■吉沢恵「金魚―chapter 5―」

出演=稲生田マユリ 今村よしこ 佐野綾子 滝口美也子 林洋子 博美 田辺静恵(テアトルエコー) 山下由美
作/吉沢恵 音楽/KINTAII 
7月27日(水)15:30 の回をみる。会場は麻布 die pratze。

私が吉沢さんを今回のフェスティバルに推薦したわけですが。すっかり忘れていたけど、私のほうから、グループ作品でお願いしますと依頼していたのだった。

「金魚」のシリーズは不勉強ながら私は見ていなかった。もっと、シアトリカルな要素がない、純振付作品的な面を推したいというのが私の本意だった。

そのあたり、私は「グループ作品で」と言っただけで、それ以上の介入はしなかったのだけれど、私が思う吉沢さんの魅力が前面に出るような公演になるようにいろいろ介入するという手もなくはなかったかもしれない。しかし、作家の意欲は別にあるかもしれないし、あのときのあの作品を、といっても、同じダンサーが集められるわけでもなかったりするので、そのあたりは難しいところだ。

と、言い訳じみたことを書き連ねてしまったのは、推薦者としても、今回の吉沢さんの公演には、満足できない部分があったからに他ならない。

ノスタルジックなものと、ヒステリックなものが、一人の女の人生の重層のなかに浮かび上がるというような、どこか演劇的な展開というのは、あまりにも図式的すぎるし、モチーフとしても、いささか月並みだったように思う。手法としても、良くあるパターンが無批判に用いられている部分が多かった。とりわけ、前半の展開は説明的過ぎるように思った。

吉沢さんの本領は、本人も派手で奇抜な衣装(金魚のモチーフらしい)で踊った後半の展開にある。そこでの振付の密度には、非凡なものがあるように思う。その魅力を的確に言語化する能力が私にはないのが、残念でならないけれど、比喩的に言えば、屈曲のある動きのモチーフが様々な仕方で紡がれていくその線の多様さに、吉沢さん独特なものがあるように思う。様式的にはモダンダンス以降の流れの上にあって、その振付語彙の領域を根底から覆すものではないとしてもだ。

その後半部分の群舞も、吉沢さんのベストの仕上がりでは無かったように思う。

ともかく、創作の第一線から退いていた吉沢さんが、今まで手がけていなかった領域に挑戦した作品だったということで、こなれない部分もありつつの、過渡的な作品だったと評価すべきかもしれない。しかし、この作品の欠陥だけを見て、その魅力を低く見積もるのは早計だといっておきたい。

仮面などの仕掛けも凝らしたシアトリカルな指向を、純振付的な領域に昇華していって欲しいものだと思った。


それで、神楽坂 die pratze に移動、次のプログラムを見た。