キモいと日本人があまり言われなかった理由++
さいきん、天皇制についての自分の思いについて語ったばかりだが(天皇制が補完されることについて - 白鳥のめがね)、そしたら、昭和天皇の誕生日(みどりの日昭和の日)に次のようなブログ記事が出ていたのを読んだ。そのあと考えたことをちょっと書いておこうと思う。
天皇制は植民地支配・侵略責任を問われることのないまま、戦後も象徴天皇制として不気味に生き延びています。このことの意味が実感できない人は、とりあえず、地下鉄サリン事件以降も、オウムが裁かれることなく、麻原彰晃が信者の「総意」にもとづいて「象徴尊師」となり、しかもそのことに信者が何の違和感も持っていないという状況のおぞましさを想像してみてください。
日本人でもわかる天皇制の耐えられないキモさ - media debugger
オウムの件のあったころ、戦中の日本は国中がオウム真理教の信徒であったかのようではなかったのかな、と思ったことがあったが、そんなことを口にするのがはばかられたのは、戦時下を生き抜いた人にそんなことを言うのがとても失礼ではないかと思ったりしたからだった。
その後しばらくして、第二次世界大戦を生き抜いたどなたかが、「戦中の日本はまるでオウム真理教と同じだった」と言っているのを聞いた。自分の考えが単なる思い違いでもなかったようだと思ったものだ。
さて、天皇制が批判されるべきだとして、オウム真理教への嫌悪感や敵愾心を利用するというのは、プロパガンダとして割り引いても、あまり品があるとは言えないだろう。
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まあそれはそれとして、日本人はまるでオウム信者のようだ、という比喩の論理を国際社会に置き換えて徹底して想像してみよう。日本人の多くがオウム信者を排斥し、差別したという事実に対応する経験とは、どんなものか。
それに該当することがあるとすれば、海外に出かけたとき、日本人であると正体がわかったとたんに、「Oh!信じられない、天皇を信じるキモい日本人だ!すぐに国外に退去してくれよな!」と差別され、排斥される。そんなようなことだろうか。
だが、日本人の多くはそういう経験をせずに済んだ。なぜか。
そこで考慮すべきことのひとつは、戦後、1963年までのおよそ20年足らずの間、海外への渡航が制限されていたということだ。
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ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の歴史記述の中に、アメリカが日本の天皇制を存続させることにしたとき、ひとつの懸案事項として、欧米でエンペラーヒロヒトの処罰を望む根強い世論への対応があったと読んだことがある。ムッソリーニもヒトラーも死んだのに、ヒロヒトはなぜ生きながらえているのか?なぜだ?
そんな世論が盛り上がっていたころ、日本人として欧米に行ったならば、オウム信者が経験したようなことを、多くの日本人が経験できたのかもしれない。
あるいは、敗戦後、勝利した民族である朝鮮人、中国人に対して、日本人が頭を上げられなかったようなことがあったと聞いたことがあるが、そういう経験は「オウム信者」が日本で蒙った経験に近いものだったのかもしれない。
いずれにせよ、世界の中での日本を考えるときには、日本人の多くが国内に足止めされていた間に、どのような交流の欠落が生じ、その結果として日本人の多くの経験が制約されていたことを絶えず思い起こしておくべきだろうし、その欠落が70年代以降埋められて行った経緯を考えておくべきなのだろう。
また、敗戦の経験がどのように忘却され、どのように「戦後」に置き換えられていったのか、それも考えておくべきなのだろうし、そして、極東国際軍事裁判において、昭和天皇が裁かれなかった偶然について、日本の敗戦後の処理をめぐるあれこれの不合理について、その不合理や偶然に日本の現状が左右されていることについて、考えておくべきなのだろう。
追記)
昭和の日に変わっていたのを忘れていたので訂正。
http://www.429jp.info/utility/index.html
http://www.syouwanohi.com/organization.html
「昭和の日」に神社本庁とかがからんでいるっていうのは、確かに、ちょっと、気持ち悪いね。