3年2組

ニブロールをひきいる振付家矢内原美邦ニブロールとは別に取り組んだ作品というわけで、「3年2組」を初日に見てきた(7/15)。

新川貴詩著『残像にインストール』(光琳社)の序論にこういう一節がある。

小劇場で求められていたのはスピードと笑いだ。台詞は聞き取れなくても良い・・・・小劇場の役者たちは、当時流行っていた漫才にも劣らぬ速さでしゃべり、オーバーに飛び跳ねる高さを競い・・・・

あの公演を見ていてこの80年代小劇場について要約した文章のことを思い出していた。なんでこう、80年代小劇場的な演劇のイメージがまるごと再生されるような舞台なのだろうか。

いや、「80年代小劇場的な演劇のイメージ」そのままじゃないかという批判は、ニブロールのダンス公演についても発せられているのを耳にしたこともあり、そういう場合にわたしは、いや、違うんですよ、とニブロールの魅力をアピールしてきたものだった*1

ニブロールの舞台に具現された矢内原美邦の振付実践の魅力をその核心において語ろうとすると、次のような言葉がでてきてしまう。http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20050625に書いた自分の文章から引用しておく。

比喩的に言えば、それぞれの行為を断片的に切り取った時には、その行為の周囲が破断面をなしているはずだ。その破断面の繊細で鋭敏な突起が運動のなかに鋭くぶつかり緊張し合うような仕方で、たとえばニブロールの舞台は魅力を放っている

「80年代小劇場的な演劇のイメージ」から抜け出ていなかったとしても、この「破断面の繊細」さと言えるようなものが見出せる点で、ニブロールの舞台は決定的に新しかったし、絶対的に魅力を放っていた、そのように私には思えた。

今回私が見た舞台に関しては、「80年代小劇場的な演劇のイメージ」の再生産にすぎないという批判を退けうる繊細さを舞台に見出すことは、私にはできなかったのだ。


例の小劇場特集の『ユリイカ』(2005/7)で桜井圭介さんの文章を読んだら今回の「3年2組」について、その公開稽古(正式にはワークインプログレス上演)の様子をめぐって、「野田秀樹みたいと思うかもしれないけど、運動量の過剰さ、および、状況と関わりなく無闇に運動させられている点で異なるもので、役者がぜーぜー息を切らしながらセリフ言ってるのに呆れて(そんな舞台いままであったか?)感動した」という風なことを書いていたのを後から読んだ。

まあ、先回りして「80年代小劇場的な演劇のイメージ」に回収しようとする議論を封じているわけだ(さすがである)。

私はその公開稽古は見ていないのでなんともいえないけれど、桜井さんが言っているような過剰さは、舞台においてはやや抑制されたものだったのではないかと思う。それぞれのダンスや演技はそれなりに過剰なスピードで遂行されていたとはいえ、舞台の円滑な進行を妨げるようなものは排除されていただろう。また、セリフまわしが、聞き取れなくなり意味不明になってしまう閾を多少なりと超え出たところまで加速されることもしばしばあったとは言え、それもまた舞台全体の進行に奉仕するものとしてそれぞれ適切な領域に収まりきったものであったように思えた。

そういうところで、余剰を刈り取られてしまった身体的質は、舞台全体のスペクタクル的なイメージの一体性に回収されるばかりではなかっただろうか。

矢内原美邦さんが演劇を手がけるのは今回が初めてではなく、ガーディアン・ガーデン・フェスティバルに参加したときに上演した「ノート(裏)」は演劇作品だった(世田谷でやった「ノート」にもその要素は入っていた)。このときの脚本の執筆がどうだったかは私はあまり知らないが、演出に相当することは既に美邦さんはてがけていたわけだ。

また、今年の1月には例の「不」(「東京/不在/ハムレット」のことね*2。)で遊園地再生事業団との共同作業を行ってもいる。(「不」は、ダンスにおいてはニブロール調だったし、映像はニブロール的だった)。

なんか「ノート(裏)」を最初で最後にして演劇をやめるつもりが、遊園地再生事業団とのコラボレーションを経て、またやってみようか、という流れになったのだとか聞いた。

「不」の公演のとき、役者のために憶えやすい簡単な振りを用意するような妥協をしていてよく無いなあと思ったのだけど、今回の公演は少なくともダンスシーンに関しては思いっきりその悪い流れで作っているよなあと思った。テクニックの無い人でもできるような簡単な振りを与えて、ブロックみたいに組み上げてしまっているのだ。振付としては堕落というほかないと思う。

