ビデオで振り返るゆるゆるスポンジの時間

「1080個の粒子の揺らぎ」というグループの『選択』という作品の上演についてかつて次のようなことを私は書いておりました。

作品の時間を辿りなおしながら思うのは、ある種の浅さを保ち続ける時間の質である。浅いけれども、離れることはできないような場所、いや、むしろ、少しだけ留まりながら、しかし、はがれて消えていってしまって、堆積していかない時間。途切れることだけが継続しているような時間。

(中略)

別に、受けを狙っているわけでもないのに、どこかユーモラスで、しかし作品としてもパフォーマンスとしても、なんだか生真面目に作られているようでもあって、爆笑はおきないけれど、終演するとくすくす笑いが漏れている、そんな公演でもあった。

(中略)

二拍子の足踏みは、ふらふらと揺らぎながら、そのつどに、舞台の関節をゆるめ、すべてを脱臼させるように働いていたのではないか。

(中略)

こうして、ふらふらの二拍子は、脱分節とでもいえるような仕方で、あの日のセッションハウスのひとときを、ゆるいスポンジがぼろぼろとくずれてゆくようなものへと変容させているのである。
10^80 個の粒子の揺らぎ 21フェスVol.51 - 白鳥のめがね

さて、この上演の記録ビデオがYouTubeにアップされているとのことで見てみました。
3つに分かれている。


最初はふらふらしているだけで暗転。


ちょっとドラマチックな展開


振付が入ってくる。

見直してみて思うのは、その場に立ち会ったことってやっぱり文章でないと残せないな、ということと、ビデオで見てみると、振付の構造がどうなっているかとかが逆に見えてくるということ。上の文章ではステップについてほとんど触れていなくて、足踏みという風に抽象化しているけど、足の蹴上げ方とかに型ができていて、こういうのはデタラメにはできないことだと思った。
足の軌跡と手の振りが振付の次元で一貫していて、ここには明らかな振付の仕事がある。

あと、骨ぬいぐるみ(骨ぐるみ?)が見ていてペニスに見えたことを思い出した。
以前書いたときには印象がぶれると思ってあえて触れなかったけど、映像があると安心してそういう言及ができる。
これは、骨の端が亀頭に見えたってことと、ふにゃふにゃしているところから骨以外の印象が浮かんだということだと思う。というか、説明聞くまで骨の抱き枕オブジェだとは認識していなかったかも。

ニコ動だとだれでもコメントできてしまうけど、こういう映像に矢印だの円だのをパワーポイントとかみたく付けながら自分だけのコメントをタイミング良く簡単に書けるツールみたいなのがあると、映像とかダンスとか演劇の批評は格段に精密な次元に突入すると思うんですけど、いかがでしょう?