台車舟にのる/台車プロジェクト顛末記+

岸井さんの「墨東まち見世ロビー」の企画には注目してきた私なので、「スキマ(仮)」の案内をもらった時、OVAと岸井さんが組むなら面白そうだと、あまり良く考えずに参加するという返事を送った。
門脇篤「墨東まち見世」行き多文化台車出発模様 | cream ラボブロ!!
PLAYWORKS#2『東京の条件workシリーズ』by岸井大輔

ART LAB OVAツイッターもフォローしていたので、台車をまち見世ロビーに運ぶ企画がツイッター上のつぶやきをきっかけにして立ち上がっているのもなんとなく知ってはいた。

若葉町移送台車プロジェクト:ヨコハマ国際映像祭~墨東まち見世 | cream ラボブロ!!
ボランタリーライフ.jp - 街を美しくする会 -

墨東まち見世の屋台の活動にインスパイアされて、会期が終わったCREAMの会場から展示されていた台車を墨東までもっていこうというアイデアが生まれて、それがtwitter上でいろいろ肉付けされることになったといういきさつのようだ。会期後、行き場をなくした台車を捨ててしまうのもしのびない、という思いがそこにあったようだ。

ヨコハマ国際映像祭「CREAM」のラボスペース企画とかというものにOVAが参加しているのも知ってはいたけど、企画の詳細を把握しているわけではなかった。

よくわからず、11時にロビーに来てくださいと言われてロビーに行くとちょうど開店しているところだった。はじめは、13時に吾妻橋と聞いていたのだが・・・・。着いてみると、どうも台車が遅れるらしいというのでツイッターを見てみると、OVAツイッターが#daishaで、台車の現状をつぶやいているのを見つけて岸井さんに「こんな状況みたいですよ」と携帯電話のモバツイッター画面を見せる。苦笑する岸井さん。「これは時間に間に合うはずも無い。そもそも一人で一晩台車押すっていうのが無謀なんだよ。これは男子3人くらいで手助けに行かないといけないね」。

はじめは、まち見世ロビーから宣伝屋台を引いて吾妻橋で合流というはずが、なぜか台車を迎えに行くことに。岸井さんが朝食を食べながらの打ち合わせで、私と岸井さんとまち見世サポーターでまちとアートをテーマに卒論を準備している最中の大学4年生男子A君の3人が救援に向かうことに決まる。現場をこなしてきた岸井さんの采配がこの日のプロジェクトの行く末を決定付けた一瞬だった。僕はおとなしくその流れに乗ることにした。

タクシーで亀戸駅まで飛ばし、総武線京浜東北線快速と乗り継いで救援に向かう。#daishaで門脇さんのつぶやきを確認すると、品川駅に向かう陸橋を国道15号線第一京浜)沿いに進んでいるところだとわかったので、品川駅で下車、駅から国道まで向かって歩いていくと、ちょうど門脇さんが駅前ロータリーの信号で台車を休ませているところだった。

このとき私は門脇さんがどんな人かも知らなかったが、仙台在住だと聞いて、ブログなどを見たことがあったことに後から気がついた。

芝浦のあたりの桟橋が舟との合流スポットだということで、岸井さんと僕と大学生A君の3人で交代しながら台車を引いていく。岸井さんはかなり早足で容赦なく引いていくので疲れきった門脇さんは遅れがちなのだった。

指定された運河脇のあたりに近づくと、中年男性二人が声をかけてきた。そのときには誰かもわかっていなかったが、モダン館の人とY150TVの人だった。このときには、どういうポジションでそこに居るひとかも全然わかっていなかった。
ボートは深川モダン館の人が予算をつけて手配したものだったと後で知った。
http://www.fukagawatokyo.com/2009/11/blog-post_560.html
台車プロジェクト 新港ピアを出発し山下公園へ: Y150横浜市民放送局

