中国まで穴を掘ること、あるいは板切れの話

 このころ、夜中に眠れない日々が続いていた。締め切り間際に徹夜するようなことを繰り返しているうちに、自律神経のリズムが少々狂ってしまったらしい。この日も、3時をすぎても眠れないので、部屋の明かりをまたつけて、テレビを見てみようと思った。物思いが止まらないまま寝床で悶々としているよりは、気分を変えたり、すこし頭を疲れさせた方が眠れることもある。

 つまらないドラマや映画は、ちょっと見てチャンネルを変えてしまうことが多い。カメラワークや演出の詰めが甘い作品は、間が持たないのだ。10秒見るだけで飽きてしまうなんてものも多い。映像作品として僕が求めているクオリティははっきりしていて、それが見出せないものは、脚本が良かったとしてもダメなのだ。

 この夜たまたま見付けた映画は、なかなか繊細で構図もはっきりした映像で、カットのつなぎにも独特のリズムがある。多感な少女の日常を淡々と切り取っていくあたりも好みだ。全く途中から見たのだが、引き込まれていった。母親の死のニュースを聞く場面で、伝えに来た姉の様子を察して話を聞く前にトイレに逃げ込んでしまうシーンがあった。なかなか巧みな筋の運びだ。何か嫌な事を聞かされる、と感づいただけで逃げ出してしまう。少女の性格をうまく造形している。
 買っておいたTV番組雑誌を取り出して情報を確認。邦題は『ウィズ・ユー』。俳優ティモシー・ハットンの初監督作品だとか。この俳優が誰だかは知らない。内容は、知能障害のある無垢な若者と多感でちょっと天の邪鬼な少女の友情、そして家族との愛憎を60年代アメリカの田舎町を舞台に描いて行くなんて物だから、こんな甘いタイトルをつけたのだろう。なんだかありふれたタイトルは手抜きなのか、配給会社のセンスの欠如なのか。

 まあ、見ている内に、内容自体にも甘い所はあるし、差し障りのないタイトルで十分か、と思ったりもしたのだが。とりあえずクライマックスも終わって、どうもエピローグに入ったようだな、というあたりでスイッチを消して眠ることにした。

 ところで、この映画、原題は、"Digging to Chaina"。このタイトルを見てソンタグの"Project for Trip to China"のことを思い出した。ある種のエッセイ風の自伝的(?)小説というのか。PenguinBookのペーパーバック版"A Susan Sontag Reader"を机から持ってきて、テレビを寝床に寝転がって見ながら、CMに入ったり、ちょっと退屈したときにめくってみた。

 思い出して探していたのは次のような一節だ。

When I was ten,I dug a hole in the back yard.I stoped when it got to be six feet by six feet by six feet."What are you trying to do?"said the maid."Dig all the way to China?"

No.I just wanted a place to sit in.I laid eight-foot-long planks over the hole...

 映画の方のタイトルが、どうして"Digging to Chaina"なのかは、途中から見始めて、後半の一部しか見ていないこともあり、良くわからない。山ほどの風船でゴンドラを浮かせて家出しようとする場面はあったけど、前半に穴を掘る場面でもあったのだろうか。ともかく、ソンタグの小説が念頭にあってつけたタイトルなのかな、と、なんとなく空想させるような映画ではあった。
 しかし、中国というのはアメリカでは地球の裏側というイメージで、チャイナシンドロームとかって言葉もあったはずだから、それなりに常套句になっている言葉だ、というだけなのかもしれない。

 件のペーパーバックは、大学卒業する春にヨーロッパ旅行のツアー(大学生協JTBが組んだ企画だった)に参加して、イギリスに立ち寄った時に買ったもの。その後田舎で就職して、しばらく実家にいたのだが、ソンタグのエッセイを休みの日なんかにちょっとずつ読んでいた。"Project for Trip to China"は、短い断章の集まりで、比較的読みやすかった。まだ大学院に進学できるかどうかもわからなかったあの頃のことを思い出しながら眠りについた。

 ところで、上で引いた文のplanksという単語の傍らには、何故か鉛筆で小さな○がつけられていた。そんなことはすっかり忘れていたが、plankという単語をこのとき辞書で調べているのは間違いないようだ。

(初出「些末事研究」/2010年3月12日再掲)