「メイエルホリドとわたしたち ―映画『白鷲』を見ながら」

早稲田の演劇博物館でやってたメイエルホリド展の関連企画に出かけた。ついでに展示も見て演博で調べものしようかなと思ってたけど、結局講座だけ参加して帰った日*1

関連演劇講座

「メイエルホリドとわたしたち ―映画『白鷲』を見ながら」
第一部 メイエルホリド出演映画『白鷲』上映(プロタザーノフ監督、1928年、無声映画、字幕つき、67分)
第二部 ディスカッション「メイエルホリドと同時代〜現代の先端的芸術」
鴻英良(演劇批評家)×塚原史早稲田大学教授)×豊島重之(モレキュラーシアター演出家・ICANOFキュレーター)

日時:2010年3月12日(金)15:00〜18:00(14:30開場)
会場:早稲田大学小野記念講堂(27号館小野梓記念館地下2階:定員200名)

映画は、サイレントなのだけど、特に音楽も無しでの上映だったので、ちょっと辛かった。革命前のロシアを描いたドラマ。特権階級の役人とデモをする労働者たちを対比していくストーリーで、デモの弾圧のために子どもが殺されてしまって、それを褒められる高官の妻が、耐え切れずに夫を殺そうとして未遂に終わったりといった場面のあと、スパイに使われてた労働者が仲間にスパイ行為がバレて権力者に助けを求めるけど冷たくあしらわれて逆恨みして高官を殺しちゃうみたいなストーリー。皇帝とか帝国の官僚とかを豪華に描くセットも贅を尽くしたもので、平行モンタージュとかでドラマチックに盛り上げるあたり劇映画としては現代と地続きな感じ。メイエルホリドのこと勉強不足で誰がメイエルホリドかわからないという不始末。

鴻さんとか豊島さんとかは何度か講演なりを聴いたことがあるが、塚原さんは初めて。それで、メイエルホリドはほとんどでなくて、アヴァンギャルド史の話ばっかりしてたけど面白かったので塚原さんの本は読んでみようと思った。アヴァンギャルドという用語の初出は、サンシモン派社会学者のRodriguesが1825年に書いた手紙だか論文だかの文書なんだって。この辺り専門家でも誤認してることがあると塚原さんは指摘しつつ、それが現在確認されてる初出だって言ってた。そうなのか。

塚原さんは、ベンヤミンが死んだ背景に、ソ連のスパイであるコジェーブの関与があったのではないか?間接的に、死ぬしかないように手を回してたのではないか?みたいな陰謀説を主張していて、資料が出てこなければ仮定の話だが、大いにありえるみたいな話しぶりだった。鴻さんもそれに乗っかって、「ヘーゲルの『精神現象学』の講義でコジェーブが歴史の終わりを説いたのは、ソ連のエージェントとしてイデオロギー的に西側の崩壊を促進しようとしたのではないか?」みたいなこと言っていて、このおじさんたちは大丈夫だろうか?と思ったものだ。

映画とメイエルホリドの関わりについては、映画のラストで描かれる舞踏会の場面が、メイエルホリドがやってた舞台と照応してるんじゃないか的な話をしていて面白い観点ではあったけど、それも推測にすぎない指摘だったので、まあ世間話と変わらないレベルのお話ではあった。

豊島さんは、いつもの調子でうねうねと話していて、話の途中で帰る聴衆が何人か居た。対独勝利の記念とかでスターリンの肖像がモスクワに掲げられるってニュースに触れながら、旧ソ連の秘密警察は帝政ロシアの秘密警察を引き継いでいて、みたいな政治裏話的なことを、そこに思想の問題があるんだって口ぶりで話していて相変わらずだなあと思う。昔、絶対演劇派とか名乗っていた頃の「コロック」(つまりシンポジウムというかアフタートーク的座談会というか)で話しているのを何度か聞いたものだけど、その頃は「この胡散臭い山師的な語り口は何なんだ」と思っていたものだけど、最近ではなんとなくこの人の持ち芸だよなあと思ってそれはそれで楽しんで聞いているけど、結局何を言いたかったのかは良くわからない。語られるディテールにあまり意味はなく、その配置にもあまり意味はないのかもしれない。ただ、いろんな思想用語も政治的な事柄も弄んでいるような手つきに、豊島さん独特の手触りのようなものはあるのだろうなあ、とか、思わないでもない。

豊島さんがどういう人かを語るエピソードを最近読んでた本から拾っておく。文庫になったのも10年ばかり前のちょっと古い本だけど、今読むといろいろまた味わい深い。

ロトランジェ (略)今回の来日は八戸でのカフカ・コロックに参加するためのものだったのですが。

浅田 僕は参加できなくて残念でした。主催者の豊島重之に高橋悠治を紹介して、彼がカフカによる作品を演奏したはずだけれど。
「歴史の終わり」を超えて (中公文庫)