根岸由季さんのソロを見る

根岸由季さんとは縁があって、かつてディープラッツのダンスがみたい!新人シリーズの審査を担当してたときビデオで見たのが最初だった。そのときは、よくわからないけどなんか独特なものを持ってそうな人だな、と思って推したら、その年の賞を取ったのだった。

こんな案内メールをもらって見に行った。

東京ダンスタワー『根岸企画2』のご案内です。
こんにちは。
毎度お騒がせしております。
東京ダンスタワーズの一員、根岸由季と申します。
雪がちらつき、今年も天気が不安定です。
今回のダンスタワーは『根岸企画2』。
ソロをやります。
皆さんにとって適齢期って何ですか。
今回ソロではコトバの端々に思いを込め、体の隅々を綴って行きたいと思います。
是非皆様に見て頂きたいです。

東京ダンスタワーVOL.21「根岸企画2」

3月6日(土)
開演 18:00 (開場17:40)
料金 1374円 子供半額
会場 スタジオUNO
東京ダンスタワーブログ
http://dance-tower.jugem.jp/

関連ブログ記事。
明日になりました。 | 東京ダンスタワー
有難うございました!! | 東京ダンスタワー

なんか、日蓮上人と生臭坊主とかってテーマを決めて作った、テーマを決めて作ることは普段ないのだけど、実験的にあえてやってみた、とアフタートークで言っていた。最初は親鸞でやろうとしたけど、音が違うな、と思って、日蓮は生臭坊主だったってネットで調べたら言っている人が居て、それも面白いと思って日蓮にしたとか言っていた。いや、舞台を見るだけでは日蓮とか生臭坊主とかわからないんですが。

小一時間のソロだが、全体に、前半と後半に分かれていたように思う。

前半は、寝転んで、舌だけを使って、舌の動きだけでダンスするところから始まる。口の外に突き出して左右に細かく動かしてみたり、頬の内側から押し出してみたり。そんな非常に口の中が疲れそうなことをしている動きが、いつのまにか起き上がる動きにつながっている。動きの質感として、立ち上がって舞い踊る動きと、舌だけの動きとがまるで連続しているように感じられたのは、なにかすごいと思った。そこに運動の動機という面で連続するものがあるのだろうか。

中間に、カラフルな粘土をこねくり回している場面がある。それは、座り込んでこねくり回しているうちに、胎児なのか赤ん坊なのか、頭と手足のあるようなものと、胎盤なのか、子宮なのか、脳なのか、二つに割れたようなかたちのぶつぶつとした塊に形作られる。

その後、ゴルフのスイングの真似のような動きから始まって、いろいろな動作やポーズをコラージュ的に組み合わせていくシーンが後半の大きな場面を占めていた。他にもいくつかのシーンや要素がちりばめられていたけれど、それははっきりと言葉にできるほど正確に思い出せないので、描写はこのくらいにしておく。

あれこれ、際立った動作のパターンが繰り返されるところや、なだらかに運動の軌跡が空間に示されていく動きだとか、様式的にはむしろぎくしゃくとしているというか、多様な動きが断続的に舞台に置かれていくのだけれど、そのそれぞれが、なにか瑞々しい。

それらの動きは、ダンスの振りというよりは、ゴルフのスイングであったり、体をそらせて何かを避ける動きだったり、いろいろな所作や動作の引用のようでもあり、そうした、運動イメージにあるぶつかったり撥ね退けたりする触覚的な空間の中から、根岸さんはいろいろなモチーフを拾い上げているようにも見える。

それが瑞々しいのは、きっと、それぞれの動きにたいして、純粋にそう動きたいという欲求から発したものが一貫されているというか、余計なことはなるべくしない、やりたいことだけを抽出して組み立てていくようなところがあったからではないかと思う。

やりたいことをやるというのは、簡単なことのようだけど、実は、やりたいことだけをやりぬくというのは、なかなか困難なことで、ついつい、私たちは、こうやっておけば安全じゃないか、とか、こうやっておくべきだと世の中的にはされているよね、とかという、見かけの義務感みたいなものによりかかって、やりたくもないことをついついやっては安心してしまうようなところがある。

