『動ポモ』再読(3)―スノビズム=シニシズムという短絡

東浩紀の『動物化するポストモダン』(『動ポモ』と略しています)を読み返すシリーズの続きです。 いままでのまとめと今回の論旨 第一回で私は、コジェーヴの日本的スノビズム論には「特攻も歴史的意味を持たない形式的な自殺の一例である」という主張があ…

『動物ポモ』再読(2・改)―社会と死

人間は動物である。だから人間が動物化する、といっても別に驚くべきことはない。石が鉱物化すると言っても別に驚くべきことはないように。では、なぜことさら「動物化」という言葉を東浩紀はキーワードにし、問題にするのだろうか。人間には、ただの動物で…

『動物ポモ』再読(1)―Kojeve/Yiyeasu/Snobisme

東浩紀の『動物化するポストモダン』(『動ポモ』と略す)のキーワードとなる「動物化」は、ロシア出身の哲学者アレクサンドル・コジェーヴの議論からヒントを得て用いられた言葉だ。東浩紀自身が、同書の中で『ヘーゲル読解入門』(Introduction a la lectu…

「私的に公的」の東浩紀++

Lifeに東浩紀がゲスト出演したときに 東浩紀と言う人は、「私」を棄却させるものとして政治や思想を語るという仕方で、「私」的なものを政治とか公的なものから守ろう、守ろうとしている人なんじゃないか、ってことだ。 政治とか公的なものを、「私」とは無…