『満月がなりやまない』雑感/比喩的な形象の航跡

荒木志水さんの公演『満月がなりやまない』見てきました。ダンス関連の偉い人たちがかなり集まって静かに盛り上がっている感じの満員の神楽坂ディープラッツ。
Information - 荒木志水

荒木さんは、ダンスが見たいに出たときに素晴らしいと思ってレビューでも絶賛した思い出があるのだけど、そのときの作品をブラッシュアップした今回の上演とのこと。でも、ブドウくらいしか同じ要素はないんじゃないかと思うくらい違った。前回は出演者三人だったし、小説の朗読シーンとかもあったと思う。
神村恵さんとの合同公演も印象深いし、いつか見た畳三畳でのソロで、背中からベビーパウダーを噴出させてたのも忘れがたい。
荒木さんの創作には、どこか名状しがたい独自の感覚があると思っている。さて、その独自さがどんなものかということなのだけど、なかなか言葉にできないままだ。

さて、今回の公演、振付出演の荒木さん含め総勢7名男女とりまぜて出演ということで、かなり大掛かり。なんともとらえどころが無い構成の作品で、多分荒木さんだと思うけど途中のソロにはかなり説得された。大げさな動きは何もない、ゆっくり壁になだれていくようなゆるやかな動きの印象だけが残っている感じで、うつぶせの向きでえびぞり風に壁にもたれるなんてポーズは初めて見た。

冒頭から中盤まで、ほとんどの出演者が顔を白い布の袋で隠したまま進行する。ある種個性が剥奪されて、簡素なシャツとかズボンとかスカートとか、全員白い布の衣装で、あいまいに体格とか性別だけが見えてくるような、群れをなす踊り。いくつかの場面が断片的に併置され、あっけなく終わる。

冒頭のシーン、か細い印象の英語のボーカル曲でトリオの振り、そこにもうひとり加わり、曲を繰り返しながら、最初の振りのモチーフが組み合わさって、デュオ×2の展開になる。確固とした構成意識。

次のシーン、四つんばいになって這い回るようなシーン。いくつかの所作を交え、時折パフォーマー同士で関わりあう場面もはさみながらミニマルに進む。そのシーンが途切れて、顔を出して客席の手前に座り込んだ根岸さんが、もうひとりのパフォーマーの胸のブラジャーにはさみこまれた緑のブドウをつまんで、食べさせようとしたり、食べたりする。

そのあとソロに展開して、なにやらコミカルなシーンが挿入され、コミカルなダンスはいまいち納得できないところがあった。

ラストは、横に列をなして直立したままつま先を開いたり閉じたりするだけの動きで左に、右にと進んで行き、背筋を伸ばしたまま両手だけを動かして、幾何学的図形というか、印を結ぶようなしぐさを重ねて、まるで阿修羅像の手のしぐさみたいな雰囲気の同じ振りをユニゾンで7人が繰り返していくミニマルなシーンで閉じられた。

全体に、モダン/コンテンポラリーな振付のイディオムを無造作に取り入れつつ、様々なダンスの意匠を折衷したような様式であって、動きのなかからドラマ的なものを取り出すというか、像の喚起する意味合いを様々な水準で活用しようとしている。

ダンスのコンセプトとして何か画期的なものがはっきり見えるというわけでもなく、その振付言語の活用において、何らかの感受性の様式を動きに託そうとしているかのように思えるのだけど、動き自体の質の探求においてはむしろストイックですらあるようで、表現性にも一定の抑制が効いていて、激情をそのまま発露するようなことはない。

とても薄く引き延ばされた叙情的質のようなものが、身体への意識の集中のあるレベルでの持続として捉えられ、堅くしなやかに貫かれながら、造形に結び付けられているとでも言えるだろうか。

と、こんなことを書いても意味不明と思われるだけかも知れないが、つまり、荒木志水さんの舞台には振付家/舞台作家としての独自の作家性を認めることができるし、その作家性について、ぼんやりと見ていただけの自分には十分にその形式を言語的に指摘することができないのだけど、そこにはひとつのスタイルがあり、集中の仕方があり、ダンスが成立する固有な水準への手ごたえがある、と思う。

もともとの意味が解読できないような比喩的な形象が飛躍しているような、そうでないような仕方で、羅列されている。たとえば、果物から性的な享楽につながるものを読み込もうとしたり、顔にかぶせられた布に、ある種の従属や人格的価値の剥奪状態を読み込もうとしたり、そういった解釈が暗に唆されていさえするのかもしれないが、そうした解読自体が中絶されるようにもなっており、最初のシーンで、足と手で囲まれた枠から顔を出すような振りがあったけれど、そうした身体図式の拡張のような仕方で重ねられる描像が、人と人の関わりが意味をなす少し手前の領域に、様々な無為の反響を引き起こしていって、その航跡が様々に綾なす模様を観客のそれぞれに残していったときに、作品の内側の構造が振りが消え去る形として、結ばれる、というような仕方で、この舞台作品が成り立っていたと言っても、まんざら嘘ではないのかもしれない。

☆以前の公演の動画