林達夫とスノッブな動物

林達夫芸術論集という本が講談社文芸文庫から出た。さっそく図書館に入ったので借りて読んでいる*1

林達夫芸術論集 (講談社文芸文庫 はK 1)

林達夫芸術論集 (講談社文芸文庫 はK 1)

そこに収録された「思想の運命」という文章に、「思想的スノッブについて」という一節がある。そこで、スノッブとはどういう存在かについて、アリストテレスが動物誌に記した逸話を取り上げて、羊に見立てている。
ある人物が「恨みある商人に復讐するために、この羊の習性を利用した」という話だ。以下引用する。

狡知に長けた彼は、船の甲板にうじゃうじゃいたその商人の羊の群れの中からたった一匹、先頭の羊を海に投げ込む労をとるだけで事足りた。あとは手を拱(こまね)いていても羊の習性がやってくれたからである。羊の群れは先導者のあとを追って何のためらいもなく次から次へと海中へ飛び込んでいく。自分の商品の思いも寄らぬこの異変に胆を潰した商人はせめてまだ居残っているだけでもと思って、殊更大きそうな一匹にしがみついたが、この羊も思い止まるどころかこの持主を背にしたまま甲板から勇躍身を躍らしたのである。この怯惰な動物がそれほど向こう見ずに勇敢でもあるということをこの溺死者は不幸にも思い出す余裕が無かったのだ。
林達夫芸術論集 (講談社文芸文庫 はK 1)(39頁)

この末尾の締めくくり方は皮肉めいている。それもそのはずで、こうした皮肉めいた言辞には批判的な意図がこめられている。この文章の初出は1938年4月の「都新聞」。盧溝橋事件により日中戦争が始まるのが1937年7月、太平洋戦争開戦が1941年12月。林達夫国家総動員法によって戦時体制が整えられていく状況において、戦時体制への迎合を先導した知識人たちを「思想的スノッブ」と呼んで批判したことになる。

林達夫の戦前の文章を読んでいると、全く古さを感じない。まるで、現代からタイムスリップして戦時下を生きている人のようだと思ったりする。あたかもタイムスリップしたかのような見方を可能にするのは、思想史についての深い洞察、人文的教養の厚みである、と言えるかも知れない。

ところで、先に挙げた文で林達夫は「自己のない空虚な人間ほど「ヘロイズム」*2に易々と身を投じる」と記している。
東浩紀がコジェーブから借用する「スノッブ」という言葉も、林達夫が戯画化してみせたスノッブ像に準じたものとして理解してよいのだろう。

『動物ポモ』再読(1)―Kojeve/Yiyeasu/Snobisme - 白鳥のめがね
東浩紀氏がいうスノビズムの定義って一般的なスノビズムの定義とは違いますよね? - BIGLOBEなんでも相談室

*1:林達夫の本は大学院修士時代の一時期熱中して読んだことがあった。全部読破はしてないけども。今回の芸術論集に収められた論文は必ずしも芸術を主題にしたものではない。林達夫が思想史を腑分けする達意の名文が「芸術」というタグによって「誤配」されるとしたら、とても良いことだろうと思う

*2:heroism 英雄主義