『動ポモ』再読(3)―スノビズム=シニシズムという短絡

東浩紀の『動物化するポストモダン』(『動ポモ』と略しています)を読み返すシリーズの続きです。

いままでのまとめと今回の論旨

第一回で私は、コジェーヴの日本的スノビズム論には「特攻も歴史的意味を持たない形式的な自殺の一例である」という主張があり、日本的スノビズムの頂点を武家的な教養である能や茶道のうちに見ているのに対し、東浩紀は特攻への言及を無視した上でその議論を「切腹」と「江戸の町民文化」に「代表」させることで、スノビズム論を日本社会の歴史の一部にしかあてはまらないよう「局所化」し「無害化」し、オタク系文化論に短絡させている、と論じておいた。

東浩紀は、コジェーヴの議論の都合の良いところだけを摘み取って、ad hocな議論をしている。コジェーヴには一貫した歴史哲学があるが、東浩紀には場当たり的な歴史判断しかない。
『動物ポモ』再読(1)―Kojeve/Yiyeasu/Snobisme - 白鳥のめがね

今回は、東が援用している他の理論家について触れながら、東が「オタク系文化」史を世界史に接続する仕方を検討したい。コジェーヴの理論の扱いが恣意的だったのと同様に、他の理論家の議論を援用する仕方にも恣意性が認められることを確認したい。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

『動ポモ』におけるオタク論の目標と世界史の扱い方について

さて、『動ポモ』のサブタイトルは「オタクから見た日本社会」だった。
東浩紀は「日本のネット文化の基礎はオタクたちによって築かれている」「いま、日本文化の現状についてまじめに考えようとするならば、オタク系文化の検討は避けて通ることができない。」*1として、オタク系文化という特殊な領域を扱うことは、オタク文化に関心を持たない一般読者にとっても意義があるのだ、と述べることから議論を始めている。

ここでの東の批評家としての関心は、次のようになる。

a)オタク系文化について当たり前に分析し批評できる風通しの良い状況を作り出す

宮崎勤事件のことに触れながら、東浩紀は、オタク系文化に対する「過剰な敵意」*2を指摘し、そのためにないがしろにされてきたオタク系文化の正当な位置づけを、まさにこの著作で行おうとした。2001年の同書刊行時と、現在では、このあたりの状況はかなり変わっているだろうし、その変化に『動ポモ』が果たした役割も大きいだろう。

そこまでは、何の問題もない。

さて、その上で、東はさらに踏み込んでこう主張する。

オタク系文化の構造には私たちの時代(ポストモダン)の本質がきわめて良く現れている(『動ポモ』12頁)

『動ポモ』の議論は、オタク系文化は、世界史的なポストモダン化が行き着く先を「代表」して示すものだと主張していくことになる。
ここでの東の批評家としての関心は、次のようになる。

b)世界史の行き着く未来を、オタク系文化の展開から予見する

これこそ、『動物化するポストモダン』というタイトルが野心的に示してみせた目標だ。単純に言えば、20世紀末に日本のオタク系文化を形成したオタク的主体こそ、将来の人類が到達する一般的な人物像のモデルである、という指摘が『動ポモ』には含まれている。
この主張には、一面の正当性が認められるにしても、行き過ぎた点がある。問題は、東浩紀はなぜそこまで過剰な主張をしなければならなかったのか、だ。

東は、『動ポモ』の論述の目標を「オタク系文化の変遷とその外側の社会的変化との関連を取り出し」た上で「オタク系文化のような奇妙なサブカルチャーを抱えてしまった私たちの社会とはどのような社会なのか」を考えることだと言っている*3

この二つの目標は、日本の戦後史と世界史という二つの水準で進められる。「私たちの社会」の拡がりも、はじめは主に日本についての論述に限られているが、最終的には世界史レベルに広げられる。
私見では、戦後史の読み解きとしてのオタク文化論の議論が極めて説得的であるのに対し、「オタク系文化史」を世界史へと短絡させる議論は杜撰であると言うほか無い。なぜ、「オタク系文化史」が世界史にシームレスに短絡されてしまうのか。それが問題だ。

