POTALIVE再考(4)−演劇の形式化2004インデックス−

岸井大輔は、2004年6月に「演劇とは、意識をもった集団が自らを表現することである。」という定義からはじめて、「演劇の形式化」をめぐる考察を書き継いだ。

まず、最後に書かれた結論と展望を引用する。

今月考えたのは、大きく2つです。1つは、集団と、それに関わる人・人間の定義。2つめは人物を継続すると見なした場合の、集団・人・人間の構造。
導き出されたものは、人物が継続するのだとするならば、全ての集団に先立って、何らかの共同体か、ドグマとそれを奉ずる集団を想定しなければならないということです。
この結論から、おそらく、人物が継続するとみなすなら、「共同体とドグマ集団は、あらゆる集団に先立つ」という結論が導けるでしょう。
:::略:::
「演劇表現の目的は2つしかない。1つは集団への勧誘であり、1つは集団の解散である。勧誘の劇とは例えば喜劇であり、解散の劇とは例えば悲劇である。」
ところで、集団への勧誘・集団の解散とは、情報の共有を巡る問題だ、ということも判明しました。

この考察の先に、現在の岸井さんの活動がある*1。全文を以下にリンクしておく。

演劇の形式化 2004 −1

集団とはコミュニケーションとして感じられるー1(演劇の形式化2004−2)

集団とはコミュニケーションとして感じられるー2(演劇の形式化2004−2-2)

集団とはコミュニケーションとして感じられるー3(演劇の形式化2004−2-3)

集団はコミュニケーションとして感じられるー4(演劇の形式化2004−2-4)

集団はコミュニケーションとして感じられるー5(演劇の形式化2004−2-5)

集団はコミュニケーションとして感じられるー6、あるいは、人間と人の定義(演劇の形式化2004−2-6)

人間と人の生成と消滅―1(演劇の形式化 2004 3−1)

人間と人の生成と消滅―2、あるいは、人間)人の定義 (演劇の形式化 2004 3−2)

人物の継続性について(人間と人の生成と消滅―3)―1 (演劇の形式化 2004 3−3−1)

人物の継続性について(人間と人の生成と消滅―3)―2 (演劇の形式化 2004 3−3−2)

人間と人の生成と消滅―4、あるいは人と人間の関係性 (演劇の形式化 2004 3−4)

人間と人の生成と消滅―5 (演劇の形式化 2004 3−5)

集団の外部―1 (演劇の形式化 2004―4−1)

集団の外部―2 (演劇の形式化 2004―4−2)

集団のメンバーを示す境界と、人間と人をわける境界−1(集団の外部―3−1) (演劇の形式化 2004―4−3−1)

集団のメンバーを示す境界と、人間と人をわける境界−2(集団の外部―3−2) (演劇の形式化 2004―4−3−2)

人の継続性を共有する集団−1(集団の外部―4−1) (演劇の形式化 2004―4−4−1)

人の継続性を共有する集団−2(集団の外部―4−2) (演劇の形式化 2004―4−4−2)

人の継続性を共有する集団−3(集団の外部―4−3) (演劇の形式化 2004―4−4−3)

人の継続性を共有する集団−4−1または、「継続性」と「共有する」の定義(集団の外部―4−4−1) (演劇の形式化 2004―4−4−4−1)

人の継続性を共有する集団−4−2または、「継続性」と「共有する」の定義(集団の外部―4−4−2) (演劇の形式化 2004―4−4−4−2)

人の継続性を共有する集団−5(集団の外部―4−5) (演劇の形式化 2004―4−4−5)

人の継続性を共有する集団−6(集団の外部―4−6) (演劇の形式化 2004―4−4−6)

人の継続性を共有する集団−7(集団の外部―4−7) (演劇の形式化 2004―4−4−7)

人の継続性を共有する集団−8(集団の外部―4−8) (演劇の形式化 2004―4−4−8)

人の継続性を共有する集団−9(集団の外部―4−9) (演劇の形式化 2004―4−4−9)

参入と脱退のない集団―1(人の継続性を共有する集団−10―1) (演劇の形式化 2004―4−4−10−1)

参入と脱退のない集団―2(人の継続性を共有する集団−10―2) (演劇の形式化 2004―4−4−10−1)

演劇の形式化 2004/6月終了につき、形式的中断。による、あとがき、と、予測。



岸井さんへのインタビューで次のような質問をしたとき念頭にあったのは、この一連の考察だった。

−岸井さんは演劇プロジェクトを複数展開されていますが、それぞれが「集団」という演劇の素材をテーマにした研究となっているわけですね。その一方で、岸井さんがWebに発表されている文章を読むと、抽象的な概念を重ねて精緻な理論を構築する作業をされています。お話をうかがっていると、そのような理論化の作業から、実際の創作の現場に使える方法論が直接導き出されたというわけでもないようです。では、現場での作業にどうつながるのか分からないような抽象的な考察を進める必要はどこにあったんでしょうか。

岸井 それはぼくの健康のためですよ(笑)。結果だけ考えると、自分の健康を高めるほどレベルの高いものを作れない。自分の魂と正直に向かい合うためには、自分が小さすぎる。それは経験上分かっている。自分がこれだと直感したものに突き進んで作ったものが、そのまま多くの人の身体や魂を揺さぶるほどの器でないことは自覚しているんです。そのためには道筋をきちんと作って、つまり形式化していけば、予想以上におもしろいものが出来るし、自分を超えることが出来る。自分を超えないと自分と出会えないんです。
http://www.wonderlands.jp/interview/008/05.html

*1:人、と人間、は次のように区別されている、「コミュニケーションと関係がある部分を「人間」、人間も含めそれ以外を「人」と呼んで区別することにする。人と人の間があって成立する存在を人間と呼ぶわけだ。」(演劇の形式化2004−2-6)