近代日本語に弔いを(7)−複式夢幻能としての『日本語が亡びるとき』−

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を評論ではなく創作として読むということでは次のような文章が書かれていることを後で知ったのだけど、

水村美苗の新作小説『日本語が亡びるとき』は、作者の二作目の小説『私小説 from left to right』を参照する形でのメタ私小説となっている。アメリカで生活しながらも英語に馴染めず、日本語にこだわり続ける主人公が、日本にもどって作家となり、その後どのような考えに至ったかを、主人公の立場から評論のような形式で語っている。
小説『日本語が亡びるとき』を読む - tatemuraの日記

件の本を読み通す前にこんな風に書いていた。

水村美苗が書いていることは、夢幻能のシテのようにして、もはや過去のものとなった近代日本文学の理念を呼び起こそうとすることなんじゃないか。水村美苗は既に亡んでいる大日本帝国の文学の依り代となって、叫んでいるということではないか。
近代日本語に弔いを(2)−近代日本亡霊− - 白鳥のめがね

読み通してみると形式的に実に見事に複式夢幻能みたいに思えた。日本語論がフィクションとして成り立つということを説明する上では、小説になぞらえる以上に、夢幻能になぞらえることの利点もあるだろう。

そのことをもう少し詳しく説明しておこうと思う。
まず、能について。

複式夢幻能とは、簡単にいうと、次のようなものである。まず前段では、旅の僧などに扮したワキが里人と出会い、土地のいわれやゆかりの人の消息を問う。里人は、問われるままにいろいろと応えるが、これに脇が興味を覚えたところで、実は自分がその話題の主の幽霊なのだといって消える。後段では、ワキが読経したり、まどろんだりしているところに、当の亡霊が現れて、生前の苦しみや思い出を語りつつ舞い、最後には成仏するというものである。
世阿弥の夢幻能(敦盛を例にとって) (壺 齋 閑 話)

ワキとかシテという能の用語になじみのない方のために若干説明を。

能の主人公は「シテ(為手、仕手)」と呼ばれる。多くの場合、シテが演じるのは神や亡霊、天狗、鬼など超自然的な存在である(略)

シテとともに能に不可欠な登場人物がワキである。(略)ワキはシテの思いを聞き出す役割を担う。その為、ワキは僧侶役であることが非常に多い。また、その役割は上記のとおり一方的にシテの言うところを受けとめるものなので、舞台上で華々しい活躍を見せることはめったにない*1

能 - Wikipedia

主人公が前段で「里人」など、現世の人として現れるとき前シテ、後段でかつて生きていた霊としての姿をあらわすとき後シテ、と言うようだ。
日本語が亡びるとき』の場合、ワキの役を、梅田望夫小飼弾が担ったのだ、Webという舞台の上で、とでも言えようか。

複式夢幻能の演目として、「井筒」を例に挙げておきたい。

前シテが静かに登場。秋の夕べ、寂しい寺に一人回向をする優美な女性の姿である。僧がこれに問いかけると、美女は井戸の水を塚にかけつつ、自分はこの近在の者である、ここはかの業平夫婦が住んでいた場所であるから、回向しているのだと答える。それにしても随分昔の話ではないか、今になって墓参するとは奇特なことだ、何か縁があるのでしょう、と僧が問うが、女はそれを否定し、昔語りを続け、懐かしがる。隣同士だった幼い二人は、井戸にお互いの顔を映しあい遊んだものだった。やがて思春期を迎える頃には恥ずかしく、疎遠になっていたが(略)夫婦の契りをした、あれは19 歳のときでした… 実は自分はその女なのだと打ち明け、シテは一旦退場する。
(略)
先の女が僧の夢の中に再度あらわれる。今度は業平の形見の冠と上着をつけて男装している。夜更けの寺で月の光に照らされながら、「恥ずかしいことだが」と言いつつ、昔の夫になって、女は序ノ舞を舞う。(略)薄をかき分け井戸を覗き込めば、月影に映る姿は女とは見えず亡き夫業平の面影そのものである。
井筒 (能) - Wikipedia
能・演目事典:井筒:PhotoStory