そういう、やりたくないのにやらないといけないとつい思ってしまうこと、やっておくと安心できるようなやらなくてもいい余計なことに、舞台に立つときにも、よりかかってしまいがちで、そういう安心に頼って、なんとか舞台に立ち続けられたことで満足してしまうということも、わりとありがちで、そういう安心に観客も寄りかかってしまうことがあって、それはでも、退屈なことだ。なんか、いろいろわかったつもりになる安心や、偽りの納得によって、そういう退屈に気がつかないふりをしたり、やりすごしてしまうことがある。

根岸さんのダンスが、ほとんど瑞々しいものだけを集めてできていたように思えるのは、そういう、余計なものがほとんど無い時間が舞台に持続したからなのではないのか、と言う風なことを、考えた。

(3月15日記す)

リズム三兄妹(再演)

岡崎芸術座の『リズム三兄妹』を見る。
http://okazaki.nobody.jp/next.htm
http://okazaki.nobody.jp/rhythm/

初演は、DVDをちらっと見たことがあるけど、この作品を舞台でみるのは初めて。昨年の『ヘアカットさん』が続編のような位置にあるのかな、次の作品とあわせて三部作のようになるのかな、などと考えた。

淡々とした日常生活の動作を、たとえば排泄であったり、入浴であったりを、服の上に下着を着て、それを脱いで裸になったということを記号的に示すような仕方で描いて見せて、その繰り返しで生活リズムというものをシンプルに示してみせる第一部。糞便を貨幣で象徴してみせるあたり、ただの思いつきではない冴えを感じさせる。

スター歌手を歌謡ショーさながらに見せ、小劇場のスター俳優を対比させながら、小劇場のスター男優にあこがれる女の子の下手な歌にリズムが無いよってつっこむ女の子の話だとか、スター歌手がステージで現実感を見失ってリズムを崩してしまう苦悩だとかを語る第二部。
そこで、リズムとかJ-ポップ歌謡の歌詞の解釈をめぐって兄妹のいさかう論争みたいなものが、リズムをめぐる主題を過不足なく提示し説明してしまう。

いよいよ下手なリズムのままに小劇場スター俳優に少女が告白するクライマックスは、あっけらかんと思いが通じたのか通じないのか、スター男優は性的にウ、ウェルカムだってあからさまかつどぎまぎと受け入れて暗転、そこで盛り上がった音楽が鳴り響くままに、舞台がさっと明るくなると、重なり合って魚がぴちぴち跳ねてるみたいなジェスチャーで性交を暗示する場面を浮かび上がらせる狂騒の一場面をさくっと提示して、再暗転して終演の第三部、という感じだろうか。

ポップスの歌詞を熱く語って人生考えてしまったりするようなつきなみな感慨だとか、俳優がバイトで忙しくしてるなんてありがちな現実だとかを、ゆるぎないリアリティの根底にすえてみせて、アイロニカルに一夜にしてスターになってしまうようなスター量産体制を皮肉りながらも、そういう現実をまずありのままに肯定することから始めるという、そこから何を始められるのかを問うという、そんな演劇作品だったと思うし、リズムなんて拍子からずれたってかまわないんだ、そこにもっと心を打つようなものが響くこともあるんだってシンプルであまりにも正しいメッセージが何の韜晦もなく、ひたすら直球でこめられているみたいで、そういうのは素晴らしいと思う。

『わが星』の型にはまったリズムが観客をもっていっちゃう、いかにも良い話をきれいにまとめちゃううさんくささとは対極にあるポジティブさだなと思う。

性だとか排泄だとか、忌避されるものを、ことさら大げさにではなく、あっけらかんと舞台にのせる手つきは見事だ。それはただそういうものなのだという。隠したものを暴くのではなく、隠したままに示すという。

私は『リズム三兄妹』と神里雄大を支持します。

手間を惜しんで出演俳優の皆さんの名前を挙げられなくて申し訳ないですが、出ているひとの演技もそれぞれ良かった。それは、再演可能なものとして練り上げられつつも、それぞれの演技がひたむきに舞台に響いているような質のものだった。

