『日本語が亡びるとき』を読みなおすためのレッスン#2

 ウィーンもまた呼び売りの街である。さまざまな物売りや移動する手工業職人たちが路上をやって来る。大きな声を張り上げて「のこぎりの目立て!のこぎりの目立て!」と呼び立てながら、のこぎりの目立て師が流してくる。注文があると、さっそく中庭に道具をおろして、お構いなしにギーギーとやすりの音を立てながら仕事を始める。次に路地に入って来るのは、たとえば重い道具を手押し車風に仕立てて流し歩く鋏研ぎ屋の「ナイフ、鋏研ぎ!」の呼び声、それに続いて大きな籠を背負った女屑屋の「屑はないか、古鉄、真鍮、鉛、ガラスのかけら」という金切り声の呼び声である。この屑屋は子供たちに家から屑を持ってこさせ、それが多少でも商売になれば、褒美に「ルビー」のついた「金」の指輪を子供たちにくれる。子供たちはこの指輪を何個集めたか目を輝かせて自慢しあうのである。
 いかにもウィーン的な市外区のこの中庭の世界に、しばしば唄を歌う流しの商売が顔を出す。ラワンデル売り女もその一人。ラワンデルは香料代わりの花である。これは夏だけの風物詩だが、中庭に姿を現して、沈みこむような調子の声でウィーンの流行歌を歌い出す。家の女たちが戸を開けて外廊下に姿を見せると、「ラワンデルお買いよ、ラワンデル、三束で一クロイツァ!」と声を張り上げるのである。この中庭の風物詩もやがて外廊下の消滅と共にウィーンから消える。
青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年』pp.44-45

青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年

青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年