踊る若松美黄を見る/二度目

初めて踊る若松美黄を見たのは、WDA2000が開催されたとき、フェスティバル開催の責任者だった若松美黄氏が、オープニングのイベントに飛び入り参加して踊りだしたとき。
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現代舞踊協会の偉い人でも、こんな自由な発想だったりするんだ、と驚いたものだ*1

そんなわけで、今回ダンスがみたいフェスに出ると聞いて、ちょっとこれは見ておかなければ、と思っていた。

僕が見た前の日の土曜日に見た志賀信夫さんがこんなこと書いてた。ここで名前が出ている合田成男氏というのは舞踏を見続けている批評家です。もう80超えてるんだって。

★若松美黄は土方巽とともに津田信敏に師事し、土方の禁色二版にも出演した前衛
筑波大学で教えつつ自由な踊りを追求してきた。七十五に見えない体の動きのみならず、振りの端々にいまのコンテンポラリーダンスの要素が見える
アフタートークで、合田成男は若松の変わらないモダニズムとその意味を指摘したが、津田からそれを継承したのは、おそらく間違いない。
グラインダーマン、若松美黄 - butoh-artの日記

ちょっと長くなるけど、及川廣信さんが津田信敏について触れた文章を引用しておく。

津田信敏のことについて触れてみよう。
 彼はダダイズムの系統を引く舞踊家なのだが、圧えられた潜伏の後、突然舞踊界の表面に出て決定的な意識改革を迫った。
 石井漠、高田せい子系統のモダン・バレエ(これは遠く帝劇のオペラの振付師、ローシーまで遡ることができる)。江口隆哉、宮操子のモダン・ダンス(ドイツのモデルネ・タンツの流れを引く)。これら二つの流派が占める、創造のパターンのマンネリ化にホコ先を向け、破壊と無への還元を旗印に、若い舞踊家の叛逆のバックになったのは津田信敏だった。
 津田は永い沈黙のあと、53年の9月の公演を皮切りに、徐々に(*4)追打ちをかけて行く。ジャン・ヌーボ、若松美黄、のちに土方巽が津田のスタジオ(現在のアスベスト館)に出入りする。その高まりが、58年5月の津田門下生による「叛旗」公演、さらに巾を拡げて後の「女流アヴァンギャルド公演」になる。
 この叛逆の徒を抱いた津田信敏と、従来の舞踊界との緊張した対峙は、ついに59年10月、現代舞踊合同公演を持って炸裂する。
 「海のバラード」と「月に吠える」のニ作品の内容を、というよりも舞踊界の現状を徹底攻撃したのは、批評家の山野博大、池宮信夫たちだった。
 「月に吠える」に出場していた大野一雄は、この時から江口隆哉の下を離れて、津田の仕事に協力する。
 その成果が、59年12月、都市センター・ホールでの「20人の女流AVAN・GARDE」だった。これには、大野一雄大野慶人土方巽、若松美黄が加わった。また、武智鉄二も作品を呈出した。
60年代前後をふりかえる その肉体性の奪還

そういえば、何年か前にあった石井漠の再現公演&シンポジウムの企画でも、若松美黄さんがパネリストとして話してたりしなかったっけか・・・。

それで、大野一雄土方巽が「舞踏」という名前で世界的に有名になっていく間、若松美黄さんは何をしていて、どういういきさつで現代舞踊協会の偉い人になっていったんだろうか、という疑問が残るよね。良く知らないけど。

ともかく、私にとっては幼年時代なのでよくわからないけど、70年代には様々な屈曲があったような気がするのですね。60年代のラディカルが、ある面では体制化していって、ある面では潰えていって、ある面では、海外に流れていって。それまで新鮮だった芸術とか建築様式とか人の集まりとかが、一気に陳腐化するような事態が。若松美黄さんも、その屈曲のひとつの道を辿ったんだろうな、と。

その歩みの行き着いた先での、ソロダンス公演だったのだろうな、と。

ある種、回顧的な、モノローグ的な、ダンス公演で、ぼそぼそダンスについての考えとかお地蔵さんについての考えとか、創作理念につながっていそうなことをしゃべったり、昔のことを回想してしゃべったり、歌ったりしながら、踊るんだけど、結構、ポーズがきまっていて、手のフリとか、ひらひらって、小刻みに屈曲する軌道をさらっとなでてみたりして、おじさんが、おじさんとして、ただ単に踊っているっていうのが、面白かった。

だって、おじさんはなかなか踊らないよぉ(?)。踊ったら、あれこれ下心とかいやらしさが現れそうだよぉ(?)。そこを、ただただ無味乾燥に踊っているって、ある意味すごい。

セノグラフィー的には、噴水が出てきたりとか、でっかいお地蔵さんが立って居たりとか、夕焼けが照明であらわされたりとか、BGMのゆるーいシンセ音とか、そういうのは、ちょっと古臭いっていうか、一昔前の教育番組みたいっていうか、正直、時代遅れなセンスだなと思ったけど、だってそれも若松美黄さんが生きてきた様式なのだから、それはそれで回顧的に受け取っておけば良いのだろう。

僕が見た日曜日には、松澤慶信さんとか石井達朗さんとかも見に来ていて、アフタートークで若松さんはしきりに松澤さんにちょっかい出してるし、石井さんも最後に何か質問してた。なんか、そういうダンスシーンがあるわけですね。世界の片隅に。

アフタートークでは、癌で入院した話もされていて、もう老い先短いからねー執着しないよ、とか、服とか新しいの買う気にならないよー、とか、飄々と語っていらっしゃった。それも老人の反骨ってものなのかもしれないけど。

最近現代舞踊協会系の人たちがどうなっているのか、あんまり知らないけど、吉田ゆきひこさんの記事でも見て、久しぶりにすこしチェックしてみようかな、とちょっと思わないでもなかった。そんな一日だった。

・アフタートークのとき流れていたビデオの振付が(純振付としてみれば)けっこういいな、と思っていたら、その作品が賞をもらっていたんですね。へぇ。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/modance/news/080219eguchi.html

現代舞踊協会の偉い人としてのプロフィール。
http://www.kk-video.co.jp/sakuhin/modern/wakamatsumiki.html

*1:そのころ、ちょうどいわゆるコンテンポラリーダンスがその名前とともに認知されつつあった頃で、WDAではむしろコンテンポラリーな傾向のダンスがプログラムの中心になっていた。現代舞踊協会関連のダンスは、時代遅れな創作理念を護持した保守的な団体で文化庁との結びついて既得権益を守ろうとしている、という風に若い自分には見えていた。現状どうなのか知らないけど。