(a)「オタク系文化批評の確立」という課題を果たすためには、(b)「オタク系文化の世界史的特権性」を主張する必要は無かったはずなのだ。

もちろん、(b)を主張したほうが、穏当なオタク文化論よりも過激で面白いとは言える。しかし、東が(b)を主張する論拠は弱く、恣意的な議論の誘導が多い。そして、その破綻を東は隠蔽できないし、あえて隠しもしていない。
では、東はなぜこのような破綻した議論をでっちあげることに固執したのか、その理由を考えるためには、東の戦後史の解釈を検討する必要がある。その点に踏み込むのは、次回以降にする。

今回は、オタク文化史を世界史につなげる議論を、スノビズムシニシズムを同質のものとみなす論述を取り上げて検討し、東の議論が成り立たないものであることを指摘する。

オタク系文化史と世界史

東浩紀ポストモダン化についての議論は、いくつかの歴史認識の重ね合わせによって成り立っている。その中で大きな基準となっているのは、オタク系文化史であり、オタク系文化の世代交代である。
単純に言えば、東はオタク系文化史を基準にして、世界史を解釈しようとしている。常識的には、世界史を基準にして、オタク系文化史を解釈する方が、より一般的な議論になると考えそうなところだ。そこを転倒させているのが東の議論の特異な点である。視点の転倒は良いとして、それがどのようになされているかが問題だ。

世界史を解釈する上で東浩紀が援用するのは、コジェーヴの外に、ジジェクスローターダイク、そして大澤真幸である。今回は、東によるジジェクスローターダイクの援用を検討する。

東浩紀は、オタク系文化史において「物語消費」の段階は既に終わっており、90年代以降、「データベース消費」の段階に移行している、と主張する。これは、『動ポモ』の冒頭で示されたオタクの世代交代に対応したオタク系文化史上の歴史段階の変化であると言える*4。どういうことか、『動ポモ』の議論をかいつまんで説明しておこう。
「物語消費」とは、大塚英志の『物語消費論』での主張から援用される言葉だ。大塚はビックリマンシールの流行を分析しながら、商品としてのシールではなく、シールの背後にある世界設定(アニメなどの用語としての、いわゆる「世界観」)が消費されている、として、そのような消費者行動を商品の背後にある物語が消費されているという意味で、「物語消費」と名付けた*5
それに対し、東は、90年代に入って、オタクの消費行動は「物語消費」から「データベース消費」に移行したとする。『エヴァンゲリオン』の関連商品として公式に発売されたゲーム『綾波育成計画』を取り上げ、そこではオリジナルのストーリーとは別の世界の物語が展開されていることを例に挙げて、もはや世界設定ではなく、キャラクターが消費の対象になっており、更にはキャラクターさえも、その背後にある、キャラクターを特徴付ける要素(東の言う「萌え要素」)の組み合わせに過ぎず、いまや消費されているのは、むしろキャラクターの背後にあるキャラクター要素のデータベースなのだ、と主張している。もはや物語は必要ない、というわけだ。

そういう議論を行ったうえで、東は、物語消費的なオタク的主体を、コジェーヴが言うスノッブな主体に対応する、と位置付ける。
そして、ジジェクスローターダイクシニシズム論を、世界史的に、近代からポストモダンに移行する段階に当てはまるものだ、とし、それらシニシズム論がコジェーヴスノビズム論と一致するとみなした上で、「物語消費」的段階を、世界史的なポストモダンへの移行段階と一致させる。
そう論じながら、ポストモダンが完成される世界史的な段階を、東が言う「データベース消費」が代表する、と印象付ける。

図式化すると、次のような平行関係を設定した上で、両者を強引に等値なものとするのが、東の議論の骨格である。

(1)オタク系文化史:80年代的物語消費(スノビズム)→95年以降のデータベース消費
(2)世界史:20世紀的シニシズムポストモダン

スローターダイクジジェクの恣意的な引用

該当する議論を『動ポモ』にあたって見てみよう。

オタクたちは、このように、コジェーブが五〇年前に予見した「ポスト歴史」の生存様式をある意味で体現している。:::略:::

 コジェーブが「スノビズム」と呼んだ世界への態度は、のち:::略:::スラヴォイ・ジジェクによって「シニシズム」と呼ばれ、より詳しく理論化されている。(『動ポモ』p.100)