アフタートークでは、岡田利規さんがこの舞台を高く評価しているのを聞いた。ブログでも書いてらっしゃったけど、それは、もう様式として生命は失っているはずの高く声を張り上げる類の演劇なのにパフォーマンスが死んではいないのがすごい、といった評価で、死んで無いというのはそうかもしれないけれど、しかし、こういう様式を無理やり蘇生させ延命してどうなるものでも無いだろうというのが私の正直な感想だ。

矢内原美邦の舞台演出上の方法ならざる方法として、パフォーマーを限界まで追い込んでそのぎりぎりのところで露呈するものを見せる、という手法があったと思う*3

今回の舞台においても、そのぎりぎり追い詰められたところで必死になっているパフォーマーが放つ独特の魅力というのが確かにあったと思う。しかし、そういう必死な演技によって発せられていた戯曲の言葉なり全体のテーマなりが、切羽詰ったパフォーマンスと噛みあうべき必然性を持っていたかといえば、疑問だ。

発話がナンセンスになってしまっていいなら、そこでこそ魅力を放つ言葉が用意されるべきだったろうが、そういうわけでもなさそうだ。

聞いてもらいたかったセリフというのがやっぱりあったわけで、存在とか偶然とか歴史とかをめぐるおぼつかない思弁とか月並みな感傷とかがたっぷりまぶされていただろう意味のありすぎるセリフがすっかり温存されていたことの方がむしろ問題だと思う*4

矢内原美邦さんの書いた台本の言葉がそれなりに優れたものだったことは確かだろうけど、やっぱりいかにも文学的すぎるものであって、演劇の言葉に本当に新しくて時代を超えて残るべき何かを付け加えるということは無いと思う。

矢内原さんは、たぶん、演劇史についてはそれほど知らないと思うし、そういう演劇史をぬきにほぼ素人が書いた戯曲が大きな舞台にかかってしまうこと自体、日本の演劇が没歴史的に展開してしまっていることのあらわれに他ならないんじゃないかとも思った(そういうのを面白がるのは勝手だけど、公共の資金を投資するには無邪気すぎる遊びではないだろうか)。

主題として、戦後60年みたいなことを意図していたみたいなことがトークで語られていたのを聞いたけど、あと付けの理屈のようにしか思えなかった。ニブロールの都市三部作のころには、時代の感覚をダイレクトに舞台にぶつけることができていたように思うけれども、いまや、時代にふさわしい主題というのを意図的に探してきてアクチュアルであることを装わなければならなくなってしまったのだろうか、と思う。
全く主観的な印象を語ってしまうと、時代状況にダイレクトに結び合えなくなってしまったところで(たぶん、芸術の制度がそうしむけている面もあるとは思う)、時代に即したものをつくろうとじたばたあがいている作家の姿が、舞台のいたずらな狂騒の中に映し出されていただけなんじゃないかと思った。

様式が自律して増殖しはじめた時に社会から遊離した芸術作品が帯びがちな折衷性というのを、この舞台にも指摘すべきだろうと思う。

矢内原美邦の振付には、世界の舞踊史から言って真に独創的で今までに無いものがあるのだから、むしろ、振付の仕事に専念してもらいたいというのが私の願いだ。まあ、矢内原さんが演劇までやらなくちゃいけないはめになる状況を許している演劇の人たちが悪いのだろうけど。


(7/21,8/7加筆)

*1:たとえば、ここでの岡田さんの発言http://groups.yahoo.co.jp/group/euterpe-ts/message/160とかも、そういう見方があったことを証言していると思う。

*2:T、不、ハ、が重なって「不」というロゴはなかなかのアイデアだったと思う。このプロジェクトに関して言うと、この点だけは気に入ったのだ。

*3:矢内原振付そのものの構築性というのはまた別の側面で、こういう現場の演出術みたいなものと振付の精緻さがどう関わっているのかは、まだまだ明らかには語られていない領域ではないかと思う

*4:トークで語られていたけど、今回の舞台に大江健三郎がモチーフを与えていたというのはとても象徴的なことだったろうと思う。なかなかきちんと大人にもなれず死にたえることもできないでぐずついている戦後民主主義的理想の残滓みたいなものが舞台の端々に渦巻いてはいなかっただろうか、そういうことをきちんと解き明かしてくれる批評があれば読んでみたいけれど