メガロシアター&SOOM ART

ダンスがみたい!7の「コリアダンスコレクション2(韓国/日本)」を見る。
http://www.geocities.jp/azabubu/

・メガロシアター「メガロポリスアザブ 〜濃縮版〜」
20人ほどのパフォーマーが参加した作品。いくつかのモチーフを繰り返しながら、舞台上で様々なできごとが乱雑なままに散発するというようなものだった。

ひとりひとり、時刻と場所(都内各地)とその場での出来事を報告するモノローグを語りながら登場してくる場面からはじまる。パフォーマーは、オフィス風の服をきているか(ジャケットなしで、スカートやスラックスにネクタイ姿といった)あるいは、白いつなぎを着ている。つまり、ブルーカラーとホワイトカラーの仕事服で統一されている。しかし、その間の違いはべつに際立つことなく、ごちゃごちゃになっていく。

パフォーマンスの質としては、あまり集中しているとはおもえない緊張度の低いもので、むしろ、だれでもできることを組み合わせたり、それを大量に舞台に載せることに意図するものがあるのだろう。

たとえば、なにかテキストを読み上げようとすると、それを周りのパフォーマーがよってたかって口を押さえたり床に押し倒したりして、封じる、といったことが繰り返されたり、一人のパフォーマーが、他の全員に命令を出していったかと思うと(「観客と握手する・・・・しようとしてやめる」とか「好きって言って」とか)こんどは、「みんな命令して」といって、命令が飛び交うなか、食い違う命令を与えようとする二人が対立していったりとか。

おそらく、物語が単線的局所的に取り上げられて、特権的な主人公の行動が描かれるというのではなく、様々な人々がかかわりあう都市生活の全体のダイナミズムみたいなものを、ドラマが生起しては消え去るある種の平衡状態として、マスの素材性そのままに提示するというようなことがしたいのかな、と思う。

なんか、20人が客席に向かって迫ってきたり、大声でわめいていたりすると、それはそれで、客席より舞台に人が多いんじゃないかと思えるくらいの何か迫力というか力はあると思う。でも、それは、ある程度の方法意識を共有しさえすれば、人数をそろえるだけでできてしまうものなんじゃないかとも思える。

もちろん、ある程度方法意識を共有した人が20人もあつまって舞台を上演できるまでに人を集めるのはそれなりの労力と意志とコンセプトが必要なことはわかるし、これだけの人数集められているだけで、そこにはそれなりの力が集まっていることは確かだ。

しかし、それにしても、ただ集まっているだけにしか見えないのはどうしてか。また、これだけの人数出演していたら、もっと観客動員できてもいいように思ったりもしたのだけど、そんなのは下衆の勘ぐりだろうか。

たぶん、劇場というわくぐみは温存されていて、既存のシアトリカルな手法に結局は依存しているように見えるところが、弱みになっていると思う。

また、「メガロポリス」というキーワードが、やはり、うまく機能しているとは思えない。
このあたりは、それこそ、コンセプトの甘さなんじゃないかと思う。

メガロシアターは、最近今ひとつ伸び悩んでいるという印象があるのだけど、今の活動をうまく次のステップにつなげて行って欲しいと思う。


・SOOM ART
「空気の夢(Air's Dream)」
出演=ソ・ギョンソン チョン・ドンウン 他
振付・出演/クック・ウンミ 演出/コン・ビョンチョル
「振付のクック・ウンミは、現在、スム・エンターテイン代表。98年〜99年、ドイツ・ダルムシュタット私立舞踊団主席ダンサー。01年ネクスト・ウェーブ・ダンスフェスティバル(NY)、02年国際現代舞踊祭、03年韓日ダンスフェスティバル(日本)などに招聘される。」とのこと。
http://www.geocities.jp/azabubu/

なんか、テクノっぽい激しいビートの音楽をつかっていて、スティーブ・ライヒとかも使ったりしていた。韓国というと、ベタなモダンダンスにナショナルなテーマがかぶさる作品が多いという印象があったのだけど、このグループに関しては、そんなことはなく、むしろ無国籍な印象で、ちょっと前のレニバッソってこんなかんじじゃなかったかなあと思ったり、プチローザスだなあと思ったりした。
日本で言う「コンテンポラリー」寄りというか、なかなかおしゃれでスタイリッシュで、いくつかのモチーフをずらしながら繰り返すといった感じのいわばミニマルな作風のなかにカデンツァ的に激しいソロがからんだりするといった展開もあり、韓国でもこんなものをつくっているんだなあと思いながら、さらっと見ることができて楽しかった。