『動物ポモ』再読(1)―Kojeve/Yiyeasu/Snobisme

東浩紀の『動物化するポストモダン』(『動ポモ』と略す)のキーワードとなる「動物化」は、ロシア出身の哲学者アレクサンドル・コジェーヴの議論からヒントを得て用いられた言葉だ。東浩紀自身が、同書の中で『ヘーゲル読解入門』(Introduction a la lecture de Hegel)を引用し、参照指示している。
しかし、コジェーヴヘーゲルの『精神現象学』に対して行っている注解に直接あたってみると、東浩紀の言う「動物化」や「スノビズム」は、コジェーヴの議論とは一致しないことがわかる。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

私は、東浩紀コジェーヴの議論を恣意的に単純化し、自分の議論に都合の良いように図式化していると考えている。動物性の概念自体が、コジェーヴ東浩紀では決定的に異なっている。

コジェーヴは徹底して論理的であろうとするのに対して、東浩紀は、コジェーヴの議論の都合の良いところだけを摘み取って、ad hocな議論をしている。コジェーヴには一貫した歴史哲学があるが、東浩紀には場当たり的な歴史判断しかない。

以下、東浩紀コジェーヴの議論をいかに恣意的に利用しているのかを指摘するが、だからと言って、私は、東浩紀ポストモダン論が成り立たないとか、意味が無いとか言いたいわけではない。
私が意図するのは、東浩紀のBlindness をはっきりさせることによって、東浩紀の Insight をより明確化したい、というようなことだ*1

コジェーヴと「歴史の終わり」

コジェーヴの「歴史の終わり」をめぐる議論が単なる哲学研究の枠を超えて読まれているのは、コジェーヴヘーゲルの歴史哲学を正しい(真理である)とみなし、実際の世界史をヘーゲルに従って具体的に解釈しようとするからだ。

ヘーゲル読解入門―『精神現象学』を読む

ヘーゲル読解入門―『精神現象学』を読む

コジェーヴは自身がヘーゲルの『精神現象学』についてフランスの高等教育機関(l'Ecore des Hautes Etudes)で1930年代に行った講義の記録が出版された後*2その第二版に「歴史の終わり」について注を加え、日本に言及した。1959年に日本に旅行した印象によって、「歴史の終わり」についての考え方を改めたというのだ。その注はネット上でも原文を読むことができる。

Alexandre Kojeve : LA FIN de L'HISTOIRE - Notes

さて、『動ポモ』でコジェーヴによる日本についての議論に言及がなされるのは第一章(p.29)と第二章の7節「スノビズムと虚構の時代」(p.95〜)、そして第9節「動物の時代」(p.125〜)においてである。

第一章で東浩紀は、80年代の「ポストモダニズム*3においてコジェーヴの議論が「日本が最先端である幻想」を強化するものとして日本で歓迎されたことについて批判的に言及する。
第一章でのコジェーヴへの言及は、いわば、かつてのコジェーヴ受容と自分のコジェーヴの援用を区別してみせるための予備的な作業だ。東自身の議論にコジェーヴの議論が組み込まれるのは第二章においてだ。東の議論を見てみよう。

ヘーゲル哲学は十九世紀の初めに作られた。そこでは「人間」とは、まず自己意識をもつ存在であり、同じく自己意識をもつ「他者」との闘争によって、絶対知や自由や市民社会に向かっていく存在だと規定されている。ヘーゲルはこの闘争の過程を「歴史」と呼んだ。/そしてヘーゲルは、この意味での歴史は、十九世紀初めのヨーロッパで終わったのだと主張していた。(『動ポモ』p.96)

むろん、西欧型の近代社会の到来をもって歴史の完結とするこのような考え方は、のち民族中心主義的なものとして徹底的に批判されている。しかし他方で、ヘーゲルののち、二世紀のあいだ近代的価値観が全世界を覆っていったという現実がある以上、その歴史観がなかなか論駁しがたいのも事実である。(『動ポモ』p.96)

このように、東浩紀は、コジェーヴが依拠するヘーゲル的な「歴史の終わり」の議論を自分自身が援用することを、実際の世界史の文脈に結びつけて根拠付ける。いわば、正当化してみせる。ヘーゲルの議論は、単なる思想史のエピソードではなく、実際の歴史に当てはまるというわけだ。これは、東浩紀が日本のオタク的な現象(オタク系文化)を「世界的なポストモダン化の流れのなかで理解してみよう」(『動ポモ』p.19)と意図しているからこそ、求められた手続きであるとも言える*4

コジェーヴは近代化が完成することで「歴史が終わる」とし、歴史以降(つまり、ポストモダン)の社会について、アメリカと日本をそのモデルとして取り上げる。東浩紀ポストモダン社会の診断としてコジェーヴの議論を援用するわけである。