さて、ここで、岸井さんはいったん墨東に戻ると言って足早に去っていった。まち見世の宣伝屋台を吾妻橋まで運ぶ算段にかかっているようだ。OVAの二人は桟橋(といっても小さな門があってボートをもやうことができるだけ)のところのベンチにいた。スズキクリさんは手塚夏子さんの舞台で競演されているのを何度かみかけているが、ヅルさんはお見かけするのも初めてで、軽く挨拶したときにはどんな人か知らなかった。小船に屋台と荷物を載せるのを手伝って、私も乗船。
そして門脇さんも次の予定があるということで、岸でボートの出航を見送ったまま、仙台に帰ってしまった。

まさか、東京湾から運河経由で隅田川を遡る寒風としぶきまみれのクルージングをすることになるとは。私はツイッター中継をしながら岸井さんとの連絡をとる係を自ずと引き受けていた(携帯の充電が不十分だったので、舟の途中で電気を節約するためにだいたい電源を落としていたので、そのあとはあまりつぶやけなかったのだけど)。OVAの方ともモダン館の方とも、「おはようございます」と挨拶しただけでとくに自己紹介もしなかったので、なんとなく台車を押してきた岸井関係の人間としてそこにいた。

途中、舟の上から芭蕉庵史跡庭園の写真を撮るとOVAのヅルさんがこだわっていたので、なんのことかと思ったけど、ヅルさんが門脇さんにインタビューしたものがYouTubeにアップされてたのでいきさつがわかった*1

岸井さんが台車を運ぶのに急いでいた理由が舟にのっていてわかってきた。満潮で水位があがると、橋の下を通れなくなってしまうというわけだった。いろいろさまよって、広い水路を通って吾妻橋に着いたときには三時をまわっていた。

そこから、墨東まち見世参加アーティストの拠点を巡り、何軒か立ち寄る。これが台車プロジェクトの受け入れを引き受けた岸井さん企画のメインとなることで、狙いは各会場にCREAMでのOVAの展示の趣旨を説明して、しばらく預かったり、展示してもらえないか、と交渉してまわるということ。「普段まちに無茶振りしているアーティストの側に無茶振りしたらどうなるか見てみたかったんだよ」と岸井さんは言っていた。

展示会場になっている喫茶店で休憩したりしながらぐるりと向島エリアを台車と屋台を引きずって一回りして、まち見世参加作家や運営関連の人たちの意見を聞いたりしながらいろいろな可能性が浮かんだりしている間に初冬の早い日は暮れて、結局、台車をロビーまで持っていくことに決まった。
最後には、OVAのお二人の意向もあって、まち見世期間中はロビーで展示するという方向で話がまとまり、OVAのお二人による展示がなされて、インスタレーション展の格好がつく。


そこで初めて、台車の全貌を理解したのだけど、若葉町という架空の地名を冠して、マイノリティーの位置におかれているエスニックなコミュニティーの生活空間を台車に詰めて展示するというようなものなのらしい。
韓国出身の人とかが向こうのテレビ番組をレンタルして見るということで、そんなバラエティ番組が入ったビデオを14型のブラウン管テレビで流して、その上には韓国産のお菓子とか即席麺の類が置かれている、可動式のインスタレーションなのだった。


展示作業が終わったあと、商店街のお惣菜を食べながらOVAと岸井大輔による、まちとアートの可能性を問いかけるトークがあって、スズキクリさんの、手作り三味線(お菓子の缶に棹をつけてピックアップでアンプにつなげるというもの)の演奏会があり、11時近くまであれこれ「まちとアート」に関わる話が続いたのだった。

そこでの尽きない話は、町に出ようとしてきたアーティストの10年の歴史を踏まえて、さまざまな困難とか具体的な問題とかに及ぶものだったのだけど、岸井さんが、「批評言語とかキュレーションの発想が、まちのアートの進化に全然追いついていない。まちに出ているアーティストの発想や感覚が着実に次の段階に入っているのに、見る側は、まだ町に出ることの本当の困難がどこにあるかわからないままで、まちに出るということだけを珍しがっている状況だ。」とおっしゃっていたのが興味深かった。

実際、この日台車を押した自分の関わり方が何だったのか、この日の台車の運動と決着が何だったのか、参加した自分にとっては自明なことのようにも思えるけど、その意義を一般の人に上手く理解してもらえるという気が一切しない。

