっと補足しておきたい。 「かつてカタカナは、漢文を読み下すのに使われていた文字で、男・権威のある人…

近代日本語に弔いを 2.1+

網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』は、日本語と文字の歴史を振り返ることから始まる。そこに、こんな気付きが語られている。 私は全国の江戸時代の古文書を仕事の必要から見ており、それを読んで筆者をしていたりしたのですが、ごく最近ふっと、なぜ自分…

近代日本語に弔いを 2.01

近代日本語に弔いを 2.0 - 白鳥のめがね を書いたら、次のような反応があった。 「死者は心の中に居る」が常套句である今、弔ふ=死者の靈魂を慰めると云ふ言葉は生きてゐるのか。それともこの場合悲しみの意を表してゐるのか。或は懷かしんでゐるのか。それ…

近代日本語に弔いを 2.0

去年の年末から春ころにかけて「近代日本語に弔いを」というシリーズ記事を9本書きました。 近代日本語に弔いを(9)−「文(かきことば)」の演劇− - 白鳥のめがね 私のこの散漫なダイアリーにしては、ちょっとばかりintensiveなシリーズになっていた気がす…

近代日本語に弔いを(9)−「文(かきことば)」の演劇−

演劇作家の岸井大輔さんが、『日本語が亡びるとき』について次のように書かなかったら、ぼくは『新潮』に先に載った三章を読んだだけでおしまいにして、この本を手に取ることもなかっただろう。 水村の叫びに応える責が私にはあるだろう。文学の中でも演劇で…

近代日本語に弔いを(8)−国家と仮名遣い−

*1 歴史的仮名遣いがどのように成り立ち、普及したのかについて私が知っていることといえば次の本を読んだくらいのことだ。歴史的仮名遣い―その成立と特徴 (中公新書)作者: 築島裕出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1986/07メディア: 新書購入: 1人 クリッ…

近代日本語に弔いを(7)−複式夢幻能としての『日本語が亡びるとき』−

『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を評論ではなく創作として読むということでは次のような文章が書かれていることを後で知ったのだけど、 水村美苗の新作小説『日本語が亡びるとき』は、作者の二作目の小説『私小説 from left to right』を参照する形…

近代日本語に弔いを(中休み)

著者の近刊『日本語が亡びるとき』は〈日本語論〉として読まれ、論じられている。これは、『続・明暗』を夏目漱石の作品として読み、水村美苗が書いた〈結末〉に対して、「漱石が物語をこんな風に終わらせたなんて許せない」等々と一喜一憂するのに等しい。…

近代日本語に弔いを(6) −残された音の痕跡−

*170年代初頭、30歳を過ぎたばかりの吉増剛造が万葉集を読む。 昭和三十年代後半に青春期をむかえたものの例にもれず、ロックの発生期あるいはモダンジャズの世代であり、(略)・・・朝にモダンジャズを聞き、「万葉集」を読んで巻三の「みつみつし久米の若…

近代日本語に弔いを(5)−母国語と母語−

国家と言語っていったらまず田中克彦でしょ。でしょ? 田中克彦(社会言語学) 「言葉は単なる人間の道具ではない。」 それを万感の思いで語るのは、社会言語学者、田中克彦だ。70歳を過ぎた現在も、世界各地の様々な民族をフィールドワークし、その言葉を研…

近代日本語に弔いを(4)−言語があるとも言えないのに−

なんだか『日本語が亡びるとき』をちゃんと読んでみようかと思い始めた私ですが、「近代日本語に弔いを」と言うからには、比喩的にであれ、近代日本語というものがかつて生きていて、あるとき死んだ、と述べていることになります。日本語が亡びるとき―英語の…

近代日本語に弔いを(3)−残された文字は死なない、消え去るだけだ−

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/24e707ffa42cb9da8fd0b58857c79e0b 日本語が亡ぶっていうメタファーはあいまいすぎるので、「近代日本語」はもう亡んでいるけどその亡霊がさまよっているのだっていった方がわかりやすいという記事を書いたのでした。 近…

近代日本語に弔いを(2)−近代日本亡霊−

私も、水村美苗の『日本語が亡びるとき』は新潮9月号でしか読んでいなくて、その先を読みたいとは思わなかった。ネット上の議論とかを見れば水村の主張の概要はわかる。 『日本語が亡びるとき』を読まずに騒動だけ見た感想 - ARTIFACT@ハテナ系 多分、評論と…

近代日本語に弔いを(1)−公用語のリアリティ−

水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』をめぐる議論に関連して、私でも思いついたことを幾つかメモします*1。 フランスが消滅してもフランス語はケベックやアフリカで細々とではあるが生き残るだろう。 404 Blog Not Found:日本語は誰のものか? 弾さんがあえ…