コジェーヴは、ヘーゲル的な歴史が終わったあと、人々には二つの生存様式しか残されていないと主張している。ひとつはアメリカ的な生活様式の追及、彼の言う「動物への回帰」であり、もうひとつは日本的なスノビズムだ。(『動ポモ』p.97)

東浩紀コジェーヴの日本的スノビズムについての議論を「切腹」と「江戸文化」に「代表」させているが、それによってコジェーヴの議論を手なずけてみせ、その射程を軽く見積もるようにしむけている。

切腹と特攻

スノビズムについて東は「与えられた環境を否定する実質的理由が何もないにもかかわらず、「形式化された価値に基いて」それを否定する行動様式である」(『動ポモ』p.98)とまとめた上で以下のように論ずる。

スノッブは環境と調和しない。たとえそこに否定の契機が何もなかったとしても、スノッブはそれをあえて否定し、形式的な対立を作り出し、その対立を楽しみ愛でる。コジェーヴがその例に挙げているのは切腹である。切腹においては、実質的には死ぬ理由が何もないにもかかわらず、名誉や規律といった形式的な価値に基いて自殺が行われる。これが究極のスノビズムだ。:::略:::このような生き方は、否定の契機がある点で、決して「動物的」ではない。だがそれはまた、歴史時代の人間的な生き方とも異なる。:::略:::もはやいかなる意味でも歴史を動かすことがないからである。純粋に儀礼的に遂行される切腹は、いくらその犠牲者の屍が積みあがろうとも、決して革命の原動力にはならないというわけだ。
(『動ポモ』p.98)

該当するコジェーヴの議論を見てみよう。日本社会がポスト歴史的であることについて、コジェーヴは次のように記述する*5

ほとんど300年の長きにわたって「歴史の終わり」の期間の生活を、つまり、どのような内戦も対外的な戦争もない生活を経験した唯一の社会(平民(roturier)の Hideyoshiにより「封建制」(feodalisme)が解消(liquidation)され、その後継者である貴族(noble)のYiyeasuによって人為的な国の閉鎖が構想され実現された後)

高貴な日本人たち(nobles)の実存(existence)は、彼らが自己の生命を危険にさらすことを止めながら(決闘においてさえ)、だからといって労働を始めたわけでもない、それでいてまったく動物的ではなかった。

「ポスト歴史的」な日本の文明は「アメリカ的な路線」とは正反対の道を進んだ。おそらく、日本にはもはや語の「ヨーロッパ的」あるいは「歴史的」な意味での宗教も道徳も政治もないのであろう。だが、純粋な状態のスノビズムがそこでは「自然的」あるいは「動物的」な所与を否定する規律を作りだしていた。それはその効力において、:::略:::歴史的な行動、つまり、戦争や革命などの争いや強いられた労働から生まれた規律を遥かに凌駕していた。

執拗な社会的経済的な不平等にもかかわらず、すべての日本人は例外なく、現在も(actuellement)すっかり「形式化」された諸価値、つまり、歴史的な意味で人間的な内容をすべて完全に空にされた諸々の価値、に基いて生きている状態にある。かくして、究極的にはどの日本人も理論上(en principe)、純粋なスノビズムによって、まったく「無償=無根拠」な(gratuit)自殺を行うことができる(伝統的な(classique)サムライの刀は飛行機や魚雷に取り替えることができる)

コジェーヴは、切腹が究極のスノビズムだと論じているわけではない。いわばコジェーヴは「ポスト歴史的に形成された規律が浸透しているので、現代でも日本人は誰でも意味もなく自殺できる。昔の武士は切腹したし、現代の日本人は特攻したではないか」と言っているのだ。
コジェーヴの日本社会についての議論が正しければ、とりわけオタク系文化に限らず、日本においては、誰しもスノビズムの中を生きていることになる。たぶん、「過労死」や自殺率の高さなどは、コジェーヴの議論にとって格好の論拠となったことだろう。

大きな物語」が機能していた時代、太平洋戦争末期(一九四四〜四五年)の特攻隊員は日本の民族や国家や天皇のためならば死ぬことを厭わなかった。
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日本人は、特攻を「大きな物語」に殉じたものだと考えたいかもしれないが、コジェーヴにとっては、単なる形式的な自殺として、特攻も切腹も過労死も、等価なのだ。なぜなら、その行為には、いかなる「人間的」な意味も内容もないと考えているからだ。

コジェーヴの議論をとりわけオタク系文化に短絡させるためには、東浩紀にとっては、読者が特攻隊について忘却したままでいることが必要だったのだと思う。ここには見た目以上の意味があると思う。

では、東浩紀コジェーヴが「神風特攻隊」に代表される特攻に言及していることを伏せたのは、どのような操作だろうか?

