POTALIVE再考(7)

「百軒のミセ」がポタライブと呼ばれたのは何故か、という問いから始まる「POTALIVE再考」のシリーズですが、「百軒のミセ」の先行事例のひとつがアゴラ劇場「夏のサミット」に参加した『LOBBY』ということになるようだ。

POTALIVE 駒場編Vol.2『LOBBY』
  作・演出 岸井大輔(劇作家)
 2007年8月4日〜9月2日
 1作1000円 2作通券1200円(1作につき600円)3作目以後一作品500円
 1回10名 予約制
POTALIVE駒場編vol.2『LOBBY』 全演目・全キャスト | PLAYWORKS岸井大輔ブログ - 楽天ブログ
夏のサミット売り出し開始! | PLAYWORKS岸井大輔ブログ - 楽天ブログ
冬のサミット2003

この場合、約1ヶ月に及ぶ連続上演の全体が駒場編の作品名として『LOBBY』といわれている。ジャンル名としての「POTALIVE」が1ヶ月にわたる作品に冠せられていることになる。

この『LOBBY』は、「りたーんず」の「ロビー企画」につながっていくことになった、と思う。

ちなみに、駒場編vol.1は『museum』。
冬のサミット2003

ポタライブには、広狭二義あって、数時間に収まるお散歩ライブとしての『museum』は狭い意味でのポタライブ。『LOBBY』のように、何日にもわたる作品がポタライブと呼ばれるときには、広い意味でのポタライブ。とりあえず、そう整理できる。

狭い意味でのポタライブは、ある程度認知されていると思うけれど、それが広い意味でのポタライブにつながっていく所が問題。

『museum』は『界』という作品と同時期に初演されたのだけど、岸井さんが作品解題的な文を書いていた。

今回はサミット参加ということで、アゴラ企画にちなんだ2つの場所で新作を作らせていただいた。駒場東大前と小竹向原だが、共通点が多い。長い駅名、3区の境、大学町、湧き水のある岡の上の農村、お鷹場、前田藩邸が近い、玉川上水の重要な分水がそばにある、などなど。どれもこれも関東全域の中では特殊な状況だ。
出来上がった2新作は、まったく違うものになった。POTALIVEの紹介という意味でも、自分をあきさせないためにも違うことをしたかった。2作が違うのは狙いである。が、2作品、できてみると、共通点がひとつある。「日本について」の作品であるということだ。もちろん、最近の僕の作品にそういう志向であることが大きな原因だろう(「鯨より大きい」も「ヒナ」も、日本論だ)けれど、駒場と小竹に日本とは何かを考えるよう要請されたのは事実である。
駒場には、東京大学と、陸軍の施設の跡と、日本民藝館など日本を表象するmuseumと、そして、それらに関係する住人がいる。そんな場所で生まれ育つということは、日本について、多く意識することになるんじゃないか、と妄想が膨らむ。僕は、平田オリザさんの、すばらしいと思うところを上げろといわれると、日本語で「国家感覚」を表象できる数少ない文学者であると答えるようにしている。言語コミュニケーションも国家も、共同体の外と戦争とは別な形で出会うために磨かれてきたのだから、文学者は、外部感覚を魂に持っていないといけないわけだけれど、日本語は宿命的にそれが難しい。平田さんは、インナーな作品においても、共同体の外からの目を日本語の中に封じ込める。それは駒場という町がはぐくんだ感性なのではないか、と感じた。
アゴラ劇場は、まちがいなく、日本を代理表象する場所のひとつである。8月公演のテーマはそこだ。日本を表象するものとして、現代日本パフォーマンスアートシーンを捉えてみたい。
駒場&小竹 | PLAYWORKS岸井大輔ブログ - 楽天ブログ

『museum』の劇中劇的な展開(ポタライブの中で別のポタライブが上演される様子が演じられる)は、狭義のポタライブの中に広義のポタライブの萌芽が雛形的に含まれる感じでもある。

『museum』について触れた私の記事。

 『museum』では、歴史の奔流にわけもわからず巻き込まれてしまうことと、行く先もわからず上演に立ち会ってしまうことがどこかで照応していたかのようだ。しかしそこでは同時に、作品構成の入れ子的な相対化の企てにおいて、神話的な原型の力に巻き込まれるようにドラマに没入することは許されない。観客は一見でたらめで作品自体を笑い飛ばすかのようでもある作品のメタフィクション的構造の突飛さに戸惑いながら、情緒を宙吊りにされ、どこかで冷静な目を保つように促される。

 ポタライブの持つ観客参加の構造そのものを歴史という大きなドラマに向き合う装置として機能させるという面では、まだ未消化な部分も大きく残っていると思われた。ファシズムにおいて機能するドラマの危うさに迫りつつそれを相対化するという両義的な試みは、あらかじめ死産するように仕向けられることで安全性を担保されていたかのようにも見える。
ワンダーランド wonderland – 小劇場レビューマガジン

ワンダーランドにフェスティバルとしての「りたーんず」全体をひとつの作品として見るという記事を書いたのだけど、そういう風に捉える仕方を、僕は、岸井さんの創作についての理念に負っている。

そして、『museum』から『LOBBY』へ、という流れから浮かび上がってきていた問題に、「りたーんず」評においても改めてぶつかったんだな、と思う。

ワンダーランド wonderland – 小劇場レビューマガジン