リズム三兄妹(再演)

岡崎芸術座の『リズム三兄妹』を見る。
http://okazaki.nobody.jp/next.htm
http://okazaki.nobody.jp/rhythm/

初演は、DVDをちらっと見たことがあるけど、この作品を舞台でみるのは初めて。昨年の『ヘアカットさん』が続編のような位置にあるのかな、次の作品とあわせて三部作のようになるのかな、などと考えた。

淡々とした日常生活の動作を、たとえば排泄であったり、入浴であったりを、服の上に下着を着て、それを脱いで裸になったということを記号的に示すような仕方で描いて見せて、その繰り返しで生活リズムというものをシンプルに示してみせる第一部。糞便を貨幣で象徴してみせるあたり、ただの思いつきではない冴えを感じさせる。

スター歌手を歌謡ショーさながらに見せ、小劇場のスター俳優を対比させながら、小劇場のスター男優にあこがれる女の子の下手な歌にリズムが無いよってつっこむ女の子の話だとか、スター歌手がステージで現実感を見失ってリズムを崩してしまう苦悩だとかを語る第二部。
そこで、リズムとかJ-ポップ歌謡の歌詞の解釈をめぐって兄妹のいさかう論争みたいなものが、リズムをめぐる主題を過不足なく提示し説明してしまう。

いよいよ下手なリズムのままに小劇場スター俳優に少女が告白するクライマックスは、あっけらかんと思いが通じたのか通じないのか、スター男優は性的にウ、ウェルカムだってあからさまかつどぎまぎと受け入れて暗転、そこで盛り上がった音楽が鳴り響くままに、舞台がさっと明るくなると、重なり合って魚がぴちぴち跳ねてるみたいなジェスチャーで性交を暗示する場面を浮かび上がらせる狂騒の一場面をさくっと提示して、再暗転して終演の第三部、という感じだろうか。

ポップスの歌詞を熱く語って人生考えてしまったりするようなつきなみな感慨だとか、俳優がバイトで忙しくしてるなんてありがちな現実だとかを、ゆるぎないリアリティの根底にすえてみせて、アイロニカルに一夜にしてスターになってしまうようなスター量産体制を皮肉りながらも、そういう現実をまずありのままに肯定することから始めるという、そこから何を始められるのかを問うという、そんな演劇作品だったと思うし、リズムなんて拍子からずれたってかまわないんだ、そこにもっと心を打つようなものが響くこともあるんだってシンプルであまりにも正しいメッセージが何の韜晦もなく、ひたすら直球でこめられているみたいで、そういうのは素晴らしいと思う。

『わが星』の型にはまったリズムが観客をもっていっちゃう、いかにも良い話をきれいにまとめちゃううさんくささとは対極にあるポジティブさだなと思う。

性だとか排泄だとか、忌避されるものを、ことさら大げさにではなく、あっけらかんと舞台にのせる手つきは見事だ。それはただそういうものなのだという。隠したものを暴くのではなく、隠したままに示すという。

私は『リズム三兄妹』と神里雄大を支持します。

手間を惜しんで出演俳優の皆さんの名前を挙げられなくて申し訳ないですが、出ているひとの演技もそれぞれ良かった。それは、再演可能なものとして練り上げられつつも、それぞれの演技がひたむきに舞台に響いているような質のものだった。