さて、それぞれの論者が語るスノビズムシニシズムに形式的に共通する点を認めることができるのは良いとして、その共通点を根拠にして、スノビズム論とシニシズム論を置き換え可能な、等しい内容を持つものとまで言えるかどうかは疑問である。その点に踏み込んで検討することはまたの課題としたい。ただ、ここでは、東が内容の相違について十分な検討を行うことなく、スノビズムシニシズムを短絡していることだけを指摘しておこう。

その上で、ジジェクと、ジジェクが参照しているスローターダイクによるシニシズム論を「20世紀の現象」として特徴付ける東の議論の進め方を確認しておきたい。

東は、ジジェクが論じるシニシズムとは、あらゆる時代に普遍的にあてはまるものではない、と主張し、その論拠のひとつとしてジジェクが依拠しているスローターダイクの議論について「スローターダイクが検討したシニシズムは、あくまで二〇世紀の現象である」*6と述べる。その証拠として、スローターダイクの著作から次のような一節を引用し、注釈する。

 第一次大戦は、近代シニシズムの転回点を意味する。大戦によって旧来の素朴に対する腐食・分解が本格化する。たとえば戦争の本質や社会秩序、進歩、市民的な価値、要するに市民文化全般の本質についての素朴な見地が崩れていく:::略:::*7

 第一次大戦の経験とその結果訪れたヨーロッパの荒廃は、啓蒙や理性に対する一九世紀的な信頼を徹底的に壊してしまった。筆者の考えでは、ジジェクシニシズム論は:::略:::人間の普遍的原理というより、むしろこの戦争の結果生まれた「二〇世紀の精神」の分析として精緻にできている。
(『動ポモ』p.103)

東はスローターダイクの議論が20世紀の現象を問題にしていると印象付けようとしているが、東が引用した部分にすでに「近代シニシズム」という言葉が見える。第一次大戦によって「近代シニシズム」が全面化する、それをもって「転回点」とスローターダイクは述べているのであって、スローターダイクが言う「近代シニシズム」は20世紀以前にまで遡るものだ。
この点で、少なくとも、ジジェクの議論があてはまる範囲を20世紀に限定するためにスローターダイクを援用することは、すでに東自身が引用している範囲においても論拠として成り立たない。

スローターダイクが「近代シニシズム」という言い方をするのは、古代ローマの都市にもシニシズムを見るからだ。

その社会的素性からして、シニカル人間は古代のメトロポリスの喧騒の中で磨きをかけられた都会的な人間像である。:::略:::この手合いが高等な文明の傲慢や道徳上の企業秘密に対して「シニカル」な牙を剥くには、まず前提として都市というものがその光と影を含めてあらねばならない。ただ都市の中でのみ、世の噂と世間一般の愛憎という重圧によって磨き上げられることによって初めて、シニカル人という形態は、都市のネガイメージという独特の存在へと結晶してゆくのである。:::略:::
 近世においてシニシズムを育んだ土壌は、都市文化と宮廷世界である。
(『シニカル理性批判』p.17)

シニカル理性批判 (MINERVA哲学叢書)

シニカル理性批判 (MINERVA哲学叢書)


次に、東が引用した『イデオロギーの崇高な対象』から、東が引いていない部分を引用してみよう。

スローターダイクの言っていることを公式化すればこうなるだろう、「彼らは自分たちのしていることをよく知っている。それでも、彼らはそれをやっている」。シニカルな理性はもはや素朴ではなく、啓発された虚偽意識の逆説である。:::略:::イデオロギー的普遍性の背後にある特殊な利害を見抜いている。にもかかわらず、それを放棄しないのである。このシニカルな立場と、スローターダイクのいうキュニシズム(キニク主義kyunicism)とを、厳密に区別しなければならない。キュニシズムというのは、民衆・下層大衆が皮肉や風刺を用いて公式的文化を拒絶することである。:::略:::
 シニシズムは、このキュニシズム的転倒にたいする支配的文化の側からの答えである。
(『イデオロギーの崇高な対象』pp.47-48)

