小説

要は、日本語補完計画がないんでしょ?

このあいだ、「簡体字は便利だから使ってみよう」、という記事をたまたまみつけて読んでみた。 グローバル化によって中国国内の情報もそのまま伝わる時代。中国の漢字もよく目にするようになった。だが、その字体は簡体字(かんたいじ)といって日本の漢字と…

『ぼくの大好きな青髭』メモ

庄司薫は、近代日本文学の終りを見据えてこの小説を書いているのだろうなと思う。ひとつの時代をまるごと描き、そこに人生の課題を示してみせるような小説は、もうこれ以降書くことができないという認識が透けて見えるようだ。*1 単行本の刊行は1977年*2。作…

「しょうがの味は熱い」について

小説に僕が求めているのは、空気感っていうか、人がいる佇まいとか、その間の気配とかを感じ取れるかどうかで、それが感じ取れる小説は読む甲斐のあるものと思う。綿矢りさの新作(短編というか中篇?)「しょうがの味は熱い」は読む甲斐のあるもので、ここ…

『カンバセーション・ピース』について考えることが小説について考えることのようだし、カンバセーション・ピースの文体をくぐりつつ考えたことを書こうとしていると、「小説」というカテゴライズの後になんだか特定のタイトルを置きづらくもあり、こうして…

今日はアマゾン経由でe book offに注文した砂子屋書房の『佐藤鬼房句集』が届いたのでそのことを書こうかとも思ったけど(表紙がどうしてもおっぱいに見えてしまうとか)、こないだ書きかけた(書きかけだ)保坂和志の話の続きを書いてみようかと思う。前回…

いつのまにか、舞台について書くページになっていたのだけど、もともとこのダイアリーをはじめたときには、いろいろ雑多なことをかくことになっていた。それで、思いついて、雑多なことを書くようにしてみようかと思う。 このあいだ、横浜の第二合同庁舎の地…

こう見えた『古道具 中野商店』

川上弘美の小説は、濃密な気配の交流が可能な関係や場所や場面を描き続けてきた、と、とりあえず言ってしまって良いと思う。例えば、「神様」における、「くま」と語り手との関係とか、『センセイの鞄』におけるツキコさんとセンセイとの関係というのは、そ…