『アーティスト・インの条件』/POTALIVE再考(9)+

岸井さんが曳舟に開いているロビーに出かけて、次のトークを聞いてきた。観客数名。

9月17日(木)
『アーティスト・インの条件』
14時ー18時(出入り自由)
臼井隆志(アーティスト・イン・児童館ディレクター)×岸井大輔(劇作家/playworks主宰)

東京都と東京文化発信プロジェクト室がついに乗り出したソフト型の文化事業「東京アートポイント計画」。開幕に寄せ、アートポイント最小を競う2つの拠点、「墨東まち見世ロビー」の岸井と「アーティスト・イン・児童館」の臼井が、勝手に東京アートの未来を占うトークイベントです。
PLAYWORKS#2『東京の条件workシリーズ』by岸井大輔

「墨東まち見世ロビー」というのは、古くからある商店街の中に、町に根ざしたアートセンターを立ち上げられるかどうかを実験するような、そのプロセス全体が演劇であるというような、work=作品。岸井さんが主宰するPlayworks名義の作品とされている。

墨東まち見世2009(東京アートポイント計画サイト)

「墨東まち見世ロビー」という企画自体が、東京から発信するアートをめざす「東京アートポイント計画」の一環て開催されている企画「墨東まち見世2009」のロビーという位置づけになっている。

隅田川の東に広がる墨東エリア。墨田区の北部に位置するこの一帯は、江戸の昔から文人たちが集い、多彩な文化を育んだ地域として知られています。2009年秋、墨東エリアに17組のアーティストたちが集まり、様々なアイデアでアートプロジェクトを展開します。
http://machimise.net/about.html

「東京アートポイント計画」は、東京の様々な人・まち・活動をアートで結ぶことによって新たな文化を創造・発信する、これまでにないかたちの東京都の文化事業です。 東京には、様々な可能性をもつ豊かな人・まち・活動があります。これらをアートプログラムを介してつなぐことによって生み出される「アートポイント」は、東京の多様な魅力を地域・市民の参画により、創造・発信する起点となります。
アーツカウンシル東京

アーティスト・イン・児童館も、同じ東京アートポイント計画に参加している。
アーティスト・イン・児童館(東京アートポイント計画サイト)

アーティスト・イン・児童館とは、子どもたちの遊びの場である児童館にアーティストを招聘するプログラムです。アーティストには、児童館を創作・表現のための「作業場」として活用してもらいます。しかし、子どもたちにとって、アーティストはゲストでも先生でもありません。子どもたちの遊びの活動と、アーティストの創作・表現の活動は対等なものとして児童館の中に共存します。アーティストは子どもたちの遊びの中に創作・表現の活動を見出すかもしれません。また、子どもたちはアーティストの創作・表現の中に遊びを見出すかもしれません。こうした遊び・創作・表現を通して、子どもたちとアーティストが出会っていく場をつくっていくのが、本プログラムの目的です。
バイリンガルの形態

岸井さんの活動には以前から注目してきた私だが、アーティスト・イン・児童館のことは、岸井さんが東京アートポイント計画に参加した縁で初めて聞いた。企画趣旨を聞くだけでもとても面白そうなので、ぜひ話を聴いてみたいと思った。臼井さんは、まだ大学生なのに、とてもビジョンが明確で現実感覚も確かな感じだったので、驚き、頼もしいと思った。

*1

臼井さんの話によると、アーティスト・イン・児童館という企画は、芸術系のワークショップ(WS)に対する疑問から出発しているという。ワークショップという言葉もだいぶ定着してきているけど、簡単に説明すると、英語圏で工房という意味合いの言葉の転用から派生した言葉で、舞台芸術関連では、短期間の一般向け公開講座といった意味合いで使われることが多いようだ。プロ指向の人向けに、より高度な技術の習得や新しい技法や発想の開発をめざす場として開かれる場合もある。一方向的な教授ではなく、双方向的な試みという狙いをこめて、ワークショップと呼ばれているのだろう。
芸術になじんでいない人には、一種の研修プログラムのようなものと言ってもいいかもしれない。実際、ワークショップ的な手法が企業の研修でも活用されているだろう。行政手法としては、地域住民の生活感覚や意向を踏まえた開発計画を立てる場合などに、作業を伴う意見交換などがワークショップ(WS)という名目で開かれることがあるようだ。

臼井さん自身が、子どもの頃に、アーティストがファシリテーターになる表現系のWSに参加したことがあるそうだ。そうしたWSは、そもそも申し込んだ人だけが参加することが多く、芸術に関心があるような層の親に育てられている子どもしか集まらないことに疑問があったそうだ。
また、表現系のWSの場合、芸術家がゴールを限定していて、参加した子どもが大人を納得させるような「作品」を成果として残さなければいけないというのも、自由に欠けるのではないか、という疑問を臼井さんは抱いていたという。子どもが、クレヨンで線を描いているときに、何を描くというわけでもなく、線を引くことを楽しんでいて、そこからいくらでも線を引く快楽を広げていけるのに、大人はついつい「何を描いているの?」とたずねてしまう。子どもも、それまで何を描くというでもなく線を引いていたのに、なんとなく大人にあわせて「魚」とか答えてしまう。それまで何でもなかった線が、魚でしかなくなってしまう。そういう教育を知らず知らず受けているというわけだ。