イデオロギーの崇高な対象

イデオロギーの崇高な対象


東はこのジジェクの著作からスターリニズムについての議論だけを引用しているが*8、それは、東の議論にとってはそのほうが都合が良いからだ。上の引用部分を見る限り、20世紀だけにシニシズム論を限定しなければならない積極的な理由は見出せない。
ジジェクが注意を促しているように、スローターダイクシニシズムの語源となった、古代ギリシャ犬儒派(キニク主義)の哲学者、ディオゲネスまで遡ってシニシズムに関する議論を行っている。そして、啓蒙が不可避に生み出してしまうものとしてドイツに限らず、ヨーロッパの歴史全体へと様々な角度から言及しながらシニシズムを分析している。
スローターダイクは、シニシズムを体現する人物像として、ゲーテが描くメフィストフェレスドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』で描く「大審問官」に言及している。

ファウスト同様、大審問官も、深刻化していた十九世紀のイデオロギー的緊張を十六世紀に逆投影したものであり、精神的にも時間的にも、史実としてのスペインにおける異端審問よりヒットラーゲッベルススターリンやベリヤといった人物たちに近いところにいる。
(『シニカル理性批判』p.191)

上で引用した箇所に見られるように、東は一九世紀と二〇世紀を光と影のように単純に対照させているが、スローターダイクが行う事細かな議論には、そのような単純な区分は見出せない。スローターダイクの議論の枠組みの全体に注意を促すジジェクが参照先の議論に忠実であろうとしているのに比べると、東浩紀は、恣意的な切り取りを行って、自分の作り上げるストーリーに勝手に利用していることが良くわかる。

もちろん、東自身、スローターダイクに訴えるだけで「シニシズムは20世紀の現象である」と論証できたとは考えておらず、「詳しい根拠を述べる余裕がない」と言い訳めいたことを書いた上で、ジジェクが依拠しているラカンそしてフロイトの議論について、第一次大戦によって生まれた議論である、として、シニシズム論を20世紀の枠の中に収めようとしている。

東浩紀は、20世紀が終わったこと、そして、20世紀の戦争に続く東西冷戦体制が終わったことをもって、シニシズムの時代は終わるのだ、というストーリーを語ろうとしている。しかし、それは、ひとつのあまりに単純な物語にすぎない。
たとえ、戦争とそのもたらした荒廃がシニシズムの蔓延のひとつの要因であり、冷戦体制がシニシズムに象徴される時代と言えるからといって、それは、冷戦体制の終わりがシニシズムという問題の終わりであると結論する論理的な理由にはならない。東浩紀は、時代の対応関係を、自分に都合の良いところだけを抜き出して、印象づけているだけであり、それぞれの論者がシニシズムを語る論理や、その理論的な実質には、ほとんど触れていないのである。

これが東浩紀の議論の全てではない。東の歴史区分論の成り立ちを理解し分析するためには、大澤真幸に依拠して東が行う議論が、スローターダイクジジェク、コジェーブの議論への言及とどのような論理的な関係を持っているかを更に検討するべきだろう*9

しかし、検討した範囲でもすでに、「シニシズムスノビズムの時代は終わりました、次に動物化の時代が来ます」という東の議論に説得力が欠ける部分があることは、おわかりいただけると思う。

(続く)

関連エントリー
『動物ポモ』再読(2・改)―社会と死 - 白鳥のめがね

*1:『動ポモ』p.9

*2:『動ポモ』p.32

*3:『動ポモ』p.12

*4:60年前後生まれの第一世代(『ヤマト』『ガンダム』を10代で享受)、70年前後生まれの第二世代、80年前後生まれの第三世代(『エヴァンゲリオン』を10代で享受)に分けた上で、東は、第三世代の動きに焦点を合わせると述べている。『動ポモ』pp.13-14

*5:『動ポモ』pp.47-50

*6:『動ポモ』p.102

*7:『シニカル理性批判』p.135

*8:『動ポモ』p.101

*9:コジェーブが動物化や日本的スノビズムについて語るときには、単純な時代の転換というレベルで論理を組み立ててはいないし、ジジェクスローターダイクには、シニシズムをもって時代区分を行うという議論は無い。東の時代区分に最も近いのは、大澤真幸の分析だろうが、おそらく、大澤真幸の理論的な一貫性に比べると、東の議論は論理性に欠けるものである。ただ、大澤真幸は『不可能性の時代』で、東の議論を参照しながら、「動物化」についての東の議論を大澤自身の理論の中に位置付け解釈しなおしている。