さまざまなFlatness -Dance in Deed! を見る-

Flatness、良く言えば均質なむらのなさ、悪く言えば平板さ、とでも言えるかもしれない質を名指す言葉である。絶対演劇派のシンポジウムで尼ヶ崎彬氏が美術について語る言葉として紹介していたので覚えたのだが、実際にどのように使われているのかはあまり良く知らない。
現代ダンスの中堅どころのダンサーや振付家を集めて光が丘のIMAホールで6月2日に開催された企画「Dance in Deed! 」を見ていてその言葉を思い出した。ニブロールのダンスは立体的だよな、なんて思いながら。

武元賀寿子氏のソロ作品は、繊細な動きや絶妙なコントロールが見事だった。指先や手、腕がしなやかに波打つような動きから、不安定なポーズを保つ絶妙なバランス、機敏な移動に至るまで、同じ質感に満たされていた。手と足とでは、筋肉の付き方も体重のかかり方も違う。それにもかかわらず均質さが保持されるのはすばらしい。質感の統一が作品に持続した情感を与えていた。

山崎広太氏作品は、自身も含め男女3人によるダンス。かなりスピーディーで微細なうごきが多い。小刻みな動きのそれぞれは印象に残らない。3人が接触することはあまりない。それぞれの細かな動きによって空間が均質に埋められていく感覚が残った。

能美健志氏が振り付けて舞台に立ったデュオ作品は、ピアソラの曲に振り付けたもの。慎重にひとつひとつの動きを積み上げていくかのような堅固な造り。それがタンゴの躍動感にはそぐわないもののようにも思えた。

日玉浩史氏のソロはコミカルなもの。アロハシャツにレイをぶら下げ、サングラスの男が舞台をふてぶてしく歩き回り、時折思いついたように踊るといった雰囲気。かなりアクロバティックで高度なテクニックを要求する動きも差し挟まれるが、それがなげやりな感じの仕草と違和感無く連続している。ケレン味たっぷりに客席に向かってポーズを決めようとしたり、ふざけたような、気取ったようなチンピラ風で軟派なキャラクターの仕草がモチーフとなってダンスが構成されていった。ここでもキャラクターと動きの質がコミカルな情感として持続していたわけだ。

木佐貫邦子氏の作品では、本人は振り付けに徹して舞台には現れなかった。8人のダンサーによる群舞の作品。ステージの中央に照明によって区切られた演技スペースが現れ、そこで踊らないダンサーが舞台上で待機していたりする。その辺りも含めて、「フォーサイス以降」を強く感じさせるもの。 ソロやデュオのパートもあり、めまぐるしくフォーメーションが入れ替わるのだが、群舞のパートとソロのパートで舞台の印象にあまり落差がないように感じられる。これは、個々のダンサーの身体レベルで動きを構成する事と、複数の身体によって動きを構成することが、同じ水準で振り付けとして達成されているということなのではないか。動きの分析が徹底されているからこそ、様々な水準を貫いて、動きを自在に構成できるのだろう、と考えた。 もちろん、これは8人のダンサーそれぞれの動きが均質で、見事なアンサンブルを成していたからでもある。それぞれのダンサーに的確に動きを伝え、質感を統一できるということは、振付家が深く身体について理解していること、振付家の要求に答えるだけのダンサーがそろっていること、この二つの条件が満たされているから可能なことだ。
恒常的にカンパニーを維持しているわけではない木佐貫氏が見事な群舞作品を仕上げられたということ自体、日本の現代ダンスの到達点を示していると言っても良いのではないか。ダンサーの層が着々と厚くなっているようだ。これからが楽しみ。
8年ほど前に、木佐貫氏のダンスを初めて見たときには、とても叙情的な作風が爽やかだった。ここ数年木佐貫氏の公演を見ていなかったが、今回はスピーディーで硬質な印象。本人が踊らなかったことも含めて、良い意味で期待を裏切られた。

IMAホールは光が丘近隣住民のための劇場で、劇場自体に固定客がついているようだ。会場には、ダンスを見慣れない様子の観客も多かった。その点、亀有りりおホールの雰囲気に通じるものがある。下町と新興住宅地では、まったく正反対の部分もあるが。都心や横浜で開かれるダンス公演では、ダンスファンやダンス関係者ばかり集まっているという印象がある。ダンスファン以外にも観客を開拓していくという意味では、今回の企画は有意義だったろうし、ソロから群舞まで、スタイルにおいてもバラエティに富んだプログラムはダンスの魅力を多角的に伝えるものだっただろう。

照明の素晴らしさにも注目させられたことを付記しておく。

余談:
当日、ジャン・サスポータスワークショップのショーイングの帰りに高野文子を舞台化した経験の話をしてくれた人とばったり会う。その人のダンス友達と夕食をご一緒し、お話しした。
その日新しく知りあった二人は、九州や東北から現代ダンスを学びに上京していると聞いて驚く。 新体操やジャズダンスやモダンダンスの世界から、もっと幅広いコンテンポラリーダンスに関心を移す人がたくさん居ることを知る。
働きながら作品を発表したりているその女性は健全なダンス批評が足りないから自分でもチャレンジしたい、と世田谷パプリックシアターの講座、SePTで西堂行人が開く演劇批評クラスに参加する予定だと言っていた。能美作品では、それぞれの動きが見事に美しいポイントを通っているというという話を聞くと、自分が何を見ていなかったのか思い知らされもする。モダンダンス本流ももっとしっかり見ておきたいものだ、と思い直す。

(初出「今日の注釈」/2010年3月14日再掲)