父の死ぬ前の言葉

ここ数日、気分が陰鬱だったのは、『Unrehearsed Beauty』を見に行って、観客として行った発言が、あまりに・・・無内容というか、当り障りがないというか、逃げ腰と言うか、そういうものになってしまったことを後悔せざるをえなかったからなのだが・・・出演者の、ブッシュはEvilか?という問いかけに対して、Yesという明るい返事が数多くあがり、それに一人声高にNoと応えてしまった僕は、「あとで話し合う必要があるみたいだな」と言った風なパフォーマーの発言・・・というか挑発を間に受けて、マイクに立ってしまったのだった。

思えば、YesかNoで答えてほしい、ローリングストーンズは丸くなったか、あなたはFullTimeJobを持っているか、あなたは忙しいか、といった質問が、あからさまに観客を発言へと煽る意図があるものであったのだが・・・しかし・・・。といった話は、もう少し丁寧に、別の機会に説明しておきたい。

父が死ぬ直前の事だ。父は、自分が設立に関わった孫受け工場を営む会社を辞めて、別の会社に移ることを決意して、そのことを家族に告げるために・・・というか、夫婦では話し合いはすんでいて、私と弟とにそれを伝えようとして、家族会議なるものを開催した。

父は、いつしか、会社人間としての生涯を振り返って物語りしていた。その物語が、会社人間としての新たな決意のほどを、どれほど説明するものだったのかはわからないし、それを、どんな気持ちで自分が聞いていたのかも、はっきりとは思い出せない。ただ、その後一ヶ月も経たないうちに父は死んでしまったので、父の生涯の物語も、死の直前の言葉として記憶されることになった。

その結果として私が得たものはと言えば、自分の生涯を振り返ってまとめて語ったりすると、死を呼ぶかも知れない、なんていう個人的迷信を抱くくらいなことに過ぎないだろうか。

妻を得て、家を建て、二人の子どもももうけて、会社も切り盛りしてきた、そんな自負が、父をして、いつになく饒舌たらしめていたのだろうか。

この、ごく最近の経験と、この季節が思い出させる遠い記憶とを結ぶ糸は、たくさんある。しかし、それをあなたに語ることは難しい。

(初出「あったことがこだまするのをふつつかに」/2010年3月13日改稿の上再掲)