コジェーヴは、日本にとって第二次大戦の経験には歴史的な意味がないと考えている。おそらく、「敗戦の傷跡」を日本文化の背景に見る(『動ポモ』p.25)東浩紀は、それには同意できない。敗戦は無意味ではなかったと考えて、歴史的に位置付けているのだから。

東浩紀は、「切腹」に日本的スノビズムを代表させることで、コジェーヴの議論をいわば「昔話」にしてしまう。

コジェーヴにとっては、論理的に言って、一度「歴史が終わり」を迎えた後に、再び歴史が動き始めることはない。徳川治世において歴史が終わった以上、日本社会はその後ずっとポスト歴史の空間がひろがることになる*6コジェーヴスノビズム論は、そのように成り立っている。
それを東は日本社会の歴史の一部にしかあてはまらないよう「局所化」し「無害化」した上で、オタク系文化論につなげているわけだ。

江戸文化と武家社会

東浩紀コジェーヴスノビズム論を「江戸の町人文化」につなげている。

日本の江戸時代はしばしば、歴史の歩みが止まり、自閉的なスノビズムを発達させた時代として表象されてきた。(『動ポモ』p.35)

オタクのスノビズムは江戸文化の形式主義の延長線上にある(『動ポモ』p.105)

これは、大塚英志が『物語消費論』において、オタク的な二次創作を歌舞伎や人形浄瑠璃で言われる「世界」と「趣向」という概念で分析したこと、それを受けた岡田斗司夫が『オタク学入門』で、趣向と戯れるオタクのセンスを江戸時代の「粋」に結びつけたことを踏まえたものだ(『動ポモ』pp.16-17)。

しかし、コジェーヴが日本的スノビズムを典型的に示すとして例示するのは「江戸の町人文化」ではない。

特に日本的であるスノビズムの頂点(これに匹敵するものはどこにもない)、すなわち演劇の能、茶の儀式、花を束ねる芸術、は高貴で富裕な人々の占有物だったし、いまだにそうである。*7

つまり、武家社会の文化がスノビズムの頂点であると言っている*8東浩紀は、一方で切腹スノビズムの代表としながら、他方で能や茶道や華道など武家的文化への言及を無視するわけで、全く一貫していない。

コジェーヴの日本史の解釈は、「江戸時代」という区分に基いてはいない。 HideyoshiとYiyeasu*9によって成立した、閉じた平和の中で、「高貴な」階層の主導によって構築された規律が社会に全面化していると考えている。

おそらくコジェーヴは「語のヨーロッパ的な意味での」歴史によって日本史を解釈している。そこでは、公家と武家の違いや天皇制と幕府の関わりなどは「形式的に」無視しても良いとみなされている。コジェーヴは、単純に無知であったのかもしれないが、コジェーヴからすれば、知る必要が無かったディテールだとも言える。
だからこそ、コジェーヴはHideyoshiを封建制を解消した平民(roturier)であるとするのだ。おそらくコジェーヴの日本史の解釈には、権力の変化についての、ヨーロッパ的な概念が内的な論理として働いている。だからこそ、日本的スノビズムの典型をなすのは、武家的な教養とみなされるのだ。

では、なぜ、東浩紀はそれを江戸の町民文化にすりかえてしまうのか。ひとつには、大塚英志岡田斗司夫の「オタク論」の系譜をコジェーヴの議論に接木するためだ。
この場合、町民的な「消費」がオタク的「消費」に直結させられる。武家的な「教養」を問題にすれば、オタクの「消費」的な文化に接合するための媒介が必要となるが、それを無視することで、江戸とオタクを短絡することが可能になる。
江戸の町民文化に日本の伝統文化を「代表」させることは、オタク系文化にポストモダン的日本文化を「代表」させるための前提として継承されている。つまり、東浩紀は、オタク文化が日本の伝統を継承するとする議論を批判しておきながら、自分の議論に密輸しているのだ。
そうしないと、コジェーヴの議論は、現代の日本文化全てにあてはまってしまうことになり、とりわけオタク系文化がポストモダン的な状況を典型的に表すもの、代理表象するものである、という議論が成り立たなくなってしまうのだから。

この点でも、東浩紀は、コジェーヴの日本社会論が全面的に貫徹されないように、骨抜きにしたうえで、限定的に都合よく(ad hoc に)使っていることになる。

コジェーヴ/東を歴史に送り返す

東浩紀コジェーヴの議論について次のように述べる

コジェーヴのこの議論は短い日本滞在と直観だけに基づいており、多分に幻想が入っている。(『動ポモ』p.99)

