伝統と身体 - East Dragon 2000を見る -

6月27日に、韓国、マレーシア、日本のダンサー、振付家が集って上演した企画、East Dragon 2000を見た。会場は青山円形劇場。なによりも興味深かったのは、韓国、マレーシアのダンサーと、日本のダンサーとの身体の質の違い、そして舞台芸術をめぐる概念の違いである。

韓国の金潤秀の作品は、韓国の伝統文化から題材をとったもの。死んだ夫と妻がつかの間再会するというストーリーを下敷きにしている。読経の声などが用いられ、石碑の模造品や造花、枯葉などが用いられる。仏閣の模型が舞台奥に釣り下げられ、遠くの山中にうかがえるという設定だ。客席は舞台を半円に囲むが、実質的には額縁式の舞台と変わらない空間構成だ。花が生を、枯葉が死を象徴するらしい。夫が白い衣装を付けているのは、死者の装束ということだったようだ。妻は黒い衣装を身につけていて、色彩が何かを象徴しているらしい事はうかがえる。舞台作品としてはいささか古い概念に基づいていると思われる。ダンス自体は今世紀にアメリカを中心に発展したモダンダンスのスタイルを踏襲しているようだ。いかにも揺るぎ無く、重心がしっかりと降りていて、運動の軌跡も、身体の佇まいもずっしりと充実している。

マレーシアの王栄緑の作品は、パーカッショニストの生演奏にあわせて披露された。タンバリンを大形にしたような打楽器だが、こすったり、はじいたり、リムを打ったりすることで驚くほど多様な音をだす。親指で鉄片をはじいて音階を奏でる楽器も用いられた。シンプルで多彩な演奏自体が十分に面白いものだった。
舞台は、さまざまな装置を用いた視覚的にも豪華なものだったが、装置のそれぞれは抽象的に使われていた。ステンレス状の板が鏡として用いられたり、天井からすだれの様に降りてきた赤い糸が二列に空間を区切り、それがブランコ状に使われたりする。 男女二人のダンサーは、斑点をもった動物のようなモチーフをあしらった衣装を身につけている。冒頭、舞台奥から逆光の照明の中登場し、ステンレスの鏡の両側で手だけ見せたダンスが提示される。その鏡は舞台前方に倒れ込み、板をめぐって戯れるような場面もある。目立たないが、川の流れの映像が舞台の床に投影されたりもする。やはりモダンダンスの様式に則った堅固なダンスで、スピーディーなアンサンブルが切れ味良く鮮やかだった。 二人のダンサーが触れ合い、持ち上げたりするような場面が見せ場となっている。 70年代にシュトゥットガルトバレエ団を率いたクランコの舞台を連想したりする。

山田うんの作品は、ソロでありながら「duo」と名付けられている。ビデオモニター数台が舞台に点在し、TV番組が流される所から始まる。暗い舞台でブラウン管だけが光を放ち、それをしゃがみこんで見ているダンサーがゆっくりと動き始める。TVの前でだらしなくしている身体からダンスが立ち上げられていくようだ。
興味深いのは、やすしきよしの漫才を「音楽」として使っていたことだ。それに対応していたダンスがどんなものだったのかはっきり覚えていないのだが、漫才のリズムをダンスに活用しようとする野心的な試みに驚かされた。すばやく、大きな軌跡を鋭角に描くようなダンスから、身をかがめ、床にゆっくりと倒れ込み、あらぬ方へ手を突き出したりする舞踏的な動き、ただ舞台を円を描いて歩みを加速して行く運動など、多彩な運動が雑然と投げ出されたような構成だ。身体の軽やかさが印象に残る。終結部には、チープなCGアニメ番組が引用されもした。日常との距離の取り方の中に、舞台作品のモチーフが見いだされていることがわかる。

