コンテンポラリーダンスの一つの時代(覚え書)
國吉和子さんの「舞踊とモダニズム」という副題をもつこの本は、「舞踏(Butoh)」をキャバレーやショーでのダンスも含めたモダニズム的な舞踊の流れの果てに歴史的に位置づけて文脈を示すという本なのだけど、最後に「コンテンポラリーダンス」という言葉に触れている。
- 作者: 国吉和子
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 2002/06
- メディア: 単行本
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基本的に、この認識は正しいと思う。コンテンポラリーダンスというものが、様々な公共的劇場にかけられるコンテンツとして世界的に流通するようになったのは「芸術見本市」の類が制度として整えられていった結果なのではないかと思う。
そして、こういう制度化は、新自由主義的な社会と経済の体制に支えられたものなのだろう。コンテンポラリーダンスは、新自由主義的な時代のダンスである、と言って良いと思う。
つまり、市場によってなりたつ「同時代性」が、もっとも広い意味での「コンテンポラリーダンス」の現代性=同時代性だった*2。日本で言えば、コンテンポラリーダンスとは「ポスト・プラザ合意」時代のダンスだということになる。欧米で言えば、さしずめ石油危機後のスタグフレーション以降のダンスということだろう。
美徳と教養の殿堂に安置される芸術として享受されるというのが、コンテンポラリーダンスの新自由主義へのひとつの順応だとすれば、新自由主義に抗するようなコンテンポラリーダンスも当然ありえるだろう。しかしここで注意すべきことは、単なる「対抗」の姿勢や「前衛」的なスタンスもまた、裏返しの仕方での体制順応にすぎなかったり、体制補完的なものに過ぎなかったりすることもある、ということだろう。
「コンテンポラリーダンス」という言葉による体制への順応が完結してしまったと考える向きには、もうこの言葉は陳腐化したのだから、捨て去って良い、と考える人もいるようだ。
もちろん、「芸術見本市から各地の公共劇場にもっとコンテンポラリーダンスを流通させるべきだ」、という主張が、単なる体制順応や迎合ではなく、体制のありかたを足がかりにした創造的営為たりえるということもあるには違いない。
ひとつ断言できるのは、20世紀中葉とは違って、もはや前衛とか反体制とかの旗印を単純に掲げるだけで有意義であった時代では無いということだ。体制的であることと反体制的であることが単純には識別できないという時代。コンテンポラリーダンスという言葉のあやふやさ、両義性は、まさにそのことの反映でもある。
次の書物に掲載されている論文「ドイツのコンテンポラリー・ダンスの現在」から、副島博彦氏による「コンテンポラリーダンス」の説明を参照してみよう。
現代ドイツのパフォーミングアーツ―舞台芸術のキーパースン20人の証言
- 作者: 堤広志
- 出版社/メーカー: 三元社
- 発売日: 2006/04/01
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コンテンポラリーダンスとは、パフォーミングアーツとしてのダンスのコンテクストでは、一九八〇年代終わりから一九九〇年代以降、とくに欧米やイスラエル、日本などで盛んになった多様なスタイルの総称である(p.159)。
一九九〇年代以降のコンテンポラリーダンスは、もはや一極へは収斂していかなくなるのである。たとえば、舞踊家のバックグランドも以前に比べてはるかにひろがり、ダンス・クラシックもモダン・ダンスの多様なテクニックも、「ポストモダン・ダンス」のコンタクト・インプロビゼーションも数多くのなかのひとつの身体技法とみなされるようになり、マーシャルアーツ、民族舞踊、ヒップホップなど多様な身体技法が、尊卑を問われることなく援用されるようになり、身体技法の「名人芸」を誇示するような作品も後退してゆく。(p.161)
ここで、南米や東欧、アジア、アフリカ諸国が名指されていないことは、90年代日本の「同時代性」のあり方を反映したものなのだろう。また、ここで語られる「多様化」を、グローバルな市場化の帰結として考え直してみることもできるだろう。
もちろん、芸術のあり方を市場と関連付けただけで、何かの説明が終わったわけではない。しかし、芸術を社会の他の要因からかけはなれ自律した展開をするものだというような見方を相対化しておきたいだけである。
経済や産業という観点から言えば、コンテンポラリーダンスとは、ヴィデオデッキやヴィデオカメラ、パーソナルコンピューターやヴィデオゲームの類が日常生活にありふれたものとなるような時代のダンスだ、とも言える*3。この点で、モダンな時代のダンスとは自ずと違った性格を持つだろう。舞台という場所の相対的な意味合いも、社会やメディアの状況において変容してきたのだし、そのことを考慮に入れておくべきなのは当然のことだ。
考えてみるべきことはたくさんのこされている。
※関連エントリー
コンテンポラリーダンスの三つの概念―覚書― - 白鳥のめがね
コンテンポラリーダンスの二つの歴史(改題)+ - 白鳥のめがね
*1:いわゆる「舞踏」をコンテンポラリーダンスに含めるかどうかで、日本と欧米で意見が齟齬した理由を、國吉先生は「欧米では見本市などを介して舞踏が紹介されたからコンテンポラリーダンスとして受容されたが、日本では舞踏を反市場的なものと考える系譜があったので、コンテンポラリーダンスと名指すことに抵抗があったのだ」という考えを示している。実情はそこまで単純ではなかっただろうという風にも思うけど、そういう傾向は確かにあったのだろう。ダンスの歴史にコミットした人の一つの見方、海外、国内の様々な舞踏関係者と深く関わっただろう人が残した一つの証言として、面白いと思う。
*2:もちろん、新自由主義とグローバリゼーションにいくつかのフェイズが分節できるように、コンテンポラリーダンスの展開をいくつかのフェイズにわけて考えてみることもできるのだろう。それは様々な立場から便宜に応じてなされれば良いことだ。
*3:ダンス批評家の武藤大祐さんがまだ学生の頃に解説していたホームページで最初期にダンスについて語っていた文章は、レニバッソの公演を格闘ゲームと類比して考察するというものだったことを思い出す。こういう視点のありかたを考慮に入れるべきだろう。テクノロジーについては、ドラッカーの自伝に次のような時代診断が記されている。「テクノロジーへの幻滅と敵意こそ、一九六〇年代から七〇年代前半にかけての時代の大儀だった。(略)だが実は、あの一〇年は、外観だけが反テクノロジーだったにすぎなかった。実際には、テクノロジーはあの一〇年に発見されたのだった。」ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)(pp.285-286)