日本語が亡びるとき』の目次を複式夢幻能にあてはめると、

1章 アイオワの青い空の下で「自分たちの言葉」で書く人々
2章 パリでの話
3章 地球のあちこちで「外の言葉」で書いていた人々
4章 日本語という「国語」の誕生
5章 日本近代文学の奇跡
6章 インターネット時代の英語と「国語」
7章 英語教育と日本語教育

1章、2章が、水村美苗が本人として、前シテのように来歴を語る前段。4章から7章が、水村美苗が「近代日本語」の仮面をつけて近代日本語の「苦しみや思い出を」語ってみせる後段、とでもなぞらえることができよう*2

 それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
 自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精神の証しであるように。
日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で(323頁)

この結語は、むしろ、近代日本語の興亡の過程を語ったあとに、その亡びゆく過程を、過去の亡霊が夢のなかで語るように、未来のこととして、語っているかのように読めるではないか。そうであるとすれば、水村美苗の「提言」と言われているものが根拠を欠き、未来に向けた具体的な政策提案になりえていないこともまた、良くわかる。それは、すでに失効してしまった理念が水村美苗の筆先を借りて、死後に語りだしているだけのことなのだから。

さて、まるで能の形式にあてはまってしまうことの意味を考えてみる。

西郷信綱の議論を借りて言えば、夢幻能とは、鎮魂に由来する演劇的なものが、発展的なドラマになりえないという条件の下に成り立ったものだ。シテとワキの間で対話がドラマとして成立することがなく、シテの思いをワキが受け止めるに留まるというわけだった*3

増補 詩の発生―文学における原始・古代の意味

増補 詩の発生―文学における原始・古代の意味

日本語を蘇生させようとする議論が、異論に対して挑むような、発展的で説得的なArgumentの形を取ることができず、夢幻能のようなものでしかありえなかったというのは、つまり、近代日本語はすでに亡びているということの兆候に他ならない、ということになるだろう。

水村美苗は、近代日本語の相貌を帯びた自らの顔をひたすら覗き込んでいる。井筒の女のように。



ところで、「鎮魂論」というと、私は以前こんなことを書いたことがあったのを思い出す。

演劇というものが、一面において、遠く、追悼儀礼に淵源するものだとして(ここでわたしは西郷信綱『詩の発生』所収の論文「鎮魂論-劇の発生に関する一試論-」を念頭においている)、ポタライブの舞台造形は、さまざまな場所に固有の光景に対する「喪」を許さないほどに忘却を強いるめまぐるしいスペクタクルの隙をぬって、観客のそれぞれに追悼的な認識を行う機会をひそやかに開いてくれるものなのかもしれない。
ワンダーランド wonderland – 小劇場レビューマガジン

追悼とか、喪とか、「タマフリ」とかといったことを考えながら、文語としての近代日本語に対する岸井大輔の演劇的試みの意味を考えてみたい。

*1:とはいえ、この点については、さらにつっこんだ議論が西郷信綱によってなされていて、西郷は「ワキ」は「「わきまう」「わけ」等に共通するワクであり、恐らく神意をワクこと、つまりそれを弁明し通訳する意味であったと思う。」(『増補 詩の発生』(未来社)所収「鎮魂論」「五 ワキの発生」の節)として儀式の演劇的内容を一般に通訳する立場がその起源にあるとみなしている。

*2:能では前シテも仮面をつけて出てくるわけだけど、後シテで仮面を変える場合もある。少し無理にこじつければ、3章は「間狂言(あいきょうげん)」とでも言えそうなところ。

*3:西郷信綱は、演劇の起源を鎮魂儀礼の中に探りながら、近松が日本的な悲劇を成立させた、と見る演劇史観を示している。