イラクとチュニジアの演劇を見る

ご招待いただいたので、タイニイ・アリスで二本見る。

++Alce today++

Mustheel-alice fromバグダッド
「Abu Ghraib―アブグレイブ刑務所」
☆演出= アナス・ヘイテム

イラクバグダッドからムスタヒール・アリスが日本には珍しいセノグラフィー演劇を引っさげて三度目の来日公演です」という案内文があったのだけど、言葉としてセノグラフィー演劇という言い方をしないだけで、発想としては、日本で珍しいというわけでもなかったと思う。単にセリフを中心にはしない劇というだけのことだった。
身振りとか、音楽とか、照明だとか、小道具だとかを使っているけれど、背景にはしっかりとドラマ的な構造がある。
拷問をする看守が、いかにも残虐そうな、怪物的なマスクをかぶって演じていたのが興味深かった。
発想としてはとても素朴なもので、技術面のことも含めて、文化が一度破壊されたあとで、再建がはじまってまだ日が浅いのだな、という印象を持った。

SINDYANA group fromチェニス
「Woman Sindyan-センディアナの女」
☆作・演出・出演= ザヒーラ・ベン・アマール

チュニジアの女優による一人芝居は、反対に、20世紀の演劇の様々な歴史的な蓄積を踏まえ、文学史も踏まえた洗練され技術のあるもので、演技だけでなく、舞台の転換や、シルエットが浮かび上がるような照明効果を生かした構成だとか(ホリゾントを染める淡いオレンジの色調から、醒めた青への移行だとか、舞台空間の奥行きを仕切って逆に奥への拡がりを感じさせる演出だとか)にも、技法の習熟を感じさせるものだった。フランス語がしばしば使われて、客席に向けたあいさつにもフランス語を使っていたのが、旧フランス植民地であるという歴史を思い起こさせた。旧宗主国との文化的緊張と同時に、深く影響を受けたという事実がそのまま示されているようだった。

アラブ圏といっても、まったく違うお国柄と事情があるのだよなと思うのと同時に、やはり何かイスラム圏に共通の課題といったものも、公演後のトークでは浮かび上がってきたような気がしないでもない。

演劇として楽しめたかどうかということよりも、そういう文化的な場に直接立ち会ったことが記憶に残ることの方が大事だという気もして、帰った。そういう場の感触のようなものが喚起するものは大きいものだと思う。それは、作品性には還元できない、その場のコンタクトの力だと言っていいのだろうか。

※参考リンク
2010-02-12 - butoh-artの日記

OM-2「作品No.7」について

ワンダーランド wonderland – 小劇場レビューマガジン

関連してTwitterにつぶやいたことをまとめておきます。

全力で危うさに憧れる普通の人がいろいろしながらただ舞台にいる という点で OM-2 はずっとおんなじことしてるな。 6:51 PM Feb 13th
yanoz on Twitter: "全力で危うさに憧れる普通の人がいろいろしながらただ舞台にいる という点で OM-2 はずっとおんなじことしてるな。"

昨日のOM−2の公演は、見事に新しい要素がほとんどなかった。佐々木さんは持ち芸みたいに繰り返してるネタだったし、村岡さんはあいかわらず新劇女優っぽさ抜けない感じだったし、「誰でもピカソ」に出て机叩いてたパフォーマンスが、太鼓に変わっただけというか。 9:45 AM Feb 14th
yanoz on Twitter: "昨日のOM-2の公演は、見事に新しい要素がほとんどなかった。佐々木さんは持ち芸みたいに繰り返してるネタだったし、村岡さんはあいかわらず新劇女優っぽさ抜けない感じだったし、「誰でもピカソ」に出て机叩いてたパフォーマンスが、太鼓に変わっただけというか。"

そんなに好きというわけでもないのに、僕が 20年近くOM-2を断続的に見続けてきた理由は、真壁さんとあれこれ関わりがあったということを差し引いて考えると、大衆的なダサさみたいなものが、どこか気になって、ほっとけないなあという感じがあるからなのかも。私もエリート的な人には壁感じるし。 9:43 AM Feb 14th
yanoz on Twitter: "そんなに好きというわけでもないのに、僕が20年近くOM-2を断続的に見続けてきた理由は、真壁さんとあれこれ関わりがあったということを差し引いて考えると、大衆的なダサさみたいなものが、どこか気になって、ほっとけないなあという感じがあるからなのかも。私もエリート的な人には壁感じるし。"

