新宿梁山泊『風のほこり』
唐十郎作、金守珍演出。
フィスバック演出の『ソウル市民』を見に行こうとおもったらこの日はもう終わっていた。劇場に足をはこぶ意欲だけくすぶっているので、何かやっているかと「えんぺ」をチェックしたら、新宿梁山泊が上演中なのだった。
新宿梁山泊は舞台を一度も見たことがなかったので、この機会に見ておこうと思った。教育テレビだったか録画中継は見たことがあって、あんまり好みじゃないなあと思っていたのだけれど、前々から一度くらいは見ておこうかと思ってはいた。
なんというのだろう、いかにも芝居くさい演技の芝居くささというものに、どうも辟易してしまうなあというのが正直な感想だった。それは、様式化してしまった演技がなされていて、様式を実現する技術がある程度のもっともらしさの水準で固定してしまっているように見えてしまうからなのだった。
私が立ち会った上演では、それなりに味のある役者さん癖のある役者さんもいてそれはそれで楽しめたのだけれど、新鮮な魅力や繊細さ、演技のニュアンス、輝きのようなもの、はあんまり感じられないままだった。どこか、派手なだけの演技に見えてしまった。
私は、唐十郎の戯曲に親しんでいないのだけれど、義眼とかズロースとかといったいかにも意味ありげな小道具をちりばめながら言葉遊びの飛躍でドラマを盛り上げて閉じようとするこの作品のドラマツルギーは単なる空回りとしか思えなかった。
そこにナンセンス喜劇へのオマージュという意図があるのだとしても、スペクタクル的なしかけと言葉だけとってつけたような盛り上がりというのは、いかにもおあつらえむきのカタルシスではないかと思う。
と、どうも否定的な感想しか書けなくて申し訳ない。
観客の年齢層の高さに驚いた。往時の観客が見続けているということだろうか。それはそれで感動的な光景なのかもしれないけれど、こういう高い年齢層の観客はもっと若手の作家の舞台に関心を持ってないのだろうか、という疑問も抱いてしまった。