初期型の『ThePOP』

アゴラの夏のサミットに参加してる初期型の『ThePOP』を見てきた。
前回ダンスタワー見たときにざっと感想を書いたけど、今回も、基本的には変わらない印象。
男性キャストは基本的に全裸で局部を手で握って隠してたりとか、またにはさんでかくしてたりとか。ラストにいたってパンツはいてましたけど。
女性キャストは、たまにスクール水着だったりしたけど、基本的に衣装をつけている。

全体の印象として、舞台に投げ出される様々な身体パフォーマンスは、コント的なノリの中である種エネルギッシュに進むのではあるけれど、身体の質感においては、とても乱雑なものだと思った。

コント仕立てのバラエティーショーにダンスがちりばめられているって感じの全体の印象ではあるのだけど、とりあえず全体を通した筋があって、ヒロイン役の深見章代が役名深見さんで登場してきて、主宰カワムラさん以外の男性陣三人がそれぞれ深見さんと付き合っていて三又かけられている、って設定であれこれ進む。

それで深見さん以外の女性陣は、もてない女キャラを演じていく。今村つぐみ、垣内友香里のコンビが、一昔前の女子高生風にだべりながら、ふと思い立ったみたいに踊るとかって場面は抱腹絶倒だった。

というわけで、ちょっとなさけない感じのキャラを演じる人たちの中で深見さんが女王のように君臨していて、カワムラさんは土俗的な神像みたいに登場してくる、っていう感じのヒエラルキーがパロディっぽく演じられていく。深見さんは歌いながらキャットウォークから降りてきてかがんで並ぶ男たちの背中を踏んで進んでいくなんて場面もあった。

後半深見さんがソロで踊る場面があって、それはショーダンス的な審美性において、見ていて快いものだった。まあでも、ダンスとして見たとき、様式としても身体技法としても特に際立った何かというわけではない。もっと素晴らしいダンスはいくらでもある。そういう相対的な比較の中に納まってしまう何かだった。

それと対照的なのが、ラスト近くに、ある種の民族音楽っぽい、宗教曲っぽい女性合唱の穏やかな音楽が流れるところで、カワムラさんが正面を向いて直立して手をゆっくりと動かして胸のあたりを触ったりするような、仏像の仕草のようなすこしふしぎなジェスチャーを淡々とする場面の身体性で、むしろ深見さんのソロダンスを引き立て役にしてこのソロを際立たせているようにも見えたのだ。カワムラさんのまわりに他のキャストが寝転がって、足を上にあげて取り囲んで、まるで蓮の花の中にカワムラさんが立っているような展開になるのだけど、これなど、女王として男たちを虐げる深見さんとちょうど逆なのだ。

そこで気になったのは、ある種ミソジニー女性嫌悪)的な図式が安易に展開されてはいないのかな、ということ。上で描いた蓮みたいなシーンで、カワムラさんとそれぞれ寝転がっていた人たちが去っていくと、そこに深見さんが残されて、一面では深見さんは男性の思慕を一身に集めているのだけど、それも幸せじゃないみたいな、哀れに見えるみたいな、そういうラストシーンの処理をしていた気がする。

ある種、喜劇的に女性の非モテキャラとかを提示したりとか、女に翻弄される男を演じてみせたりとか、恋愛ドラマの定型をからかってみせたりするとか、そういう展開なので、ベタなパターンをそのまま繰り返すこと自体が悪いことは無いんだけど、ただベタにパロディをしているだけだと、まあ、遊びとしては楽しくなくもないけどなー、という感じの感想で終わってしまう。

ある種宗教的なイメージも片方でパロディ的に扱われながら、片方で、やっぱり簡単に肯定的な価値を与えられていたりしたとも思うので、ダンスを見せることの価値をそういう意匠の中においてしまうとすると、ミソジニー図式がそこにつきまとっているのは、やっぱりちょっと問題ありかもしれない。喜劇タッチで悪女キャラを立てるときには、どうせやるならドロンジョ様くらいな憎めなさと何があっても死なない軽さが必要なんじゃないかと思ったりする。そこが、今回の舞台では、ちょっと、ウェットなものが残っちゃっていて、十分に扱われてなかった気がするのだ。
ある種、ペーソスと言えるようなものが求められていたのかもしれず、喜劇的な表層が韜晦であるようなまじめな何かが創作の根底にあったのかもしれないけど、もしそうだとすれば、テーマの展開が中途半端であったがために、パターンにはまってしまったのではないか、という疑念が残る。

それは、男性陣が全裸で舞台に立つことが、一面では羞恥の表現であって、男根を隠し続けるファルス(笑劇)としてあるとしても、他方では、隠蔽することが逆に誇示に過ぎない、ということにもなりえるわけで。今後全裸ということをどう扱っていくことになるのかわからないけど、そういうあやうさが迫ってきているという気もする。無責任に全裸だから過激だとか褒められないし、全裸でパフォーマンスすることの意味合いが常に問い返される必要があるのだろう。

最近書いたあれこれの舞台評のテーマとも重なりあう問題があれこれ想起されて、フォニーとキッチュとの違いは何だろう、とか、ペニスを隠すことの意味ってなんだろうとか、そんなことを考えながら見ていた。

あと、舞台にあわせて配布された当日パンフレットが、ダンスタワーでおなじみ松島茂さんのイラストつきの手書き解説で、これがなかなか、仲間内に部外者が楽しく出入りしている雰囲気を嫌味なく伝えてくれてよいものだった。松島さんの才能を初期型とか高襟周辺に独占させておくのはもったいないので、もっと他の舞台のレビューなりレポートなりをイラストつきで書いてもらうべきだと思った。お金払ってでも。

(追記)カワムラさんの名前間違えてました。失礼しました。お詫びして訂正します。