『動物ポモ』再読(2・改)―社会と死

人間は動物である。だから人間が動物化する、といっても別に驚くべきことはない。石が鉱物化すると言っても別に驚くべきことはないように。

では、なぜことさら「動物化」という言葉を東浩紀はキーワードにし、問題にするのだろうか。

人間には、ただの動物である以上の価値があると前提される限りにおいてである。
人間性」は単なる動物以上の何かである、ということが考えるひとにとってだけ「動物化」はスキャンダルにはならない。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

その点で、『動物化するポストモダン』(『動ポモ』と略す)というタイトルを選んだ東浩紀は、動物化をスキャンダルと見せかけることで、社会通念におもねっているともいえる。「人間的である」ことが単に動物である以上にスキャンダラスな事態である、という観点をとるような仕方で社会通念を挑発することは無いのだ。

そうだとして、動物以上の人間性について、『動ポモ』でどのように扱われ、どのように扱われていないのか。そのことについて考えるヒントを、社会と死という点から拾ってみたい。

社会について

東は、動物的欲求と人間的欲望の区別を議論に導入する(『動ポモ』p.61)*1
その上で、人間は、他者に欲望されることを欲望する、つまり、他者から承認されたいという欲望を持つ(動物は持たない)、その欲望の関係(間主体的な構造)が社会関係を可能にする、と整理する*2

「動物になる」とは、そのような間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏―満足の回路を閉ざしてしまう状態の到来を意味する。(『動ポモ』p.127)

ここで、動物とは他の個体との関わりを求めず、身体的な欲求の満足だけを追求する存在とみなされている。では、そのような動物とはどのような動物だろうか。野生動物ではない。ブロイラーのような、管理された家畜が一番近いだろう。
東の言う「動物」は、一般的な動物の概念を極めて貧しくしたものであり、そのように抽象された動物性が動物の本質である、と暗黙のうちに前提している。

野生動物の個体を、人間以上に周囲の環境との緻密な相互作用のなかに生きる高度の情報処理体として考えることもできるのだから、環境から切り離されて器官的な充足にふけるという動物のイメージは、意図的に貧しくされたものと言うべきだ。

動物の体は、個々の筋肉がゴムのように張っていて、その個々の筋肉の張りが互いを引っ張り合うような感じでバランスを保っている。だから一箇所が動くと全体が一斉に動いて、たちまち新しいバランスを生み出す。このような体は、一見静止しているように見える時でも、実は隅々までエネルギーが漲っているから、すぐに動き出せる。
2007-05-16

掃除は、動物もするものであり、自分のテリトリーを示すための営みでもあるから、人間に固有の行為ではない。
9月28日 | PLAYWORKS岸井大輔ブログ - 楽天ブログ

単純に言えば、ある種の動物が形成する群れと、人間の社会との間に連続性を見ることもできるのだから、社会性の有無に人間と動物の本質的な相違を設定しようとすることは、問題の所在を混乱させる図式化かもしれない*3

人間を一種の社会を営む動物として考えるとき、人間が個体として他の個体や野生的環境から分離され、ある種の単独での生を送るような環境に置かれることを、「人間」から「動物」になる、と説明するのは不適切であるかもしれない*4
動物という概念について、それを一部の動物(たとえば管理された家畜)のイメージをもって代理表象することをやめて、動物という概念をその最大の広がりにおいて考えてみるべきだろう。

さて東浩紀が「動物化」という言葉で言い表そうとすることは、次の一節に極まっている。

近代の人間は、物語的動物だった。彼らは人間固有の「生きる意味」への渇望を、同じように人間固有な社交性を通して満たすことができた。言い換えれば、小さな物語と大きな物語のあいだを相似的に結ぶことができた。
しかしポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている。そこではもはや、:::略:::世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。意味の動物性への還元、人間性の無意味化、そしてシミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の解離的な共存。(『動ポモ』p140*5

ここで「社交性」が人間固有と言われているのは、コジェーブに依拠して根拠付けられている。だが、唐突に導入される「生きる意味への渇望」という用語は、すでにコジェーブの枠組みに収まっていないようだ。また「物語的動物」という用語も、「間主観的な構造が消えること=動物化」というそれまでの規定からずれた用法となっている。

この点において、東浩紀の議論は十分整理されていない。通念やイメージに引きずられて叙述が混乱してしまっているように思われる。

東浩紀による「動物化」論自体が、恣意的なイメージ操作に過ぎない可能性は大きいが、だとしたら問題は、その議論の混乱がどのような論理に導かれたものであり、どのような欲望に裏打ちされたものかを分析してみることだろう。

