誰もいない土地 いない人―NO MAN'S LAND展と画廊男―

壊される予定の建物に展示を行う。
TAB イベント - 「No Man’s Land」展
それまで立ち入れなかった建物が展示スペースとして公開されるということで、気になってでかけてみたのは三条会を見に行く前にすこし時間があいていた日だったけれど、出かけてみるとなにやらおしゃれ気な、デザイン事務所で働いていますって全身で表現してるみたいな人たちが多くて、その朝から倉庫で働いた帰りの僕は、どこか落ち着かない気持ちだった。『はなまるマーケット』で紹介されていたのが広報的にはみごとだったけど、この日も観客そっちのけで何かのラジオの取材が入っていた。

あとから、「まるで学園祭みたいな酷い展覧会だ」という感想がネットの噂に流れてきたのを目にしたこともあった。たしかに、大使館の建物は戦後なじみの教室空間のようでもあったし、そういうところに、近代の設計思想が具現化されていたりもしたのだろうが、だったらむしろ、学園祭的なものを規整しているものは何なのか、そこに嫌悪を覚えさせる欲望とは何に駆動されているのか、それを考えてみるべきなのだろう。僕は、いくつか良い展示があったので、たしかに会場の雰囲気は agreable では無かったけど、満足した。

確かに、どこに展示しても同じものをこういう場所に置くのはつまらない気がする。僕が気に入ったいくつかの作品も、site specific というか、その場所から、その場所のために、作られたものだった。多分、それは、墓標のように、動かしがたい事実への杭を打とうとしている。そうした発想や試みの作法がもはやいかにありきたりであろうと、月並みであるとか批判するのは、無作法なことである。墓標が月並みであることが、その価値を失わせないように。私たちは、墓標が商品化せざるをえない時代に生きている。

気に入った作品のひとつは、吉野祥太郎さんの作品だ。フランス大使館の、低層階が回廊のようになっているところの屋上が庭園のように、土を盛った芝生の庭のように、なっているところが在ったのだけど、吉野さんの作品は、かさぶたをめくるように、その屋上の地面の一部をはがしてみせるという作品になっている。一種のインスタレーションというか、彫刻的な造形でもあるのだけど、吉野さんはいろいろな場所に出かけて、野外で、その場所の地面をはがして固定してみせるようなシリーズ展開をしているようだ。
ちょうど秘密基地のハッチがひらくみたいに、地面の一部が30度くらいの角度で持ち上げられていて、浮いたところには、ざっくり切り取られた断面みたいに地下に埋もれていた土が露出している。そこには、茶碗のかけらがのぞき、草の根がからまり、小石がひっかかっている。
僕は日が暮れてから見たけれど、照明に浮かび上がるその作品のたたずまいは静かだけれど、語られなかった歴史の厚みを語りかけてくるような風情を感じで、しばらくそのそばにいたいという気持ちにさせた。

菅木志雄の作品は、さすがに巨匠然としていて一目見てもの派だった。家具調度の類が取り払われた裸の部屋の壁の一部に、垂直に一列、穴があけられていて、そこに鉄パイプがむき出しで水平に突き刺さっている。床には、小石の列が固定されていて、矩形に部屋の一部を囲むように、切り取り線のように、並んでいる。良く見ると、鉄パイプの根元に接着剤の樹脂が固まっているのが見える。小石も接着されているようだ。窓の外には、他の作品が見えるが、ただ荒涼とした風景が似合っただろうに、とすこし残念におもわせるだけの力が、そのへやそのものにこめられるような作品だった。
隣の部屋に行くと、壁にささった鉄パイプがこちらの部屋にも突き出ていて、二部屋セットの作品だったことが理解される。こうした照応のあり方や、微妙な違いの見せ方が、その場所でしか成立しない作品として提示されていて、その場に立ち会ったことの価値を有無を言わさず納得させるものがある。

ほかにも、旧大使館が残した遺物の類を利用したインスタレーションなどは、みかんぐみの家具再生プロジェクトも含めていくつか展開されていたが、そのなかで一番良いと思ったのは、大使館に残されていた辞書の類のページをシュレッダーにかけて、その大量な細かい紙片を、もとあった家具の場所が欠落として浮かび上がるような形にきれいに積み重ねて、白い塊が腰のあたりまで積み重なっていて、そこここに断面が見えているといった作品を展示したセシル・アンドリュ Cecile Andrieu が、そのコンセプトと造形的に簡潔な魅力の見事な統一において、傑出していたと思う。

画廊男というのは、壊される予定のビルの一室を「300日画廊」として運営していた佐藤洋一のことで、それが何日なのか良く知らないのだけど、何年か前の、1月下旬あたりのある日、彼は自ら世を去った。毎年、お正月気分が終わることには、画廊忌だなと思って暮らしている。
今思うと、これから壊されていく建物に現代美術を持ち込もうとしている時点で、佐藤洋一は、かなり追い詰められたところに立っていたような気がする。築き上げるのではなく、突き崩していくような場面に立つことに固有の質感というものもあるのかもしれない。消費というものが、いずれ消えていくことを動力にする運動であるとするなら、消費の轟音のなかにひっそりとした静寂をもたらす機会は、静かにこの世界から去っていくための通路の隣に、ほんのわずかの縁をつかまえることでしか、生まれないのかもしれない。

そんなことを思いながら、元フランス大使館を後にした。


最近は、何か、佐藤洋一の遺志を継ぐような企画が動き出しているらしい。
画廊忌として残された刻印を分け持つ人たちがいて、一時期の東京のあるマイナーなアートシーンに出入りしていた僕もそのひとりだ。