真壁さんはやっぱ新左翼的な系統で演劇をやってるんだよなと思う。ある種、大学が庶民化した世代の、大衆的想像力の表現なのだろう。OM-2の衣装って、わりと制服っぽいことが多かった気がする。普段着として制服を着崩しているけど、決して制服を脱がない大衆の、エリートへの反発というか。 9:39 AM Feb 14th
yanoz on Twitter: "真壁さんはやっぱ新左翼的な系統で演劇をやってるんだよなと思う。ある種、大学が庶民化した世代の、大衆的想像力の表現なのだろう。OM-2の衣装って、わりと制服っぽいことが多かった気がする。普段着として制服を着崩しているけど、決して制服を脱がない大衆の、エリートへの反発というか。"

青年団が売れ始めた90年ころは今で言うOM-2への注目が高かったので、何かの雑誌で真壁さんと平田オリザが対談するという企画があったと真壁さんから聞いたことがある。 9:30 AM Feb 14th
yanoz on Twitter: "青年団が売れ始めた90年ころは今で言うOM-2への注目が高かったので、何かの雑誌で真壁さんと平田オリザが対談するという企画があったと真壁さんから聞いたことがある。"

真壁さんが「客席が組んだりばらしたり、現場を一から自分たちの手で組み立てると、演劇やってるな、と実感する。そこに本質的なものがある」という風なことを言ったら、平田オリザは「なんでそんな無駄なことするんですか、客席は固定したほうが効率が良いのに」って感じで反応したとか。以上、あくまで私の伝聞ですが。 9:33 AM Feb 14th
yanoz on Twitter: "真壁さんが「客席が組んだりばらしたり、現場を一から自分たちの手で組み立てると、演劇やってるな、と実感する。そこに本質的なものがある」と言ったら、平田オリザは「なんでそんな無駄なことするんですか、客席は固定したほうが効率が良いのに」と反応したとか。以上、あくまで私の伝聞ですが。"

東京駅八重洲口ビルへの弔辞

東京駅のもと大丸のビルが去年壊されていて、今年の1月にはほとんどあとかたもなくなっていた。
*1
大丸が入っていたビルでは、クレーの絵を見たり、トーベ・ヤンソン展を見たり、それなりの思い出があって、先日、たまたま近くに立ち寄ったときにすっかりビルがなくなっているのを見て、あの中空の何もなくなってしまったあたりで、そんな絵をみたりしたのだった、と思った。

大丸のビルのことについては、壊されるのを知って次のような記事を書いたこともあった。
70’sの風景 - 白鳥のめがね

大丸のビルを壊してしまうことについては、保存運動みたいなことは起きない。
戦後という一時代の様式や空間というものは、惜しまれることも無く消えていくし、むしろ、時代の趨勢としては、誰もがこぞって無かったことにしたいようだ。

最近、森まゆみさんの『東京遺産』という本を読んだ。谷根千の人が東京駅の保存運動とかにかかわっていたんだ、ていうか、赤レンガの東京駅も壊される計画があったんだな、と驚かされた。

東京遺産―保存から再生・活用へ― (岩波新書)

東京遺産―保存から再生・活用へ― (岩波新書)

でも、赤レンガの駅舎は保存すべきだと考える森まゆみさんも、戦後の風景の基点である、大丸のビルについては、次のような発言を留保無く書き付けている。

上野駅のあのコンコースは日本でも一級の建築空間で、あれ、自分はヨーロッパにいるのかな、と錯覚するほど異国情緒がある。あそこは残すべきです。仙台だの盛岡だのの新幹線の駅の下らなさ。知らないうちにデパートの中に入れられてしまい、何の旅の印象も残さない。あの手の戦後のデパート駅舎のさきがけ、東京駅八重洲口ビルをまず壊したらいいと思う」と彫刻家の基俊太郎さんはいう。(p.60)

もちろん、「東京駅八重洲口ビルをまず壊したらいい」というのは森まゆみさんの言葉ではない。

しかし、赤レンガの東京駅を保存したり、谷中や根津や千駄木の街並みを保存しようとする運動が、「東京駅八重洲口ビルをまず壊したらいい」という言葉と共にあったということは、覚えておくべきだろう。

