国枝昌人+古舘奈津子のダンスがみたい

良い公演だった。知性がセンスを抉り出す方向に作用している。見事。
2作品を連続上演する。

国枝昌人+古舘奈津子
『すんだ』『方方す。』
7月16日(水)&17日(木)19:30
会場/神楽坂die pratze
音響/牛川紀政 照明/福田玲子

http://www.geocities.jp/kagurara2000/dance10.html

『すんだ』は、わりとコンテンポラリーダンスの基本に忠実な振付作品だった。なんでもありのコンテンポラリーじゃなくて、モダンダンスの語法や技術を踏まえた上で、踊らないこともダンスのうちに入るということをわきまえた上で、なお踊ってみせる。駄洒落みたいなタイトルも伊達ではないと今になって思う。

『方方す。』というのも絶妙なタイトル。当日パンフレットに寄せられた言葉も公演を見た後にはさらに説得力を増す感じだ。
以下引用。

続けること
求めないこと
答えを引き寄せないように
穏やかに
方方(ほうぼう)してみる

基本的には、ミニマルな構成で、ディプラッツの狭い舞台を斜めに歩いてみたり、舞台袖から舞台に出かけて引き返したり、舞台奥の出入り口から少し顔を覗かせてみたり、両手両足を直角にまげて大の字様になって反転反転で動いてみたり、といった気負いの無い動作の連続で、無音の舞台空間が様々な線によってリズムを与えられていくといった一定の拍子をたんたん刻む展開のなかでバリエーションが編まれていって、だんだんと空間が重ねられた動きの線によって極まってきたところで、舞台上で体を叩く音や足踏みする音がマイクでひろわれてノイズによる音楽みたいにして舞台に響きはじめると、ダンス的な悦楽に没入できるようなステップや大掛かりな回転が舞台に置かれるようになってきて、クライマックスでは普通にユニゾンで連続した振りが示されたりもする(つまり普通の意味で踊る)。

久しぶりにダンスで感動した。小さなスペースだからこそ実現できる緊密な動きの空間の構成。

こういう良質な小品を、音楽や美術や文芸に感覚を傾注しているひとたちに見せられたらすばらしいと思った。

国枝昌人さんのダンサーとしての立ち方が良い。たとえば手を伸ばすだけでもリラックスした力がしなやかな線を描く。男性ダンサーのステップが描く曲線に(安次嶺菜緒さんのステップを見たときの快楽と同じような軽やかな魅力で)心奪われたのは初めてかもしれない。


ディ・プラッツ - Wikipedia