死について

『動ポモ』で東浩紀がコジェーブのヘーゲル講義を参照しながら正面から扱わず、黙殺しているのは、コジェーブが取り上げる神と自然の関わり、そして死の問題である*6

コジェーブの議論において、動物的生は単なる生命の存続を意味する*7。人間的な生においては、単に生きることよりも死を尊しとすることもある*8。死を賭すこともあるのが人間である。『動ポモ』での東浩紀は、この論点をスルーしている。これは、コジェーブが特攻隊について行った議論を東が無視したこととも関わるだろう。

武力紛争において、命をかけて自分(たち)の生を保つ必要に立たされるときに人格がどのような変容を遂げるのか。人間がどのような動物なのかを考えるときに、以下の指摘は、根拠は知らないが、考慮すべき報告だろうと思う。

とはいえイスラエルでのオタク生活には大問題がある。そう、兵役義務だ。イスラエルでは男女ともに兵役の義務があり拒否したら懲役刑となる。兵役を終えた人はオタク趣味を捨ててしまうことが多い(これは世界共通の現象)。

ただし女性の場合は裏方の非戦闘部署に配置されることが普通なので兵役を終えてもオタク趣味を維持するケースが多い。結局イスラエルのオタク社会の将来はユダヤ腐女子の肩にかかっている。ちなみに聖書ネタのやおい同人誌がやたらに多いのがイスラエルの特徴*9
初音ミクが歌うイスラエル国歌が海外で波紋 - Suzacu Late Show

シミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の解離的な共存」というのが、『動ポモ』のビジョンを要約する一言だといえるが、そういった乖離的パーソナリティにおいて死の問題がどのような意味を持つのか、という論点が、東浩紀のその後の著述に科せられてゆくのは、いわば論理的な必然だった。


関連エントリー
『動物ポモ』再読(1)―Kojeve/Yiyeasu/Snobisme - 白鳥のめがね

(追記)余計な記述を削除して整理しなおした。単なる読書メモとは言え支離滅裂すぎた(2010年1月18日)

*1:注46で東自身が注意している通り、コジェーブの人間的欲望、動物的欲望という区別を、ラカン派の用語の翻訳を参照して、欲求と欲望の差異に置き換えている

*2:東はここでも、ラカン派的なコジェーブ受容に言及し、男女の性愛を前景化させながら、承認と関わる主と奴の死を賭した闘争という面を後景化する

*3:これは、まさしく「社会生物学」をめぐる論争と関連する、『社会生物学論争史』については次のエントリーで触れた 書評を読めばダメな理由がわかる―二つの「知」と古臭い感性+8 - 白鳥のめがね

*4:ここで問題なのは、社会的動物としての人間にとって単独で生きることが本来的ではない、と考えるということではない

*5:この一節は、次のサイトに著者自身が引用している。 http://www.hirokiazuma.com/prof/books/dobutsu.html

*6:おそらくこれらの問題系がすべて「大きな物語」と呼びかえられている。

*7:あるいは、『人間の条件』でマルクス主義を批判するアレントが、単に生き残るだけの生き方を人間的価値を欠いたものと考えていたことが想起される。アレントに従って乱暴に言えば、福祉国家の運営だけをめざす社会は動物の群れと変わらない。

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

*8:動物化、という問題について考えるべきことをもうひとつ加えておけば、今後、食料や水の奪い合いが深刻な問題になると言われている。つまり、資源と領有、つまりテリトリー(縄張り)の問題が前景化するだろう、ということを考えるべきだ。この点で、コジェーブがアメリカ社会や日本社会に歴史の終わりを見ることができたのが、第二次大戦後の復興において、公民権運動が公民権法制定を実現する以前、ヴェトナム戦争以前、石油危機とそれに伴うスタグフレーション以前、イラン革命以前の政治状況の中においてだったことを忘れるべきではない。

*9:この報告には次のような指摘もなされていた。真偽のほどは知らないが、このような議論が出てくるということ自体が興味深い。「兵役を終えた人はオタク趣味を捨ててしまうことが多い(これは世界共通の現象)」らしいけど、自衛官にはオタクが多いらしい。つまり自衛隊は軍隊ではないんだよ!!
http://bcmstar.ashitano.in/index.php?eid=13729074