そこにあった、破壊への欲求が、どのような排除を伴っていたのか、どのような忘却を促すものだったのか、考えておいて良いだろう。

*1:撮影は1月19日

誰もいない土地 いない人―NO MAN'S LAND展と画廊男―

壊される予定の建物に展示を行う。
TAB イベント - 「No Man’s Land」展
それまで立ち入れなかった建物が展示スペースとして公開されるということで、気になってでかけてみたのは三条会を見に行く前にすこし時間があいていた日だったけれど、出かけてみるとなにやらおしゃれ気な、デザイン事務所で働いていますって全身で表現してるみたいな人たちが多くて、その朝から倉庫で働いた帰りの僕は、どこか落ち着かない気持ちだった。『はなまるマーケット』で紹介されていたのが広報的にはみごとだったけど、この日も観客そっちのけで何かのラジオの取材が入っていた。

あとから、「まるで学園祭みたいな酷い展覧会だ」という感想がネットの噂に流れてきたのを目にしたこともあった。たしかに、大使館の建物は戦後なじみの教室空間のようでもあったし、そういうところに、近代の設計思想が具現化されていたりもしたのだろうが、だったらむしろ、学園祭的なものを規整しているものは何なのか、そこに嫌悪を覚えさせる欲望とは何に駆動されているのか、それを考えてみるべきなのだろう。僕は、いくつか良い展示があったので、たしかに会場の雰囲気は agreable では無かったけど、満足した。

確かに、どこに展示しても同じものをこういう場所に置くのはつまらない気がする。僕が気に入ったいくつかの作品も、site specific というか、その場所から、その場所のために、作られたものだった。多分、それは、墓標のように、動かしがたい事実への杭を打とうとしている。そうした発想や試みの作法がもはやいかにありきたりであろうと、月並みであるとか批判するのは、無作法なことである。墓標が月並みであることが、その価値を失わせないように。私たちは、墓標が商品化せざるをえない時代に生きている。

気に入った作品のひとつは、吉野祥太郎さんの作品だ。フランス大使館の、低層階が回廊のようになっているところの屋上が庭園のように、土を盛った芝生の庭のように、なっているところが在ったのだけど、吉野さんの作品は、かさぶたをめくるように、その屋上の地面の一部をはがしてみせるという作品になっている。一種のインスタレーションというか、彫刻的な造形でもあるのだけど、吉野さんはいろいろな場所に出かけて、野外で、その場所の地面をはがして固定してみせるようなシリーズ展開をしているようだ。
ちょうど秘密基地のハッチがひらくみたいに、地面の一部が30度くらいの角度で持ち上げられていて、浮いたところには、ざっくり切り取られた断面みたいに地下に埋もれていた土が露出している。そこには、茶碗のかけらがのぞき、草の根がからまり、小石がひっかかっている。
僕は日が暮れてから見たけれど、照明に浮かび上がるその作品のたたずまいは静かだけれど、語られなかった歴史の厚みを語りかけてくるような風情を感じで、しばらくそのそばにいたいという気持ちにさせた。

菅木志雄の作品は、さすがに巨匠然としていて一目見てもの派だった。家具調度の類が取り払われた裸の部屋の壁の一部に、垂直に一列、穴があけられていて、そこに鉄パイプがむき出しで水平に突き刺さっている。床には、小石の列が固定されていて、矩形に部屋の一部を囲むように、切り取り線のように、並んでいる。良く見ると、鉄パイプの根元に接着剤の樹脂が固まっているのが見える。小石も接着されているようだ。窓の外には、他の作品が見えるが、ただ荒涼とした風景が似合っただろうに、とすこし残念におもわせるだけの力が、そのへやそのものにこめられるような作品だった。
隣の部屋に行くと、壁にささった鉄パイプがこちらの部屋にも突き出ていて、二部屋セットの作品だったことが理解される。こうした照応のあり方や、微妙な違いの見せ方が、その場所でしか成立しない作品として提示されていて、その場に立ち会ったことの価値を有無を言わさず納得させるものがある。