白井剛が主宰する「発条ト」の作品は「テーブルを囲んで」と題されている。円形のステージには内向きに10台ばかりのモニターが設置されている。パフォーマーとして白井剛が今時の若者らしいカジュアルなスタイルで何気なく舞台にあらわれ、モニターの電源をリモコンで on にしていく場面からすでに作品は始まっていたらしい。モニターには、海岸や街角や公園の風景が映し出されているが、それぞれの画面に舞台上にある椅子やテーブル、虫かごなどの小道具が写り込んでいる。町のざわめきなどは画像とリアルタイムで録音したものがそのまま流されているらしい。パフォーマーはしばらく、舞台の奥の椅子に腰掛けて様子を見守っていたり、客席をぐるっと歩き回ったり、空いている客席に腰掛けてみたりする。客席を照らす電灯は点けられたままだ。近くのおばさん達は話を続けたままだった。
やがておもむろに舞台へと降りたパフォーマーは、モニターの辺りをうろついている。なかなか「ダンス」は始まらないようだが、微かにステップを踏んでいるようでもある。
舞台中央のテーブルの上には虫かごが置かれていて、虫の音が聞こえるが、それがどこから聞こえて来るものなのかは判然としない。モニターにも同じ虫かごが写っているからだ。電話の音が響き、時報だったか天気予報だったか、テープで流される音声が舞台に響き渡る。火を消さなければならないかのように、 あわてて音源をさぐる。テーブルの下にガムテープでテープレコーダーが取り付けられていたことがわかる。停止ボタンを押し、傍らに打ち遣る。それでもなお強迫的な音声が響きわたり
今度は音源が見つからない。
そんな所から場面は急展開し、固定カメラで切り取られた各地の情景を編集無しで映し続けていたモニターは、一斉にテレビ番組の画像を一瞬フラッシュのように舞台中央のパフォーマーに浴びせる。テレビからの音声も一気に舞台に溢れる。頭を抱え込んでしゃがみ込むパフォーマー。そして、それぞれの画面は、めまぐるしくコラージュされた様々な画像を写し出す。それはテレビニュースの画像であったり、ついこの間の選挙ポスターであったりする。同時にテレビ音声のコラージュも舞台に溢れる。それはインタビューに答えた声などを切り取り、組み合わせたものだ。
過剰な情報の渦をあらわしたかのような音声と映像のコラージュは、絶妙に切り分けられ、切り張りされた構成のテンポとタイミングも見事なものだった。選定にかけられた素材の膨大さと、入り組んだ編集の複雑さを処理する手際の良さが要求されたことだろう。モニターから聞こえたかと思えた音は、やがて客席の後ろや、あるいはその斜め下など、思いもよらないところで響きわたる。音響的な空間造形としても素晴らしい効果を発揮していた。電子的メディアの覆う空間そのものを早回しして見せているかのようだ。
そのような場面の中でダンスが披露された。充実、という言葉とは正反対の身体の在り方。静かな痙攣のような軽みが舞台をせわしなく行き来したとでも言うようなダンスだ。印象に残ったのは、背中を丸めて空中に身を投げ出す仕草だ。紙屑でも放り投げるように、いかにも軽々と放物線を描くという風なのだ。背中から床に落ち込む。なかなかこんな風には体を投げ出せないのではないか。
コラージュの狂騒はやがて静まり、ギターをじゃらんと掻き鳴らす音が重なり合う。画面の中でコード弾きされているギターを見ると、どうやらモニターごとにビデオ再生された音声が、舞台の上で間欠的なハーモニーを醸し出しているものらしい。街角や海岸や公園の画像が静かに作品を締めくくった。細部に記憶違いはあるかもしれないが、だいたいこんな作品だったようだ。

他のアジア諸国のダンサーが自国の文化やモダンダンスの伝統をしっかりと踏まえており、肉厚な身体性を備えている一方で、日本のダンス作品は、身振りにおいても、作品の構想においても、より身軽であるように見えた。
日本のコンテンポラリーダンスにおいては、舞台芸術における伝統の欠如や断絶が逆に独創性を生み出しているように思える。日本側の二人のダンサーは舞踏の流れから何らかの影響を受けているはずだが、舞踏は世界で評価されるまで日本のダンス界においてほとんど黙殺されていたのであり、現代ダンスの断絶の中で身体の技法を密かに磨いていたというのが実状だったのだろう。舞踏が秘教性から脱した所で、コンテンポラリーダンスの新展開が促進されつつある。モダンダンスの閉塞と舞踏の普及は、日本のダンスの状況を世界の中でも特殊なものにしている様に思える。そして、ダンスにおける特殊な状況は、現代日本の社会状況を反映してもいるだろう。劇場においては、それを言祝ぐべき機会もあると言えるだろうか。

参考までに、商品劇場BBSで黄愛明さんが書きこんでくださったアジアのダンス事情についての情報をここに転載しておきます。

(マレーシアの)Ong Yong Lockさんのダンスの表現は、とても香港風と感じました。何が香港風か、今言葉では表わせないが。まず西洋のモダンのテクニックの要素が強いところです。

香港の男性人口は少ないです。増して、ダンサーの職業になると、危機に面する時がありました。80年代の後半から、香港のダンス・カンパニーは男ダンサーを応募する動きがありました。さらに、香港のパフォーミング・アーツ・スクルーのダンス学科も奨学金を提供するようになりました。この辺はマレーシアの男ダンサーにとって、なかなか有利なチャンスです。まず言葉は問題にならないし(広東語とマンダリンと両方通じる人が多い)、それに、同じ中華民族ですから、香港の代表といっても、違和感はありません。ですから、男ダンサーは続々と、香港の舞台にデビューするようになりました。女性ダンサーの場合には、家庭が裕福である人に限って、自費で留学することになります。本当にわずかです。

(初出「今日の注釈」/2010年3月14日再掲)