黒沢美香の「jazzzz-dance」

シアター・バビロンの流れのほとりにてhttp://www.h7.dion.ne.jp/~babylon/での反GW的な黒沢美香連続公演「金色に踊れる牛」の二日目を昨日見た。(1992年『偶然の果実』より)ということで、再演というか、リメイクというか、そういう公演だったようだ。

ひとり「ドラァグクィーン」が参加していて、舞台上を歩き回ったりもする男性ミュージシャンが参加しているほかはすべて、女性ダンサー。
おそらく、いくつかの決まりごとや、構成上のプランがあった上での即興的公演だったのだろうと推測しながら見る。『偶然の果実』は、ここ四年ばかり何度も見てきたけど、いつもの『偶然の果実』のセッションよりは緊密な構成感があったように思う。しかし、重層的な同時展開が緊張感を維持しながら即興的な場をセッティングするという発想は、『偶然の果実』の常套手段だ。

三人の若手(ルックスも体型も似通ってかわいらしい)が灰色っぽい厚手の生地で制服じみたワンピースで、舞台下手奥の黒くて低い台の上に位置していて。開演前から寝そべっている金ラメワンピースに裸足の女性ダンサー(これは「立会い」という名目でクレジットされていた若松み紀だろうか)がいて。スカートやズボンの違いはあってもおおかたドレスアップした感じの黒いコスチュームをまとった7人ばかりの「女」達がメインの位置にいて。この三層が平行しつつ、音響とミュージシャン、照明との間での交歓を繰り広げる。

六拍子のテクノっぽい音楽がずっと流れていた。それで、メインの黒い女たちは、右、左、という二拍のステップを基本に、それぞれ簡単なディスコっぽい(?)振りを繰り返しつつ何気なく舞台に登場してきて、思い思いに踊っている風に見える。はじめ、舞台はただのダンスフロアであるかのような、まばらなダンスがちらばっている状態が続いていた、かと思うと局所的に足踏みや手を振り下げてポーズを決める振りが同期しはじめ、秩序が生成しはじめたたのかと思えば、Let's GO!の掛け声とともに、同じ振りがユニゾンで踊られたりする。
バックの「三人娘」は、マネキン風にポーズを変えていったり、すばやく鋭角な手の振りを見せたりしている。
開演前から舞台の前後の方向に縦になって上手の手前にひっそりと横たわっていた女は、いつしか身を起こして立ち上がり、舞台上をさまよいはじめる(『カフェミュラー』のピナ・バウシュを連想したりする一瞬があった。メインのダンサーたちが六拍子に乗っているのにたいして、その進行とは別の時間に属している感じは、たしかに似ているだろうけど、『カフェミュラー』におけるノスタルジックな感傷とは無縁である点においては決定的に違うのかな、と考えつつ見ていた。)(バウシュの連想をしてしまったので、いやいやこれはむしろフォーサイスの『失われた委曲』の一部と二部が同時展開しているようなものではないか。)

六拍子のビートは終演間際まで絶えることがなかった。ノイズにほとんどかききえるほど音量が小さくなったり、バリエーションが展開されたり、ディレイがかかったりはしたけれど。この六拍子というのは、2+3と3+2のあわいで、「四つ打ち」のスクエアさとは全く違った揺れ動きをはらみつつも次の展開を巻き込んでゆく際限の無さみたいなものを可能にするビートとして選ばれたものだったのに違いないと思いつつ見ていた。基本的には二拍のステップに乗って踊る、そのビート感、グルーブ感、つまり、はっきりしたリズムに身体がはまって動く状態をキープすることが一方で意図されているのだけど、そこから拍子を外れて渦巻くようなものも溢れさせたいというもくろみもあったわけなのだろう。

重なり合いずれつつも横に並んだ上体から、コンパス状に旋回しつつひとりのダンサーが舞台前方に出てきた瞬間は、至福の一瞬だった。


後半の、サイレンとかを重ねて、それまでのどこか淡々と維持されていた緊張が一気に開放されたかのような盛り上がりを見せる場面では、後ろの三人娘が拍手をし続けていたりもする。ファシズム的なイメージのキッチュな転用か?などというような疑念がうかぶ。ちょっと作為の方が目立ってしまって、洗練された舞台展開の手際を追認するだけの状態が続けばダンスへの感興は醒めてしまっていた。黒沢美香の視覚イメージ的な面の演出にはある種ひねくれたところがあるよなあ、という年来の疑問についてちょとだけ考えが及ぶ。

「夜をきらめく」の公演パンフレットには、出演とか照明とか音響とかの区別なく関わった人の名前が横に並んでいるだけで、「相談役」という名目の坂尻昌平という人の公演とは直接関係ないようでもあるけれど公演のコンセプトを解説している風でもある小説っぽい文章が載せられている。

昨日、このテクストを読み返しながら、舞台で起きたことを、特定の主体に還元してしまう危険について考えた。