POTALIVE再考(2)

POTALIVEとは多義的な言葉である。狭い意味では「お散歩しながら見る演劇」。でも、「百軒のミセ」は狭い意味でお散歩する演劇だったわけではないのに「POTALAIVE」作品と名指されていた。そのことの意味を考えているところだった。ポタライブについての岸井さんの言明をもうひとつ抜粋引用する。

たとえば、今の一般的にいう、演劇の「会話」は、劇場という前提がある。
お客さんが、暗闇で、息を凝らして、明るいところにいる登場人物を観る、という構造だ。
ポタライブの目的は、演劇の形式化のために、劇場を無効にすること、だった。
もちろん、とたんに、会話がかけなくなった。

で、ポタライブで、会話はどうやって成立するのか。
僕は、「向こうから話しかけられてしまうことによって」だと思っている。
まちが、こちらに、なんか言わざるを得ないシチュエーションを作れば、
それに応答せざるを得なくなり、会話が成立する。
それをフィクションでやればいいんだ、ということに気がついた。

で、町の歴史を、地元の人がとても大事にしている場所で、執拗に繰り返し、
町のお化けに話しかけさせる、という状況を作ってみた。
もちろん、町のお化けは、俳優が演じるのだけれど、この俳優は、ただ、町に移入するだけでいい。
外から来た僕らが、それに、必死に答えてみせる。
そういう会話、だ。

会話の内容が問題ではない。会話、というのは、いつも、驚きと不安の中をわたる細い綱を隠し持っているということが問題なのだ。その綱こそが、演劇の身体である。
4月2日 | PLAYWORKS岸井大輔ブログ - 楽天ブログ

さて、この話で思い出したのが次のブログ。大阪の中崎町にあるブックカフェ、書肆アラビクの店主さんが書いている。はじめの記事は、無責任にアンケートをしようとする学生が増えてお店のオーナーが困っているという話への応答。

わたし自身、研究者を志したものの挫折した苦い経験がある。だから学生さんたちにはできるだけ協力したいし、学生さんの研究をしたたかに自分の店の経営に活用しなくてはならないと思ってゐる。「ちゃんと卒業論文はお世話になった人には送りなさいね。ぼくも見ますよ。見せてくださいね」と一言伝へる。「困ってゐる」から排除するんじゃなくてね。

 そこからコミュニケーションが生まれるんだよ。グッドラック。
中崎町のオーナーですが困ってゐません | 珈琲舎・書肆 アラビク/Luft

そして、その先の話。

大阪大学の方の修論……「都心近傍住商混在地域におけるリノベーション型店舗の集積要因に関する研究 〜大阪市北区中崎朝を事例に〜」は、アンケートと統計的手法を駆使した成果で、中崎町に来られるお客様の属性(カフェ経営への興味が強い、など)を明らかにし、また、中崎町の店舗の属性を「経営に積極的な外向きのグループ」と「自己表現の一環として店舗を開店した、経営に内向きのグループ」とに分類し、それぞれが中崎町の魅力の両輪となってゐることを明らかにした
業績続々 | 珈琲舎・書肆 アラビク/Luft

「百軒のミセ」がポタライブであるといわれたゆえんはどこにあるのか、もう少し考えます。