ライン京急自主企画 Vol.1

ライン京急の自主企画を見に行った。
http://www.super-deluxe.com/2009/8/4/linekeikyu/
スーパーデラックスに行った。行くのはPMEの『Unrehearsed Beauty』を見に行って以来、およそ6年ぶり。

見た順に雑に感想書いておく。忘れきってしまわないうちに(8月10日記す)。

上演:『double』
振付・音楽・出演:岩渕貞太
音楽remix:金野由之

上半身裸で現れて、手につけた赤い顔料を顔に塗りたくってから始まる。なんていうかプリミティブな感じのドラムのビートにのって頭を激しく振ったりして、コントラストがはっきりした2拍子で単純なフリのバリエーションを展開していくという感じ。

プリミティブってカタカナで書いたけど、そんな距離感っていうか、冷静に原始的部族の儀礼の模造みたいなものをサンプリングして再構成しましたみたいな感覚。

過不足なく尺に収めた構成がぴたっときまって終わるというクールな仕上がりで、だからどうしたと言われると、それだけとしかいいようがない。なんか、踊りたくなったな。

中野成樹+フランケンズ
上演:『ズーヴァリエーション』(25分)
原作/オールビー「動物園物語」より
誤意訳・演出/中野成樹
出演/福田毅、竹田英司

事前のアナウンスはこんな感じ。でも女子も出演してたよ、と思って調べたら、フランケンズのブログで中野さんが

チラシに何の予告もなく突如出演した女子は、
大学で出会った18歳のカジハマカオリさん
という方でした。
http://frankens.jugem.jp/?eid=1396

と書いていた。

原作を、飲食業のお店に置き換えて、バイトスタッフとマネージャーの間の話にしてた。原作を読み返して、その置き換えの意図とか意味を考えてみても面白いのかもしれない。フランケンズ版では、殺人にはならなくて、狂言自殺の嘘を本人が明かすと、漫才のオチみたいに終わるってのだった。
卓上蛍光灯一本の照明とか、昔STでやってた「ロンド」を思い出した。

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=90425&pg=20031102
しのぶの演劇レビュー: スパーキング・カンパニー『ドラマリーディング"ラ・ロンド"』10/30-11/3 STスポット

フランケンズにしては翻訳劇っぽくない、まるで現代口語演劇かと思うナチュラルな台詞回しで驚いたのだけど、ロンドのときラップだったのと同じようなことなのかな、本公演じゃないからこその遊びということか、と納得。

そいえば、去年あたりフランケンズ見た感想書いてなかった。そのうち思い出して書いてみようかな。

ヒゲの未亡人
KISHINO

前に、時々自動見に東大の劇場に行ったとき対バンっていうか同じプログラムに出ていたので偶然見た覚えがある。そのときは歌だけだったけど、今回はいろんな古い映画の映像とかを交えたとても凝った映像をバックにしての歌謡ショー。わたしはわたしと結婚するわ、ってピーターですか!ってオチ。なんというか、ステレオタイプな恋する女性をちゃかしながらもそれを愛してやまないっていう感じの、批評性が反転してただのコスプレみたいになっているけど、ヒゲの未亡人って何のコントですか、という風なもので、知的なくすぐりは満載だけど、出来上がったものは、なんていうか、失笑ものになっているというのが妙な可憐さを残しているあたりは、むしろ安穂野香に近いような何かという気がしないでもない。
今回、岸野雄一の名前で検索してみて、ちょっと、謎が、解けた、気が、する。

ライン京急(山縣太一+大谷能生)

二〇〇八年秋にチェルフィッチュの山縣太一と、sim/masなどで活動する音楽家/批評家の大谷能生の二人で結成された演劇=音楽=ダンスの不定形ユニット。今回は旧作「ベルベラ・リーン」と、新作「手塚の神村のライン京急」(仮)を上演予定。

ライン京急はいいよって岸井大輔さんも言っていたので、この機会に見てみようと思った。

「手塚の神村のライン京急」は、手塚夏子さんと神村恵さんが行った、互いの方法論を互いに交換してやってみる、っていう上演企画をそのままいただいて、手塚さんと神村さんの方法論で山縣さんと大谷さんが動いてみる、というものだった。

動きを指示する声が手塚さんと神村さんの肉声をサンプリングしたもので、その第一声で一番笑っていたのが手塚さん本人だったのが面白かった。

まあ、一言で言えば、動こうと意志するようには動かない、ということを厳密に試みる、ということで、なんだかわからない必然と偶然にしたがって、そう動くつもりもないのにそう動いてしまう、という動きを二人が行っていくというもので、なんでそれが面白いのか良くわからないけど、結果としては予想しがたい動きであるのと、枝葉を切り落としてしまっては見えてこない微細な動きの質がたくさん舞台に零れ落ちてくる様子が面白いということは最低限指摘できることで、さて、それ以上に、笑いが起きたりするのはどうしてなのかな。結局、まじめに歩いている人がこけるのは笑える、というレベルのことなのかもしれない。

「ベルベラ・リーン」は、ニターって笑いながら客席とコンタクトとる山縣さんの様子はまさに本領発揮って感じです。最初から最後まで高めのテンションを持続して、女の子をまるめこもうと言い訳しまくっているだけって感じなのに、何でおもしろいんでしょうか。なんていうか、アート系チャラ男芸人って感じですね。女の子の声をサンプリングして使っていたり、大谷さんのステキな音楽が流されたりしますが、基本的には、お笑いの舞台と客席の間で起きているコミュニケーションと同じ回路が、音楽のフォーマットの上に置かれているって感じのものだと思います。

客層を見ていると、ダンス評論家とか売れ線の劇作家=演出家とかちらほらしていて、いかにもおしゃれなアートと音楽と舞台が交差するみたいなシーンがここにあるんだなーとか思っていた。すっごく久しぶりに桜井圭介さんとすれ違って「お、ひさしぶり」「どーも」ってあいさつだけしたよ。

日頃、大谷さんの本とかちらっと見たりもして、批評家としても手堅く読者を開拓してるよな、と思ってみてますけど、じゃ、舞台と音楽と批評って文脈で、大谷さんと、たとえば足立智美さんとか、どういう位置関係になるのかなーなんてことを考えながら見ていた。

まあ、スーパーデラックスとたとえば森下スタジオとかPlan-Bとかでは、客層がかぶりながらも雰囲気はだいぶ違うわけで、スーパーデラックスだと、なんっていうか、ステキに浮ついてる感じがするわけだけど(お酒もでるし)、森下とかで開かれるイベントだと、もうちょっと生真面目な感じがしたりしなかったりするわけだけど、それぞれに重なり合いながら作られている別のシーンってものを代表しているメディアは無いのだろうなー。別にそんなもの無くても良いのだけど、語られないけど確かにあるシーンってのはあって、それを語っておくこともそれなりに有意義ではあるのかもしれないと思わなくもなかった。

※関連リンク
ライン京急『自主企画Vol.1』 - 阪根Jr.タイガース