ベケット東京サミット


7/14日と7/17日の、二日見に行った。
http://www.hi-net.ne.jp/icanof/html/event/


モレキュラーの作品(7/17日午後2時の回を見る)は、三部構成で、手堅い構成だった。

実験演劇 「NOWOH ON」
豊島重之 (ICANOF)+ モレキュラーMolecular
――ベケット「NOHOW ON」をめぐる近藤耕人の戯曲三章に基づく。
出演/ 足立智美 クリス・マン 大久保一恵 苫米地真弓 田島千征 花田喜隆

一部は、横長の会議用の机のようなテーブル四つが舞台上に並べられていて、そこに三人の女性パフォーマーが横たわっている(つまり、一台空いているテーブルがある)。ベケットの作品を連想させる戯曲の断片が、テープで流されるなかで、横たわったパフォーマーはゆっくりと寝返りをうったり、テーブルから雪崩落ちたりと、緩慢な動きをつづけている。

その手前に、黒いプラスチック製の立方体状のものが四つ並んでいて、そのなかにパフォーマーがいるらしく、ノートパソコンとプロジェクターが仕掛けられていて、ノートパソコンから出力された、黒地に白い文字が並んだ画像が、黒い矩形体の前面に背後から投影され、その表面に文字が浮かび上がる。ベケットにちなんだらしい日本語の文章がローマ字分かち書きで表記されていて、パフォーマーはその文字を、ノートパソコンの画面を見ながら読んでいるらしい。間断的に、四つの箱のうちの一つで、リアプロジェクションされ、発声がなされ、それがスピーカーから流されてくる。

第二部は、初めのステージの奥にある別のステージで、こちらは垂直のもの。観客も席を移動する。建築用の足場をくむ資材によって、縦長に三つのスペースが区切られていて、真ん中には九台のモニターとビデオ操作ブースがしつらえられている。

向かって左手には、天井からマイクスタンド状のもの(かなり軸が長い)が天地逆にぶら下げられておりてきていて、マイクを取り付ける場所にCCDカメラのような小型カメラが設置されているらしい。

女性パフォーマーがその下で、両側の壁に手をついて上に登ろうとしたり、もがいている様子がカメラにとらえられ、モニターに写る。モニター下のブースにあぐらをかいて座っている男性パフォーマーがスイッチングしているので、複数のカメラからの様々なアングルからの映像が九つのモニターに次々に写る。カラーのものや、赤外線カメラのものなどもあるようだ。

そうしたパフォーマンスの様子は録画されていたらしく、ブースにいるパフォーマーがVHSデッキを「巻き戻し再生」すると、九つのモニターの真ん中の一台が、リアルタイムにスイッチングされたままに時間を遡ってさきほどのパフォーマンスの様子を映写して行く。そのまき戻しがパフォーマンスの録画開始時よりさらに戻ると、今度はあらかじめ録画されていたらしい文字がスクリーンに映りはじめる。横向きに右から左へとスクロールする白い文字が黒地にうかびあがる。センテンスとして閉じていない、いささか抽象的で思弁的な文章が、英語と、対応した日本語で、流れていく。

ブースの向かって右側には、床に小さな卓上マイクスタンドのようなものが複数あって、そこにカメラがしかけられているらしい。パフォーマーはカメラに頭をつけて向きを変えたりしている。その様子が、同じようにモニターに映され、録画が逆向きに再生されて、文字が流れる。

そんなシークエンスが、6回ばかり繰り返されて、第二部は終わる。マイクの場所にカメラが据えられるという、視覚と聴覚との交換というのも、なにかのコンセプトに基づくものなのだろう。第一部が、録音された音声や電気的に増幅された音声を中心にしていたこととも対応するのだろう。その平行と擦れ違いが、、ベケットがラジオドラマや『クラップの最後のテープ』でこだわった音声の問題や、映像作品との関わりを示唆しつつ、ベケット的な「機会原因論」的に平行したものとして世界を見る概念図式を舞台造形として定着してもいるのだろう(とか適当に書いてみた)。

第三部では、第二部の客席の後ろ向きに観客は向き直って、第一部のステージを後ろ側からみることになる。第一部とおよそ同じことが展開される。


他に見たものでは、クリス・マンの公演は、音声からの入力を処理して、音声に電子音をいろいろと被せていくものだけど、オリジナルの衒学的かつナンセンスな文章を大げさな身振りでファナティックに暗唱して行く姿は『ゴドー』に出てくるワットの長台詞みたいだなあと思ってみていた。

シンポジウムでは、吉増剛造さんは、ちかごろやっている朗読のパフォーマンスとほぼ同じ調子で、“Ill Seen Ill Said”の一節 Venus rise on というのを、「おぉぉぉぉん」と凄みある声で口にしてたのが印象深く、また、ベケットが反アパルトヘイト関連の論文集に寄せた短い詩を丹念に注釈してその政治的射程を見事に浮き彫りにした鵜飼哲氏のレクチャーも刺激的だった。