おそらく、この言葉は、そっくり東浩紀自身のポストモダン論にも送り返すことができる。東浩紀ポストモダン論は、日本社会についての、たかだか20数年生きただけの個人的な狭い経験と直観に基づいた、多分に幻想が入った議論である。

だからくだらない、と結論するつもりはない。コジェーヴの日本論に一抹の正しさがあるように、東浩紀の直観にも、重要な洞察が含まれていると私は思う。

問題は、コジェーヴヘーゲルの歴史哲学を実際に真理であると思い込めた仕方、その論理はどこにあるのか、そしてその論理が、日本史についてのいかなる幻想を生み出したのか、それを歴史的に解釈しなおすことだ。

コジェーヴが日本について、そしてアメリカや中国、ソ連について語ったことを、1950年代の世界史に送り返し、ロシア革命や第二次大戦を生き抜いて、戦後のヨーロッパの秩序形成のために働いたコジェーヴ自身の人生におき直して、解釈するべきだ。コジェーブにとって、ヘーゲル哲学の「クリニカル」な機能はどんなものだったのか、歴史を理解し意味付けようとする欲望はどのようなものだったのか、と。

アレクサンドル・コジェーヴ - Wikipedia
東浩紀ポストモダン論も、同様に第二次大戦以降の日本の世界史的状況と、そこで若手の言論人としてまつりあげられた東浩紀自身の人生におき直して、解釈すべきなのだ。

おそらく、コジェーヴの議論を世界史から遊離させて、都合よく「形式」を抜き出して使おうとする東浩紀自身のポストモダン論自体が「シニカルなスノビズム」に彩られている。

問題は、コジェーヴの議論から「形式的」に「使える」議論を抽出することではなく、その実質的な内容を歴史的に考えることだ。東浩紀の議論が単なるスノビズムではないとして、そこに読み取るべき「内容」や「意味」があるとすれば、同じことが言える。
その場合に「歴史という概念」の地位が改めて問われるにしてもだ。

(2)に続く。

☆参考リンク
東浩紀のオタク系文化論へのオタク側からの真摯な対応(本文中でも座談会を引用した)
WWFNo.27

ゲーム作家から『動ポモ』の総括
http://media.excite.co.jp/book/special/bk1/index.html

コジェーヴに言及するジジェク
ZIZEK

*1:ただし、部分的には東浩紀の議論には有害な面があり、それを批判しておくべきだと考えている。

*2:編者は『地下鉄のザジ』や『文体練習』で知られるレイモン・クノーhttp://en.wikipedia.org/wiki/Raymond_Queneau

*3:東浩紀は、ポストモダンを「70年代以降の文化状況を漠然と指す言葉」とし、「思想的立場」としてのポストモダニズムと区別する。『動ポモ』p.27

*4:裏返して言えば、コジェーヴの歴史哲学が東浩紀をして、オタク系文化を世界史的に解釈するようにそそのかしている

*5:原書p.437、邦訳246‐247頁。ただし、邦訳は日本的に意訳しすぎている。以下、邦訳書をもとにして原文から大幅に訳しなおした。ちなみに、邦訳ではroturierを農民、nobleを武士と訳している

*6:出典がはっきりしないが、浅田彰が次のようにコメントしていたようだ「浅田 (中略)しかし、コジェーヴはポストヒストリカル生活様式としてもう一つの可能性を考えていたんですね。それが彼の言う日本的スノビズムです。日本では、関が原の戦いにおいてすでに歴史が終わり、そのあとすべては空虚な形式を反復し洗練するだけのスノビッシュな記号のゲームになった……。実は七〇年代からとりわけ八〇年代にかけて世界に広がったポストモダニズムというのは、そのような日本的スノビズムの支配だったと言えるかもしれません。(中略)自殺さえもが、見かけだけのためになされるからです。空虚なパフォーマンスとしての三島由紀夫の自殺のように。」 http://d.hatena.ne.jp/annojo/20051123/p1

*7:訳書、247頁、原書 p.437

*8:最近で言えば『へうげもの』が描いているような文化こそ、日本的スノビズムの頂点だということになる。つまり、コジェーブ的に言えば、利休の切腹によって日本文化は完成したのだ。それ以降の全てが等しくポストモダン文化である、ということになる。

*9:Yiyeasuは徳川家康の誤記であると解釈できるが、そうすると、三代将軍までが混同された名前であると考えるべきだ。いわゆる鎖国体制は、秀忠から始まり家光の時代に完成したとされる。しかし、Yiyeasuといういささか奇妙な綴りが「家康」の誤りであると決定付けることを可能にする根拠とは何だろうか?コジェーヴが誤っているとして、その誤りをどの次元で考えるべきなのか。現に、コジェーヴの記述から日本史について知識を得る人々が絶えないとして。