ほかにも、旧大使館が残した遺物の類を利用したインスタレーションなどは、みかんぐみの家具再生プロジェクトも含めていくつか展開されていたが、そのなかで一番良いと思ったのは、大使館に残されていた辞書の類のページをシュレッダーにかけて、その大量な細かい紙片を、もとあった家具の場所が欠落として浮かび上がるような形にきれいに積み重ねて、白い塊が腰のあたりまで積み重なっていて、そこここに断面が見えているといった作品を展示したセシル・アンドリュ Cecile Andrieu が、そのコンセプトと造形的に簡潔な魅力の見事な統一において、傑出していたと思う。

画廊男というのは、壊される予定のビルの一室を「300日画廊」として運営していた佐藤洋一のことで、それが何日なのか良く知らないのだけど、何年か前の、1月下旬あたりのある日、彼は自ら世を去った。毎年、お正月気分が終わることには、画廊忌だなと思って暮らしている。
今思うと、これから壊されていく建物に現代美術を持ち込もうとしている時点で、佐藤洋一は、かなり追い詰められたところに立っていたような気がする。築き上げるのではなく、突き崩していくような場面に立つことに固有の質感というものもあるのかもしれない。消費というものが、いずれ消えていくことを動力にする運動であるとするなら、消費の轟音のなかにひっそりとした静寂をもたらす機会は、静かにこの世界から去っていくための通路の隣に、ほんのわずかの縁をつかまえることでしか、生まれないのかもしれない。

そんなことを思いながら、元フランス大使館を後にした。


最近は、何か、佐藤洋一の遺志を継ぐような企画が動き出しているらしい。
画廊忌として残された刻印を分け持つ人たちがいて、一時期の東京のあるマイナーなアートシーンに出入りしていた僕もそのひとりだ。

コンテンポラリーダンスの一つの時代(覚え書)

國吉和子さんの「舞踊とモダニズム」という副題をもつこの本は、「舞踏(Butoh)」をキャバレーやショーでのダンスも含めたモダニズム的な舞踊の流れの果てに歴史的に位置づけて文脈を示すという本なのだけど、最後に「コンテンポラリーダンス」という言葉に触れている。

夢の衣裳・記憶の壺―舞踊とモダニズム

夢の衣裳・記憶の壺―舞踊とモダニズム

この本では、「コンテンポラリーダンス」というのは市場を介して展開される舞台ダンスという風な規定のされかたをしている*1

基本的に、この認識は正しいと思う。コンテンポラリーダンスというものが、様々な公共的劇場にかけられるコンテンツとして世界的に流通するようになったのは「芸術見本市」の類が制度として整えられていった結果なのではないかと思う。

そして、こういう制度化は、新自由主義的な社会と経済の体制に支えられたものなのだろう。コンテンポラリーダンスは、新自由主義的な時代のダンスである、と言って良いと思う。
つまり、市場によってなりたつ「同時代性」が、もっとも広い意味での「コンテンポラリーダンス」の現代性=同時代性だった*2。日本で言えば、コンテンポラリーダンスとは「ポスト・プラザ合意」時代のダンスだということになる。欧米で言えば、さしずめ石油危機後のスタグフレーション以降のダンスということだろう。

美徳と教養の殿堂に安置される芸術として享受されるというのが、コンテンポラリーダンス新自由主義へのひとつの順応だとすれば、新自由主義に抗するようなコンテンポラリーダンスも当然ありえるだろう。しかしここで注意すべきことは、単なる「対抗」の姿勢や「前衛」的なスタンスもまた、裏返しの仕方での体制順応にすぎなかったり、体制補完的なものに過ぎなかったりすることもある、ということだろう。
コンテンポラリーダンス」という言葉による体制への順応が完結してしまったと考える向きには、もうこの言葉は陳腐化したのだから、捨て去って良い、と考える人もいるようだ。
もちろん、「芸術見本市から各地の公共劇場にもっとコンテンポラリーダンスを流通させるべきだ」、という主張が、単なる体制順応や迎合ではなく、体制のありかたを足がかりにした創造的営為たりえるということもあるには違いない。