ツイッターでゆるやかな連携が生まれて、それぞれに責任を引き受ける人がいて、その場その場で相互関係の中から決定がなされていったということなのだけど、このプロセス全体を指揮した人は誰も居ないし、全部に立ち会った人は誰も居ない。OVAOVAの思惑で動き、岸井さんは岸井さんの思惑で動いて、門脇さんは門脇さんがやりたいことをやった。そこに、モダン館の人が船を用意したりした。
その過程はリアルタイムでネットに発信されて、それをフォローしていた人も居たりした。台車は、横浜市のイベント会場から東京都のイベント会場に移動した。その間に関わった人たちは、行政のすきまで、物を動かしたわけだ。移動したのはOVAの作品だけど、移動している間はそれは荷物だ。その荷物を動かすだけなら、あらかじめ話をつけて、トラックで移送すれば良いことで、べつに徹夜して押して小船に乗せて移動させること自体には特に意味は無い。
台車をあえて効率悪く動かすことの、そのどこがアートなのかと言われれば、それはアートなのかどうかも良くわからないし、ジャンルも不明で、評価の仕方も定まらない。
ただ、こうした形で、物が動き人がうごくことで、複数の文脈がからまりあう場が生まれていたということ、それ自体に、面白さがあるし、それが新しい何かがある場所から生まれるための、種にはならなくても、腐葉土のようなものを醸し出すことにはなっていたのかなと思う。

岸井さんは、「それぞれにやりたいことをやればいい、町というのはそれぞれの人がやりたいことをやった結果としてできている。互いのやりたいことをうまく成立させるには、駄目出しするんじゃなくて、それがクリエイティブになるようなプランをさらに乗っけるように、やりたいことをやっていけばいいんだ」と言っていて「いちばんやりたいことができていないのは大学生で、その次がアーティストなんじゃないか」とも言っていた。

そんなあたりに、美術館(ホワイトキューブ)や劇場の制度からこぼれおちてしまうものを掬い上げる仕方があるらしい。

僕などは、半日台車を押しただけで疲れきってしまったのだけど、こういうことを毎日のように続けるアーティストの皆さんはほんと体力勝負をしてるんだなとつくづく思った一日ではあった。

(追記)下に遠藤水城さんの論考へのリンク追加。
(追記2)蔭山ヅルさんの名前を「ズルさん」と間違って表記していたので訂正しました。失礼いたしました。(12月3日)

※関連動画


台車が船にのる様子を収めたスティッカムログ。
http://www.stickam.jp/video/179513168
http://www.stickam.jp/video/179513202


※関連リンク
まち見世サポーターブログ OVAが船でやってきた!

台車プロジェクト | Flickr
深川東京モダン館@若葉町移送台車 | cream ラボブロ!!

墨東まち見世ロビーにて | 初期型:ある日のまち見世ロビー
まち見世サポーターブログ 23日トーク「地域密着型アートプロジェクトの可能性」
ヘンてこかわいいアートラボ・オーバ

「コンセプト」と「関係」をつなぐ。遠藤 水城:アートポイント計画サイト
遠藤水城さんの名前をCREAMのラボスペース関連で何度も聞いたので、どんな方かと思っていたところだった。この論考、台車プロジェクトを考える上でもとても重要ですね。

関連エントリー
『アーティスト・インの条件』/POTALIVE再考(9)+ - 白鳥のめがね

*1:ここで言っている背後霊とかの話は、OVAがCREAMのラボスペースで知り合いの霊媒師を呼ぶというパフォーマンスというかアートイベントをしていたことに絡んでいる。夜のトークでその辺の詳細を聞いて、もともとOVAに障害児を送り迎えして出入りしていた知り合いが急に霊媒師として振る舞いはじめて、その様子が面白いので「メディア=媒介」として霊媒師をメディアアートの一貫として呼んで来たっていきさつがあったという、そういうこと自体がアートとして成立することの驚きと真っ当さをうまく言語化できないように思う。岸井さんの解説とか、トークOVAのお二人がおっしゃっていたことをまとめると、なんというか、そこから日常の経験の回路から外れた出来事がいろいろ連鎖していく場を設定すること、その枠組みを外れたものを拾い上げて出会わせる手腕において、OVAは傑出しているということになるらしい。