ついつい大人も子どもも、既成の表現っぽい何かに縛られてしまうWSという制度を脱構築したのがアーティスト・イン・児童館だと臼井さんは言っていた。近代的な芸術制度の制約を解体して、その閉域に縛られない思考や感覚を開こうとしている点で「脱構築」という言葉は伊達ではないと思った。

美術畑、芸術畑では、アーティストインレジデンスといって、若手芸術家をある場所に一定期間住まわせて作品創作を支援する制度があって、日本の若手芸術家がヨーロッパに滞在して現地で創作するようなことがあったりする。それをもじって、児童館を作業を行う場として仲介する企画を、アーティスト・イン・児童館と名づけたというわけだった。

臼井さんの話で面白かったのは、古着を使って作品を作る芸術家の作品作りに立ち会った児童館の女の子が、古着にはさみをいれなよ、と言われたとき「本当にいいの?」と何度も言って、古着を切り刻むことにとても喜びを見出して、何か布キレで芸術家が作るものとは直接関係なさそうなものを作って家に帰っていたのだというエピソードだった。臼井さんは、ある種タブーと思っていた破壊行為それ自体にある種の享楽を見出したその子どもの経験が、かけがえのないものとして残ることに、計り知れない有意義さがあるだろうし、それは、ある種の開放的な経験として、精神面でその子が成長する上で、ある種の遊びの余地のようなものを残すのだろう、という趣旨のことをおっしゃっていたことだった。おそらく、芸術家が、地元のなんということもない子どもたちの集まりに紛れ込むことで、現代社会が切り捨て効率化しセキュリティを守ろうとすることで失った何かが、取り戻される、ということなのだ。

*2

岸井さんと臼井さんの話のなかで、お互いの活動が、共通の課題に根ざしていることが確認されていったらしかった。それは、芸術が制度化することで失ってしまいがちなリアリティだとか、社会が近代化されることで見失われがちな危うさをはらんでいるけれど、それだけにかけがえの無いものだった何か異物的なものを、確保する場所を開こうとすること、だとかそんな風に言えば近似的に名指すことができるような、そんな課題らしい。

岸井さんの「墨東まち見世ロビー」は、岸井さん自身の活動を振り返ってみればアゴラ劇場で行われたロビーや、渋谷へ百軒店で開かれた「百軒のミセ」、「キレなかった14才りたーんず」のロビー企画の延長線上にある企画だろう。

POTALIVE再考(7) - 白鳥のめがね
「百軒のミセ」を記録する - 白鳥のめがね
「キレなかった14才 りたーんず」、あるいは演劇の再起動 - 白鳥のめがね

その源流を遡ると、岸井さんが行った「ポタライブのお惣菜屋さん」にたどり着くようだ。「百軒のミセ」がポタライブと呼ばれたゆえんも、系譜として「お惣菜屋さん」が先行してあることを含めて考えないといけない。

2004年4月から7月まで、毎週土日、当時新小金井という昭和40年代で凍りついていた*3商店街で惣菜屋をやっていたヤドカリズムの店先をお借りして、地域の方だけに、ダンスや美術品をお惣菜価格でうった。木室のダンスは、相談100円、出来上がりによって、お好きに。岸井の戯曲は、お客様の注文に答えて、5分2000円を書き下ろし、ご希望とあれば演出まで。榊原は300円ー500円でダンス教室からお祝い踊りまでを売る。ほかに、絵本のワークショップとか、ミマキング診療所とか、大和唄とか。地元のお年寄りと仲良くなり、お誕生祝いにダンスを提供し、煮物をもらう、などなど、きっちりと地域と交流できた。
10月25日 | PLAYWORKS岸井大輔ブログ - 楽天ブログ

2004年の「ポタライブのお惣菜屋さん」該当日記、とりあえず目に付いたものを適当にリンク。
4月15日 | PLAYWORKS岸井大輔ブログ - 楽天ブログ
7月3日 | PLAYWORKS岸井大輔ブログ - 楽天ブログ

岸井さんのポタライブには、散歩という限られた時間に展開される路上演劇としての様式として名指すことができる側面のほかに、その根っことなるような、取材活動だとか、ある実際の地域において出来事が定着させられる、より長い持続の相において捉えるべきような側面もある。そのひとつの先行する成功例が、次のエピソードになるようだ。

ついには、盆踊りに呼んでいただく。盆踊りに出る僕らを、ポタライブ外のアーティストにみにきていただいた作品「まえのまつり」は思い出深い。アートは、それも、ハイアートこそが、地域住人に求められている、ということをテーマにした。

「東京の条件」は、アートの必要性を実感する仕掛けを作るという趣旨で展開されているようだ。墨東のロビーの展開自体が、その全体において、演劇的なものとして展開されている、ということを、岸井さんの創作理念の一貫性において、理解することができる。

(追記)臼井さんの名前を「臼田さん」と間違えて書いてました。訂正しました。大変失礼しました。お詫びします。あと、本文末尾が訂正の際に消えてしまったので、書き直しました。文面が変わってしまった。。。。

*1:トークの途中で板書の準備。もと帽子屋だったという店の壁には黒板用塗料が塗られていて、壁一面が黒板として利用されている

*2:『東京の条件』について語ったあと、板書を見返している岸井さん。こどもの落書きみたいなものを一部消して、そこに書き込みながら話していた。上の写真の反対側の壁。

*3:原文では「凍りついたいた」だが、ミスタッチであると判断して引用者が修正した