アジト現代舞踊団「有情男女」

出演=キム・ユンギョン キム・ボンスン イ・ウンジュ 他振付/チョン・ウィスク

はじめ、ポストイットを床に人の形に貼っている。人の様々な属性とか記憶とかがある人を形作っているという隠喩を造形しているのだろうか。床のポストイットを剥がして壁に貼っていくところから舞台は始まる。

その後、コンタクト・インプロ的な男女のデュオが続いたり、ソロがあったりする。手法としても発想としても、ここ20年来の欧米のダンスシーンにありふれたものではないかと思う。韓国では、大学にダンス専攻科があったりして、アカデミックな体制が整っていて、そういう基盤に、欧米への留学経験があるダンサー/振付家が一定数いて、欧米の最新の意匠が常に受容される状況があるということだと思う。振付上のボキャブラリーやフレージングの様式などが、世界中に広まって共有されている状況というのは、演劇とは違う同時代性を作っているようで、その同時代性は、稽古場を媒介として伝播する身振り言語の共有によって成り立っているのだろう。

イギリスのダンスカンパニーで踊っていた人のワークショップに出たときなどに習ったボキャブラリーと同じ体系をなす動きをソロの振りの中に見るときに、そんな風な感慨を覚えていたわけだ。

わたしも、そういう、既にアカデミック化するほどに既成のものとして成り立っている振付様式に食傷する感覚というのはわからなくもない。もう、そういうの、いっぱいみたから、いいよ、みたいな。しかし、最近あんまりダンス公演に足しげく通っていなかったせいだろうか、凡庸ではあっても、丁寧に流れを辿っていく訓育されたスタイルの振りの運動には、それ固有の喜びがあるなあなどと思いながら見ていた。こういう丁寧な造形や丁寧な舞踊の遂行を視覚的に享受するというダンス経験が、もうすこしポピュラーなものであっても良いのではないか、と思ったりもする。