近代日本語に弔いを(5)−母国語と母語−

国家と言語っていったらまず田中克彦でしょ。でしょ?

田中克彦(社会言語学
「言葉は単なる人間の道具ではない。」 それを万感の思いで語るのは、社会言語学者田中克彦だ。70歳を過ぎた現在も、世界各地の様々な民族をフィールドワークし、その言葉を研究する言語学の巨人である。
田中は言う。「言語とは、民族・国家の成り立ちと深く関連する『生き物』、人間は言語によって世界を知覚している」。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20071204.html

田中克彦 - Wikipedia

人がまず身につけるのは「母語」であって「母国語」ではない、といったあたりの話を田中克彦から教わったものです。母語というからには、赤ちゃんが育てられる場所の数だけ、別のことばがあると言ってもいい*1
田中克彦の言語観について、まず手軽に読める本としては、岩波新書のこの本。

ことばと国家 (岩波新書)

ことばと国家 (岩波新書)

田中克彦 『ことばと国家』 岩波書店 1981 – まろまろ記

この「ことばと国家」が世に出たことで日本の国語の教科書から「最後の授業」が一斉に姿を消しました。「フランス語万歳!」と叫んだ「最後の授業」の舞台となった地域で多くの人々が実は日常的にはフランス語ではなくドイツ語の一方言を話していたということがこの本で明らかにされたためです。<名作>とされた小説の裏に、実は民衆を省みないフランス政府による言語統制があった。その事実に愕然とさせられました。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0%E3%81%A8%E5%9B%BD%E5%AE%B6-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%85%8B%E5%BD%A6/dp/4004201756

もうすこし専門的につっこんだ本としては、こちら。

言語からみた民族と国家 (岩波現代文庫―学術)

言語からみた民族と国家 (岩波現代文庫―学術)

学生さん(当時)が全体の内容を詳細に要約している。

言語に関する規範は権力機構を司ってきた男性エリート(略)によって形成された。このような風潮は、口語文が文語文の崩れであるとする考え方などから見てとれる。(略)この規範を少しでも外れたものを「乱れた」と評価してきたのが、標準語以外の母語を卑下してきた日本の国語教育だった。

(略)日本の場合、明治政府が国語教育を学校という教育機関に委ねて以降、標準語という国家権力が作ったことばが圧倒的に浸透した。標準語には、漢語による借用語が多分に含まれていた。江戸から使われていた口語は減少させられ、親元で使っていた口語は「片言」だとされた。(略)こうして書きことばを中心とする標準語と、日常生活の中で培われる話しことばとの間にへだたりが生まれた。

(略)近代国家は、万人に言語能力があるという前提にたっている。実際は、その普遍能力の具体的実現としての個別言語は、特定地域や特定階層に結びついているので一様ではない。しかし、この仮定が、単一のことばによって形成される法律という体系の成立に根拠を与えている。そのため、国家は単一のことばを求める。

田中克彦氏シリーズ - 言語と経済と政治と私


田中克彦水村美苗でぐぐってみてもあんまりヒットしないな。みつかったページで面白かったのがこちら(田中克彦の名前はちらっと出てるだけですけど。)。

あべ:(略)「「日本語」なんて どこにあるんですか。日本語こそ、想像上の幻想にすぎませんよ。家族的類似による「日本語」の ぼやけたイメージが あって、そのイメージに そっていることばを 「日本語」だと 認識するのでしょう。だから、さきに「日本語という実体」を 想定してはいけないのです。」ということになるでしょうか(略)。

やすえ:てゆーかさ、ましこ・ひでのり『増補新版 イデオロギーとしての「日本」』とか 鈴木義里(すずき・よしさと)『つくられた日本語、言語という虚構』で きっちり整理されてるわけで、いまさら どうこう議論したって くりかえしになるだけよね。
2008-11-10


田中克彦っていうと、伊藤比呂美がどれかの本に解説をよせて「ドリトル先生みたいな人」って書いてたな。その後対談が本に収録されたりしているようだ。

前提の確認作業ばかりでなかなか本題に入れませんね。まあ、しばらく地味に続けましょう。

以下、メモとして関連リンク
言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。 - hituziのブログ 無料体験コース
http://piza.2ch.net/log2/gengo/kako/953/953745027.html
http://piza.2ch.net/log/psycho/kako/949/949160027.html
http://www8.atwiki.jp/arbazard/pages/234.html

*1:追記 hituziさんの記事にリンク張っておいて、「人」ってこういう風に言っているのは軽率すぎるって後で思いました。聴覚や言語能力の「人としてのふつうさ」を前提にしてしまっているわけで。そのあたりもうすこし慎重になってしかるべきだなとわれながら思います