東浩紀の『動物化するポストモダン』(『動ポモ』と略しています)を読み返すシリーズの続きです。 いままでのまとめと今回の論旨 第一回で私は、コジェーヴの日本的スノビズム論には「特攻も歴史的意味を持たない形式的な自殺の一例である」という主張があ…
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