ひとつ断言できるのは、20世紀中葉とは違って、もはや前衛とか反体制とかの旗印を単純に掲げるだけで有意義であった時代では無いということだ。体制的であることと反体制的であることが単純には識別できないという時代。コンテンポラリーダンスという言葉のあやふやさ、両義性は、まさにそのことの反映でもある。

次の書物に掲載されている論文「ドイツのコンテンポラリー・ダンスの現在」から、副島博彦氏による「コンテンポラリーダンス」の説明を参照してみよう。

現代ドイツのパフォーミングアーツ―舞台芸術のキーパースン20人の証言

現代ドイツのパフォーミングアーツ―舞台芸術のキーパースン20人の証言

コンテンポラリーダンスとは、パフォーミングアーツとしてのダンスのコンテクストでは、一九八〇年代終わりから一九九〇年代以降、とくに欧米やイスラエル、日本などで盛んになった多様なスタイルの総称である(p.159)。

一九九〇年代以降のコンテンポラリーダンスは、もはや一極へは収斂していかなくなるのである。たとえば、舞踊家のバックグランドも以前に比べてはるかにひろがり、ダンス・クラシックもモダン・ダンスの多様なテクニックも、「ポストモダン・ダンス」のコンタクト・インプロビゼーションも数多くのなかのひとつの身体技法とみなされるようになり、マーシャルアーツ、民族舞踊、ヒップホップなど多様な身体技法が、尊卑を問われることなく援用されるようになり、身体技法の「名人芸」を誇示するような作品も後退してゆく。(p.161)

ここで、南米や東欧、アジア、アフリカ諸国が名指されていないことは、90年代日本の「同時代性」のあり方を反映したものなのだろう。また、ここで語られる「多様化」を、グローバルな市場化の帰結として考え直してみることもできるだろう。

もちろん、芸術のあり方を市場と関連付けただけで、何かの説明が終わったわけではない。しかし、芸術を社会の他の要因からかけはなれ自律した展開をするものだというような見方を相対化しておきたいだけである。

経済や産業という観点から言えば、コンテンポラリーダンスとは、ヴィデオデッキやヴィデオカメラ、パーソナルコンピューターやヴィデオゲームの類が日常生活にありふれたものとなるような時代のダンスだ、とも言える*3。この点で、モダンな時代のダンスとは自ずと違った性格を持つだろう。舞台という場所の相対的な意味合いも、社会やメディアの状況において変容してきたのだし、そのことを考慮に入れておくべきなのは当然のことだ。
考えてみるべきことはたくさんのこされている。

関連エントリー
コンテンポラリーダンスの三つの概念―覚書― - 白鳥のめがね
コンテンポラリーダンスの二つの歴史(改題)+ - 白鳥のめがね

*1:いわゆる「舞踏」をコンテンポラリーダンスに含めるかどうかで、日本と欧米で意見が齟齬した理由を、國吉先生は「欧米では見本市などを介して舞踏が紹介されたからコンテンポラリーダンスとして受容されたが、日本では舞踏を反市場的なものと考える系譜があったので、コンテンポラリーダンスと名指すことに抵抗があったのだ」という考えを示している。実情はそこまで単純ではなかっただろうという風にも思うけど、そういう傾向は確かにあったのだろう。ダンスの歴史にコミットした人の一つの見方、海外、国内の様々な舞踏関係者と深く関わっただろう人が残した一つの証言として、面白いと思う。

*2:もちろん、新自由主義とグローバリゼーションにいくつかのフェイズが分節できるように、コンテンポラリーダンスの展開をいくつかのフェイズにわけて考えてみることもできるのだろう。それは様々な立場から便宜に応じてなされれば良いことだ。

*3:ダンス批評家の武藤大祐さんがまだ学生の頃に解説していたホームページで最初期にダンスについて語っていた文章は、レニバッソの公演を格闘ゲームと類比して考察するというものだったことを思い出す。こういう視点のありかたを考慮に入れるべきだろう。テクノロジーについては、ドラッカーの自伝に次のような時代診断が記されている。「テクノロジーへの幻滅と敵意こそ、一九六〇年代から七〇年代前半にかけての時代の大儀だった。(略)だが実は、あの一〇年は、外観だけが反テクノロジーだったにすぎなかった。実際には、テクノロジーはあの一〇年に発見されたのだった。」ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)(pp.285-286)